「明日から本気出す」
◆
最後に本気というものを出したのは果たしていつだっただろう。
俺はそんなふうにパソコンで流しているくだらない動画を眺めながらなんとなく考える。
自分の部屋に引きこもってからどれだけの時間が経ったのかわからない。
なにせ引きこもりというのは外になんて出ないのだから、日にちの間隔も曜日の感覚も忘れ去ったところでなんの支障もない。
親の脛を齧りまくりなこの俺を高校の友達はどう思うのだろうか。
なんて。
考えたところで悪い想像が頭を巡るだけで、現実もそれと大した違いもないだろうからしたところでなんの益もない。
「はあぁあ……」
いつしかこの大きなため息も癖になってしまっている。
コメントが流れる動画を見ても、ちっとも面白くもないし、心が晴れやかになるわけでもない。
このままではダメだと思ってはいる。
だけど、なんでだろう。
昔みたいにやる気も気力も出てこないのは。
そんなの疑問に思うまでもなかった。
『あれ』が原因なのは自明の理だ。
自問する必要もないくらいに明らかだ。
ただ。
そうして自分にわからせておかないと、どうにも現実逃避を繰り返し都合の良い事実に改竄をして、狂ってしまいそうで。
時間が過ぎるのをとにかく恐れ。
俺は昨日と同じような一日を今日も終えるのだった。
◇
『どうしたの?』
「え?」
『ユウくん、疲れちゃったの?』
「そう、かもしれない」
『私がいなくなったからってそんなじゃダメだよ?』
「わかってるよ。わかってはいるけど、どうしても無理なんだ。なんだか力が出てこないんだよ。ねぇ。助けてよ。いつもみたいに」
『ふふっ。いつまでも甘えているのね、ユウくんは。そこが可愛かったんだけど』
「なら!」
『でももう無理なの。それはユウくんもわかっているでしょう?』
「それは………」
『自分で乗り越えないとね。こればっかりは私も手伝うことができないわ』
「そんな………」
『本気を出しなさい。それが私から言えることよ』
「今日はもう無理だよ。なんだかすごく眠いんだ。明日からじゃダメ?」
『ふふっ。ダメよ? 今日はもう始まっているの。そんなんじゃまた大切なものを失くすわよ。手遅れになる前に』
「手遅れ?」
『そう。ちゃんと頑張ってね。私はこれ以上大好きなユウくんが苦しむところは見たくないから』
「なにを言って―――――
◇
変な夢を見た。
気がする。
起きあがってみると外はまだ暗いが朝の六時だった。
それにしても寒い。
季節はとっくに冬で、吐く息も部屋の中だというのに白い。
今日は二月二十五日。
久しぶりに日付を認識した。
「なんで引きこもりのニートがこんな時間に起きてんだよ」
独り言も癖になって、意味のない声を出す。
二度寝をしようと心地良い毛布を被り直すと、コンコンとドアから音がした。
「お兄ちゃん。まだ起きてないと思うけど一応ね」
なんだ妹か。
コイツの声を聞くのもそういえば久しぶりだった。
「お兄ちゃんが大学に行かなくなってもう一年だよ。お母さんもお父さんも、もうお兄ちゃんの心配をしなくなっちゃった」
「………………」
そんな悲しい知らせを伝えるために朝早くから喋っているのか? コイツは。
「でも、あたしは違うよ? 『あれ』から一年経った今でもずっと信じているから。お兄ちゃんがまた本気を出して頑張ってくれること。昔からそれがあたしの……唯一の支えだから」
俺は何も答えない。
社会のゴミたる俺に妹と会話をする資格なんてない。
だから俺はただ聞くだけだった。
一年で少しだけ変わった妹の声を。
「だから……ね。昔みたいにあたしのことを考えてほしいな。…………それじゃあ、お兄ちゃん。あたし、今日部活で遅くなるからね」
「え?」
妹の脈絡のない発言に俺は思わず沈黙を破ってしまった。
