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最初の徴候はこの年、二〇〇〇年に現れた。
モンゴル自治区で人が突然なにもない空間に飲み込まれた。当時中国政府はこのことを全力で隠蔽した。
「自治区でのテロ行為は許さない」
などと言った、ひどく他人行儀な発表をしたりしたが、事実は欧米には全くの筒抜けであった。にもかかわらず、アメリカ合衆国は何も見なかったのと同じようにそこに、
「自国民への武力行使の理由を明白にするべきだ」
などと表明するような通常操業であったし、EUに至っては、
「テロの被害に遭った中国政府に哀悼の意を表する」
などと、中国政府がでっち上げたテロ事件に堂々と乗っかったかたちだ。
中華科学院では、アメリカに先駆けてZピンチ磁束理論によるX線投射を実現しようとした。当時既に中華科学院は、一億五千万度のプラズマを作り出すことに成功していた。合衆国内での実験ではそれほどの安定性を実現するための演算リソースも、設備もなく、全てが貧弱なはずの科学院にそれが実現できた事に科学者は頸を傾げた。
そして、それは安定的な高温を作り出し、巨大な出力を作り出した。まさに核融合実証への先鞭を切るはずだった同実験は、華々しいとしか形容のしようがない結果を見せつける。
そして、
「消失」した。
量子の波は同一の位相でこの世界に帰ってくることもなく、そこに現れたのは、
無
だった。