...
世界は、落下してる。
「わたしは、みたんだ」
それを、見た。彼女はその瞬間まで見届けて。
少しずつ、落ちて行く。重力は、匂いのように消えていって、残された全部が、繋がりを失った。
肩に掛からない程度の髪の毛は、顔を撫でるように浮く。シャンプーの香りが、変に心地よくて。
いつか、こんなときが来る。分かっている筈なのに、知っていたはずなのに、誰かがそれを止めてくれるような気になっていた。
その時が来て、その意外さに心は追いつかなくて。
彼女は、彼の名前を、口の中で音にする。そして、もう一度、今度ははっきりと呼ぶ。
「あの人は、わたしを助けてくれるかな」心の中でそうとはとても思えないくせに、彼女は、彼の名前を呼んだ。
そして、涙がこぼれる。いつか、こう言う日が来てしまう予感を感じながら生きた。そして、その時が来て、その意外さに心は追いつかなくて。彼女は、彼の名前を呼んだ。
全てが浮かぶ世界の中で今まで疑問も持たずにそこにあったはずのすべてのものが、重力という現実へのつながりを失っている。この世界の最後の時というのはそういう風景なんだ。
だから、助けて。
――真っ暗だ――
だめなの? 彼女の涙は、玉になって目の前に浮いて、次の瞬間に粉々になったみたいにもっと小さい粒の群れになった。そして、それはなんだか、温かかった。
だけど、それだけ。
もう、私はだれとも繋がっていないのかもしれない。もちろん、私だけじゃないはずだ。この世界のみんなが、宙ぶらりんだ。そして、どうせならと、腹の底から叫んだ。
「助けて」と。
でも誰の耳にも、この声は届かなかった。
かもしれない。