しかし、そんな俺の間抜けな声を聞かれていないようで妹の足音が遠ざかって行った。
なんだったんだ、一体。
俺は特に深く妹の不審な言動について考えないまま、再び眠りについた。
目が覚めると昼になっていた。
こんなに眠っているとは自分でも引く。
昨日は夜更かしなんてしていないはずなのに。
「ん? 俺って昨日いつ寝たんだっけ?」
あまり覚えていない。
でも、覚えてなくともなんの問題もない。
今の時間であれば妹は中学校に親は仕事で、家には俺しかいない。
この間にシャワーを浴びて、食事をするのだが。
「おいおいシャンプー切らしてんじゃん」
熱いお湯を浴びて、体を温めてからようやく気付いた。
ずぶ濡れで極寒のなか詰め替えを取りに行くというのは高台から飛び降りるくらい勇気のいることだった。
「石鹸で済ませるか」
平成のこのご時世に俺は初めて頭と体を石鹸ひとつで洗いきった。
着替えて冷蔵庫から食パンを取り出し、なにもつけずに齧りつく。
部屋から動かない俺にとってはこれでもう十分だった。
自室に戻るとまたいつものようにパソコンを起動しては意味のない時間を作り上げる。
もはや、これが俺の日常だった。
気づけば夜だった。
そろそろ家族が帰ってくる頃で、俺は自分の世界に閉じこもるためヘッドホンを装着する。
妹が帰ってこないと親が騒いでいるのが耳に入るのは、なんとなくヘッドホンを外した午後十時ごろだった。
アイツは真面目な性格で夜遊びなんてしないはずなのだが。
「アイツも変わったんだな」
と、なんだかショックだった。
今朝のことが気になるが、このまま日付が変わろうとしていた。
今日は二度寝をしたせいで目が冴えてしまっている。
このまま夜更かしでもしようかと思ったら、急に眠気が襲ってきた。
「な、んだ、これ……」
このまま眠ると風邪を引いてしまう。
俺はかろうじて布団の中に潜りこみ安心して目を閉じた。
◇
『これが今日だよ、ユウくん』
「え?」
『しっかりと覚えていてね。じゃないと抜け出せないよ』
「なにを言ってるんだよ、ね―――――
◇
起きあがった。
時刻は昨日と同じ朝の六時。
「また、変な夢を……」
俺はつい昨日と同じ行動をとって、日付を確認する。
こんなことしてもなんの意味もないのに、なぜかそうしてしまった。
そして今日の日付は。
「二月二十五日……?」
はて。
気のせいだろうか。
昨日も二月二十五日だった気がするのだが。
俺の思い違いか、それともこの時計が壊れたのか。
どちらにしてもどうでもいいか。
「そういえば、アイツは家に帰って来たのか?」
心配だった。
どれだけ俺自身が腐ろうとも、アイツは俺の可愛い妹であり、気になるのは当然だった。
家族がまだ家にいる時間帯に珍しく部屋から出ようとベッドから抜け出すと、また昨日のようにノックの音が部屋に響いた。
「お兄ちゃん。まだ起きてないと思うけど一応ね」
すると妹の声が聞こえる。
どうやら俺が寝たあとに無事に家には帰ったらしい。
俺がホッと胸をなでおろしていると、
「お兄ちゃんが大学に行かなくなってもう一年だよ。お母さんもお父さんも、もうお兄ちゃんの心配をしなくなっちゃった」
と、昨日と全く一言一句間違いなく同じことを、というか悲しいこと言いやがった。
なんの嫌がらせだ。
「でも、あたしは違うよ? 『あれ』から一年経った今でもずっと信じているから。お兄ちゃんがまた本気を出して頑張ってくれること。昔からそれがあたしの……唯一の支えだから」
「………………」
「だから……ね。昔みたいにあたしのこと考えてほしいな。…………それじゃあ、お兄ちゃん。あたし、今日部活で遅くなるからね」
意味不明な部分も含めて昨日の朝の再現を妹はしていった。
俺が一年引きこもっている間に妹に何があった?
