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「帰りたい」

 と、ぼそっと呟くイケメン二五歳、館山恵輔。修理品のアセンブリを分解して、破損箇所を探している真っ最中だ。

「ケイスケくんさあ、帰りたいよな。うんうん俺も帰りたい。だけど、これ、帰れるオーラを全く発してこないな。どうしよう」どうしようじゃない。手を動かせ手を。

 突っ込むと話が長くなりそうな先輩の田中に、ハイハイそうですねと相槌を打って、このオッサン独り言まで容赦なく拾いやがってと口の中で色々文句を言う。

 これかな、なんてそれじゃなさそうな部品をヒラヒラ見せびらかして、いっそ笑ってしまっている同僚の田中であるが、コイツもはやホントは帰りたくないんじゃないかと、疑ってみたりもする。

「今日金曜日じゃん。もうさ、おれ食事の予約とかしちゃってるわけ」彼女とさ。

 と、全く必要ない情報を披露しはじめる先輩の田中に対して、へえそりゃ大変ですねと同情をアピールしてみる。もちろん模倣品だ。

「七時に品川に集合な訳ですよ」そうですか。としか言い様がない。

 ズンズンバラして、付箋に注記を書き込んで、部品に貼る。

「もうヒトハチヨンナナですよね、先輩」ざまあみろという色合いを込めて教えてあげると、

「館山君、口は良いからあ、おしゃべりしないでくださいい」という小学生の時に同じ目に遭ったことがあるやり方で仕返しをされて。

「うわ! そのリアクション、15年くらい前に同じヤツ喰らいましたよ高橋君から!」

 高橋君てだれだよ! などとギャーギャーわめく田中と確定的に晩飯を食べることになりそうな運命にアーアとため息をついた。

「まあアレですわ。わたくしはごめんなさいの電話をしたので、明日濃厚なデートを致す予定ですが、館山君は週末どうですかねきしし」

 きししとか音読しやがって、言い返してみる。

「俺はですね、今は彼女がいないだけですから今は!」

 夜は更けていく。正直、切ないぞこれはと。


 メシ喰って一息つこうよと提案する田中の意見に賛成して、ケイスケは給湯室でコーヒーをドリップする。機械油の臭いは、濃い豆の臭いにい覆い被されて、小部屋の空気は香ばしい。

 砂糖と甘味料と、チョコレートをトレイにのせて、どうぞと促す。アニメやら戦争映画やらの話をすこしだけ弾ませて、しばらく無言で二人はコーヒーを嗜んだ。田中はウメえなこれと満足顔をする。

「あれ、サーボで置き換えちゃえばいいんじゃないですか?」

 ふとケイスケの口から出てきた。

 機械式で動くこの部品は、電子制御で置き換えられるものだ。むしろその方が故障しづらいのでは。

 工作機械を作るための工作機械を構成する部品な訳だが、田中の理屈ではこう。

「一定水準の加工やら設計やらの技術維持を目的としてんじゃ無いの? これ」

 ここだけ電子制御やめたからって、電源があれば動くってもんでもないし。という。そう言うもんですかと問うと、そう言うもんだ、こうやって今現に、館山君の技術向上にもなってるようだし、WIN WINじゃんと、続けた。

「たしかに」納得である。

 それにしても、自分はこのまま機械の分解しながらひとりで朽ちていくわけ? と考えてちょっと憂うつにもなる。唐揚げ弁当をビックリするほど美味しそうに食べる先輩を眺めながら、

「ヤベえなこれ」ウマい。と、ため息をついた。




 7月の半ば、仕事の帰り道。その日も東京には雨が降っていた。

 厚い雲から落ちてくるその水滴には何かまがまがしいものが込められているようで、雨はケイスケに耐えきれないほどの不快感を与えていた。体温をだらだらと奪う濡れた靴は、暴力的な欲望を喚起するのだった。

 濡れた靴下の不快感は耐えがたくて。むしろ、もうここで水たまりの中にでも自分を放り込んで寝そべってしまいたい位、自らを支える事が面倒になった。

 水で濡れた裾がほつれかけたジーンズをかかとに貼り付けて、家路をなぞる。雨水で濡れた足元が、幸運を溢してしまった様に、ケイスケは感じた。

 いつものルーチン。いつからだろうか、もう、長い間繰り返している。

 今日の仕事の大変さが骨に浸みるかのようで、明日を思うとまた心がこすれて小さくなっていく気がした。 ケイスケは機械設計をする技術者で、他には特徴も記号性も無い。だけれど、すこしは世の中の役に立っているのだろうかと、自分が関わったものがどこかで運用されていると考えると、自分の意味をすこしだけ感じられた。

 そう言う自己を作り上げた彼は、その意味を確かめると背筋を少しだけ正し、持ち直す。


 例年より数日の遅れで梅雨が明けた後、2週間ほどでまた梅雨に入ったかのような長雨が続いている。しかし、明らかに梅雨と違うのは空の暗さだった。そもそも、四季のうち夏を表す季節で括れる雨ではない。一日のうちに数度、熱帯と温帯を行ったり来たりするような暑さと、四六時中薄く掛かる霧か靄かという水滴が首都圏を覆い続けていた。

 水温上昇による、海面から蒸発した水は膨大な雨量として陸地に降り注いだが、豪雨は地表だけに限られた現象ではなく、蒸発し続ける海面にも常に黒雲が覆い気味の悪い雨が降り続けていた。


コンビニエンスストアで買ったコーヒーは少し生温くて、飲み下してもいっこうに気分は晴れない。人の心を汲んで、人に合わせると言う事への困難は、何も今始まった事では無いのだが、その事が仕事が終わったあとの一人を、ことさら辛く感じさせた。

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