随分と愉快な感じに仕上がっているじゃないか。
夜遊びはするし、奇行をするし。
「お兄ちゃん悲しくなってきたぜ」
そう言って少し冷めた、布団に入り直し、嫌な現実から逃げた。
目が覚めるとまたもや昼。
流石に心配になるほど眠ってしまった。
なにかの病気なのかと思いつつも、日課であるシャワーを浴びることにした。
お湯をはることは寒い時期だろうと俺はしない。
もったいないし、俺一人が我慢すれば良いだけだ。
いつものようにシャワーで入念に体を温め、そろそろ頭を洗おうとシャンプーに手をかけると、またもや入っていなかった。
「詰め替え用でも買い忘れたのか?」
不審に思いながらも、またもや石鹸にお世話になることにした。
昭和を味わったこともないのに、妙にレトロな気分になりながら、その後パンを食しながら自室に戻る。
そして、いつの間にか夜になり家族が帰ってくる。
今日はヘッドホンをつけるのにも億劫になり、俺の心配をやめたらしい両親の声が時々聞こえてくる。
しかし、いつまで経っても妹の声は聞こえてこない。
「今日もかよ………」
と、また午後十時くらいに親が騒ぎだした。
「妹のこと叱ってないのかよ。父さんも母さんも」
一丁前に文句を垂れ流し、午前零時が近づいてくるとまた昨日のような睡魔がやってきた。
「おか、しい……二日連続で………こんな、こと」
いや、考えてみれば三日連続か。
これはもう病気確定だと思いながらも、なんとか布団の中に入ることに成功した。
◇
『異変には気付いたようだけど、まだまだみたいね』
「異変……だって?」
『ユウくんは鈍いからね。そろそろ教えてあげる。ユウくんはね、二月二十五日を繰り返し過ごしてもらってるの』
「繰り返しって、それは俺だけ?」
『そうだよ』
「でも、なんでその日をループすることに……?」
『私がそうしてるの。ユウくんがもう悲しい思いをしないように』
「この日に一体、何があるって言うんだよ」
『それは自分で気づかないとダメだよ。じゃないと意味ないから』
「だからなにをいってるんだよ、ねぇちゃ―――――
◇
今度はちゃんと覚えている。
あの変な夢を。
時計を見ると今が朝の六時だということがわかる。
そして今日は、いや今日も二月二十五日。
夢で聞いた通り、俺はこの日をループしている!!
「なんてな」
誰が信じるか。
もう"いない人"の言葉を信じるなんて馬鹿らしい。
俺はそこまで狂ってなんていない。
まして、そんな漫画みたいなこと起きるわけが―――――
コンコン。
ノックの音。
これでもう三回目だ。
もしも、もしもだ。
このドアの向こうにいるのが妹で、ソイツの言うことを当てられればなんかすごくないか?
「………お兄ちゃん。まだ起きてないと思うけど一応ね」
「お兄ちゃん。まだ起きてないと思うけど一応ね」
あれ?
「お兄ちゃんが……大学に行かなくなってもう………一年、だよ。お母さんもお父さんも、もうお兄ちゃんの心配をしなくなっちゃった………」
「お兄ちゃんが大学に行かなくなってもう一年だよ。お母さんもお父さんも、もうお兄ちゃんの心配をしなくなっちゃった」
そんなはず………。
「………でも、あたしは違うよ。『あれ』から一年経った今でもずっと…………」
「でも、あたしは違うよ? 『あれ』から一年経った今でもずっと信じているから。お兄ちゃんがまた本気を出して頑張ってくれること。昔からそれがあたしの……唯一の支えだから」
なんで。
「………………」
「だから……ね。昔みたいにあたしのこと考えてほしいな。…………それじゃあ、お兄ちゃん。あたし、今日部活で遅くなるからね」
こんなはずはない。
あるはずない。
すべてが同じってそんな……。
「くそっ!」
俺のそんな声はやはり妹に届くことはなかった。
それも俺は知っていた。
それから。
シャワーを使うときにはシャンプーは空のままだった。
よく見れば食パンの枚数も変わらない。
アニメの更新がないのは放送が延期になったせいかと思っていた。
両親はいつもの時間に妹がいないと騒ぎだし。
その妹は帰ってこなかった。
そして。
日をまたぐ前に眠気が襲ってきて、俺は決まってベッドで眠る。
◇
『確認はできたみたいね』
「うん。"姉ちゃん"が言った通りだった。俺は本当に今日を繰り返している」
『そう。それがわかれば次の段階ね』
「次の段階ってどういうことなんだよ? 俺は何をすればいい? 世界でも救えっていうのか?」
『ふふっ。違うわよ、ユウくん。あなたには妹を助けてほしいの。妹のためにも、何よりも自分のためにも』
「えっと……、それこそどういうことなんだよ。その日に妹が死ぬみたいな言い方してさ」
『まさにその通りよ。この日に妹は自殺する』
「ッ!? ………ふ、ふざけるなよ、姉ちゃん……アイツがそんなことするわけないだろ!!」
『いいえ。するのよ。ユウくんのせいでね』
「なんでそこで俺が出てくるんだよ! 俺は姉ちゃんが死んでから一年間、ほとんど妹と口も利いてなかったんだぞ! それがどうして俺とアイツの自殺が繋がる?!」
『それから先は妹から聞きなさい。それがあなたと妹のためでもある。それに、もう時間だわ』
「ちょっと待ってくれよ!! まだ聞きたいことが―――――
◇
「姉ちゃん!!」
勢いよく俺は眠りから起きあがる。
当然というかなんというか、そこは俺の部屋で、ついでに言うと二月二十五日の午前六時だった。
「妹が自殺するだって……?」
それこそ信じられない。
俺にとっては一日をループするくらいに信じられないことだ。
俺達は元々三人姉弟だった。
姉ちゃんとは一つだけ年が離れていて、妹とは四つも違う。
年が近いということもあったし何よりも弟の俺に対して何かと優しくて甘えさせてくれた姉ちゃんに俺はべったりだった。
友達からはシスコンと呼ばれたりして、口では否定していたがあくまでそれは口だけだった。
逆に妹とは年が中途半端に離れていて、俺はかまってやっていたが、それでも姉ちゃんほど仲はよくなかった。
それでも。
俺は弟としてもそして兄としても二人のことは同じくらい大事に想っているのは確かだった。
それが伝わっているのか妹は俺のことを邪険には扱わない。
良い妹だと俺は思っている。
真面目で、からかうと面白くて、姉ちゃんのことは好きだし、勉強も苦手なりに頑張っている。
そんな妹が自ら命を絶つだなんてことあり得ない。
「あり得ないよ、姉ちゃん……」
俺が一人で呟いていると、件の妹がやって来たようだ。
「お兄ちゃん。まだ起きてないと思うけど一応ね」
いつもの文言を言い終えると妹は学校に行く準備をしに行った。
アイツがこうして俺の部屋の前で、一人で勝手に話しかけるのは今日自殺をするからなのか?
だとすれば、どういうことなんだ。
一年も会話をしてない相手に、兄にそんなことをするなんて一つしか思いつかなかった。
「アイツは……俺に助けを求めている………?」
いやいや待て待て。
助けを求める奴が自殺なんてやるのか?
姉ちゃんが死んで以降、こうして堕落している俺だが死のうとはなぜか思えなかった。
だから、死のうとしている奴の考えなんて正直言ってわからない。
どう行動をすればいいんだ?
姉ちゃんは俺に妹を助けろって言っていた。
そもそもなんで俺はこうも姉ちゃんの言葉を簡単に信じているんだ。
大好きな姉ちゃんとはいえ、所詮は夢の中だぞ。
それこそ狂っている。
遂に俺は狂ったか?
「だとしても―――」
俺はうれしかった。
姉ちゃんと久しぶりに話ができて。たとえ夢の中だとしても。
あの姉ちゃんが夢に出てまで俺に妹の危険を知らせてくれたんだ、信じてみようじゃないか。
本気を出そうじゃないか。
だって、俺は―――――
「―――姉も妹も大好きなシスコン野郎だからな」
友達から散々言われていたことを俺はここにきて認める。
いや、認めざるを得ない。
あんなに無気力だった心が、体が、やる気に満ち満ちているのだから。
◇
夜になると俺は外に出た。
引きこもりが外に出た。
これだけで新聞の一面を飾るには十分ではなかろうか。
だからということでもないが、両親にはもちろんバレないように気を付けた。
俺がこれから向かうのは妹が通う、かつては俺も通っていた近くの公立の中学校だ。
妹との唯一の手掛かり。
今朝の一方的な会話から考えてみると確かに妹に不審な点があった。
あの前の文脈を無視した最後の言葉。
『…………それじゃあ、お兄ちゃん。あたし、今日部活で遅くなるからね』
妹は中学三年で今は二月。
つまりはアイツは高校受験なのだ。
というかさっき気付いた。
こんな最低な兄貴で本当にごめんな、妹よ。
まぁ、謝るのは後にするとして、受験生であり、受験が差し迫っている今の時期に部活などするはずもない。
だったら、妹の最後の言葉は俺への助けを求めるサインと考えるのが自然だ。
公立ということもあって学校に忍びこむこと自体は容易だった。
あとは妹がどこで自殺をするかだが、学校で死ねる場所なんてひとつしか思いつかなかった。
「屋上か」
校舎に入るのにも案外楽に行けた。
校舎と体育館との連絡通路、なぜかそこの校舎への入り口が開いていた。
妹は校舎に隠れていればそれで良いわけで、ここの鍵が開いているのには違和感が残る。
だが、今はそんなことを考えている場合ではなく、ありがたく使わせてもらう。
屋上にでると寒空で空気が澄んでいるためか、宝石のように輝く星たちが綺麗で思わず立ちすくむ。
我に返ると改めて突き刺すような寒さが引きこもりには辛く、風避けが出来そうな場所で妹を待つことにする。
「来ない、な……」
ガクガクと震えながら二時間。
妹は一向に屋上に来ない。
時刻はそろそろ零時を回る。
なんだ? 当てが外れたのか?
一抹の不安が脳裏を過ぎる。
もし、俺の考えが間違っていたとしたら、今頃妹は―――――。
不安だけでなく、嫌な想像で頭がいっぱいになる。
俺は居ても立ってもいられず、とにかく屋上から去る。
姉ちゃんが俺に助けてと言った。
ということは俺は妹を助けられるはずなんだ。
「今日が終わる前に妹は自殺をする」
それだけは間違いないはず。
なら、場所が違っていた。
妹を助けられない。
そう感じたのはまたあの強烈な眠気に支配されたときだった。
「負け、るかよ………ッ、絶対に……助けるんだ………」
足がもつれ降りている最中の階段から転がり落ちる。
体中が痛いにも関わらず、やはり抗えないのか瞼がどんどん落ちていく。
「い、も……う………と……」
◇
『頑張ったね、ユウくん』
「………結局、助けられなかったよ、姉ちゃん。せっかく姉ちゃんがチャンスをくれているのに」
『でも、やっと本気を出してくれたね。私は嬉しいよ。ユウくんが妹のこと大事に想ってくれていて』
「でも助けられなかった!!」
『………………』
「姉ちゃんだけじゃなく、妹すら助けることができないなんて………、俺は……、俺は……っ! 兄も弟も失格だ!!」
『で、でもまたやり直せば良いじゃない。何回も繰り返せば、きっと助けることが―――――』
「―――ダメなんだよ!! それじゃあ!!」
『ッ!?』
「俺はもう四回も二月二十五日を繰り返した!! ということはアイツは四回自殺したってことだろ!?」
『でも、またやり直せるわ。妹はまだ助けられる』
「そんな考えじゃダメなんだ……。俺はもう家族を死なせたくない!」
『…………。そうだったわね。たとえループする世界でもユウくんはそう、考えてくれるのね。ふふっ』
「色々考えさせられたからな……。姉ちゃんが死んでから。……だから次で最後にする」
『最後にって?』
「姉ちゃんに頼みがある。もしもまたこの夢の中に来て、俺がもう一度やり直させてくれって姉ちゃんに縋りついても絶対にループしないでくれ」
『それは………、いいの? それで』
「いい! 覚悟を決めた。今度こそカッコよく助けてみせる。大切な家族を」
『わかったわ。でも。勘違いしてるわよ、ユウくん。ユウくんはそのままでも十分カッコいいから』
「な、なに言ってんだよ!? 姉ちゃ―――――」
◇
目を覚ます。
時計を見るまでもなく、今日は二月二十五日で今は午前六時。
少し経つと、妹はやってきて扉越しに俺に言葉を投げかける。
寝ているかもしれないのに妹は真剣だった。
俺だって真剣だ。
不意にここでドアを開けて部屋を出て、妹と顔を合わせればいいんじゃないかと考えが過ぎる。
しかし、ダメだ。
完全に妹の自殺願望を消し去らなければ、俺は安心できない。
妹を救ったことにならない。
ならば、ここで、
「……我慢する」
やがて妹は去り、俺は考える。
場所が学校では無ければ一体、どこで自殺するつもりなんだ。
そもそもなぜ、自殺するのかすら俺にはわからない。
ずっと部屋に引きこもり、なにもかもを拒絶した罰がここで降りてくるとは思わなかった。
今の妹は一年前の妹と何か違いがあるのか?
いや、声の調子は沈んでいたが特別変わったところは聞く限りはなかったように思う。
ならば。
妹が考えそうなことを考えるしかない。
理由さえわかれば、なにか掴めるものもあるのかも。
「………………」
しかし、いくら考えてもわからない。
そもそもなんで今日―――二月二十五日なんだ?
勉強のストレスとか考えてみたが受験日はおそらくもう少し先で、なんだか中途半端じゃないか?
もっと特別な何かがあるに違いない。
誰かの誕生日でもないだろうし、なにかあったか?
例えば去年のこの、日……は………!?
「わかった!!」
なぜ、こんな簡単なことに気付かなかったんだ。
もっと早くにわかっても良かったのに。
「ホント……最低だな………俺は」
それから学校に妹が向かうのを確認して、ある場所を訪れた。
一番行きたくなかった場所。
それは姉ちゃんが交通事故に遭った現場だった。
◇
あれは俺が志望する大学の二次試験の日―――二月二十五日のことだった。
確かな手応えを感じて試験を終えて、長く思えた受験勉強ともおさらばできる解放感で俺の心は満たされていた。
家からは大学は遠く泊まりで、しかも帰りは遅くなってしまった。
移動中、乗り物の中で寝ていたこともあり、俺はずっと携帯の電源を試験のときから切ったままにしてあった。
家に着くと誰もいなかった。
ここでやっと携帯の電源に気付き、すぐに姉ちゃんに電話した。
今日の成果を早く聞かせて褒めてもらいたくてうきうきしていると、電話には妹が出た。
「お兄ちゃん!? お兄ちゃんは無事なんだよね!?」
「なんだ、妹か。どうしたんだよ、そんなに慌てて」
「お兄ちゃん、お姉ちゃんがぁ…………うぅ」
ただならぬ雰囲気に俺は姉ちゃんの身に何かあったのだと悟った。
そのまま泣き崩れる妹は話すことができなくなり、代わりに父さんが電話に出て俺に要領を得ない説明をした。
思えば父さんもこのとき尋常じゃないくらい動揺をしていた。
姉ちゃんは俺のために労いの料理を作ろうとしていたらしく、その買い物の帰りに交通事故に遭ってしまった。
交通事故の原因は運転手の飲酒運転。
夕方の帰宅による交通量の多さも一因しているとのことだった。
当時父さんの説明の中で唯一俺が聞き取れたことは姉ちゃんは即死だったということだけだった。
今まで大好きでべったりだった姉ちゃんが突然、理不尽にいなくなったことで俺はご存じの通り堕落していった。
姉ちゃんという目標があったからこそ、俺は今まで頑張れていたのであり、俺が本気を出すための原動力だった。
一緒に遊んだ時の楽しそうな顔。
俺が甘えたときの困ったようで嬉しそうな顔。
俺を叱るときの厳しくも温かい顔。
恋愛相談をしたときの少しだけ寂しそうな顔。
そして、なによりも。
いつもの笑った顔。
俺がどれだけ姉ちゃん救われて、助けられて、力にしてきたかわからない。
まだ何も返せていないというのに。
いなくなってしまった。
あれから今日でちょうど一年。
俺は合格したらしい大学には一度も通うこともないまま、家で引きこもる寄生虫に成り果てた。
俺は妹に何をしてやれたんだろう。
妹だって俺と同じくらい辛いはずだった。
それなのに俺は落ちぶれて、それで益々妹のことを独りにしてしまっていたんじゃないのか。
妹は姉と兄を両方を失った気分になっていたのかもしれない。
今、初めて俺は自分のことではなく、身近な人間の気持ちになって考える。
俺がこのまま立ち止まって、後ろを向いていたせいで、全然見えていなかったものがたくさんあった。
それは見えてみればなんともわかりやすく、すごく大事で、とても大切なものだった。
俺は今、世界にいる。
生きている。
それにようやく気づけた気がした。
「正解だよ、お兄ちゃん」
いつの間にか辺りが薄暗くなっており、すぐそこに一年ぶりに見る妹がいた。
「この道路の……、この電柱の辺りみたいだよ。お姉ちゃんが亡くなったの」
記憶の中よりもいくらか大人びた妹が俺に寄り添いながら教えてくれた。
「お兄ちゃん、おめでとう。外に出られたね」
「そんなことよりも、ルリ。お前はここで自殺しようとしてたのか? 学校の屋上でもなく、他ならぬここで」
「いや。違うよ。それはお姉ちゃんが吐いたウソ」
「…………え?」
ちょっと待て?
なに?
コイツ今、『お姉ちゃん』って言わなかった?
「そんなに混乱しなくてもいいよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんも夢の中で会ったと思うけど、あたしも実は会ってるの」
「………………」
「ああ……。お兄ちゃんが口を開けて呆けてるよ~。と、とりあえず家に帰ろ?」
そう言って?
ルリは?
俺の手を取って?
引っ張って行く?
「いくらなんでも混乱し過ぎでしょ。まさか憧れの人がこんなにまで落ちぶれるなんて………」
あたしは悲しいよ。
そう続けるルリは言葉ほどがっかりしている感じはなくて、とても楽しそうだった。
「えーっと。ひとつだけ確認させてくれ。お前は死なないんだな?」
「うん、当たり前じゃん。お兄ちゃんを残して死ねないよ」
あっけらかんと言ってくれるが、それだけ聞ければ後はもうどうでもいい気になる……
「わけあるか!!」
「うわっ! いきなり大声出さないでよ!!」
「お前の今朝のあの言葉はなんだったんだよ」
如何にも意味深なこと言いやがって!
「あれは本心だよ。紛れもないあたしの本心。お兄ちゃんには昔みたいに戻ってほしかったの」
「でも、最後の部活のくだりはなんなの?」
「あれはお兄ちゃんに頑張ってもらうためのひっかけ、かな」
確かにあれで俺は外に出て学校に忍びこむなんて大胆な行動をとってしまった。
校舎の鍵が開いてたのもコイツの仕業か?
「じゃあなんだ? お前は死んだ姉ちゃんと協力して俺に本気ださせるために自殺だのなんだの言ったっていうのか?」
「うん。えっとループ? だよね。それは本当にお兄ちゃんだけしか体験していないはずだよ」
俺はただ二人の手のひらの上で踊っていただけなのか。
なんていうことをするんだよ。
とんでもない。
「姉ちゃんのことは何かわかるか?」
「いや、全然わからない。なにもかもが不思議なことだらけでさ。正直、お兄ちゃんがこうして一緒にいるまで全然信じてなかった。命日が近付いているせいで見たただの夢だと思ってた」
そうか。
妹はループをしていない。
ということは俺が経験したこの二月二十五日は妹にとってはただの姉ちゃんの命日だったわけで。
「ん?!」
「え? どうしたの?」
じゃああの夢の中でのやり取りって完全に俺の一人相撲だったってことかよお!!
家族にはもう死なれたくないとか絶対に助けるとかあんな恥ずかしいことを姉ちゃんにぃ!!
「本当にどうしたの? そんなにうずくまって」
少しだけやり返そう。
姉ちゃんの墓の前で姉ちゃんの恥ずかしい過去を妹に教えてやる。
それくらいやらないと気が済まない。
「ルリ。お前は嬉しいか? 俺がまた昔みたいに戻ると」
「うん! すっごく嬉しい!」
にかっと笑う顔は姉ちゃんによく似ていて、やはり姉妹なんだなって思う。
「俺は今日のことで思い知ったよ。家族は大事だ。お前が大事。父さんも母さんも、もちろん姉ちゃんも」
「うん」
「今まで俺は大好きな姉ちゃんのために頑張ってた。けど今度は、大好きな妹のために頑張る」
昔そうやっていたみたいにルリの頭を撫でてやる。
少し身長が伸びていたけれど、それでも懐かしい感触だった。
そうだ。
いつまでも過去を思い出していても何もならない。
姉ちゃんに怒られるだけだ。
これからはもっと、今いる周りすべてを大切にしていこう。
それは姉ちゃんとルリに背中を押されて踏み出せて、やっと気付いたことだった。
明日からじゃない。
今から本気を出すんだ。
それが"生きてる"ってことなんだ。
「お兄ちゃん、家に着いたよ」
「ああ。ルリ、ただいま」
「うん。お兄ちゃん―――――おかえり!」
やっと帰ってきた気がした。
一年前に失くしたもの見つけて俺は現実に帰ってきたんだ。
◇
『おかえりなさい、ユウくん』
◇
◆