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「とまぁ、こんな話。別に面白くもなんともないだろ?」
てっきり花菱は「そんなことないよー、素敵な話だねー」なんて笑ってくれると思ったのに、何故か花菱は肩を落としうつむいていた。
「花菱? どうした?」
なんか俺、まずいこと言ったかな。
「いいなぁ」
下を向いたまま、ため息混じりに花菱は呟く。
「いいなって、何が?」
「海生と桜井くんはお互いのことをよく理解しあってて、認めあってて、きっと二人でいるとすごーく楽しいんだろうね。親友って言うんだろうね。僕にはそーゆーのないもん」
「別に俺と桜井は親友ていうほど仲いいわけじゃないぞ」
親友。確かにいい響きだけど、桜井とつるむようになってからまだ半年しかたってないし、知らないことだってきっとたくさんある。
「時間なんか関係ないよ。お互いにどれだけ相手のことを思い合ってるかが問題なんだから。海生は桜井くんとたった数十分、時間を供にしただけで、はっきり桜井くんを好きだと言えるくらいに魅力を感じた。それはきっと桜井くんも同じはずだよ。じゃなかったらあの桜井くんが海生を園芸部に置いとくわけないもん。同じ気持ちだから一緒にいられる。どれだけ長い時間一緒にいたって、全然わかりあえない。僕はいつも一方通行だから。二人の関係が羨ましい」
「いいなぁ、海生」と花菱は下を向いたまま寂しそうに喋る。さっきまでの底無しに明るい笑顔は何処へ行ってしまったのか。
「そんな落ち込むなよ。花菱にだってちゃんといるだろう?」
うつむいていた花菱はパッと顔をあげ「何がいるの?」と間抜けな返事をする。
「花菱にもちゃんと親友がいるじゃないかって」
「親友? 親友がどうしたの?」
「だから、花菱は俺と桜井が親友みたいにお互いに信頼しあってて仲が良いのが羨ましいんだろ? 自分にはそこまで親しい友達がいないからって落ち込んでたんじゃないのか?」
花菱は不思議そうに真ん丸の目を二三回瞬きさせてから、「ああ!」と声を上げた。
「そうだ。そうだよね。僕には親友がいないんだよ。ごめんね、海生」
「何を謝ってるんだよ」
「自分でも何言ってんだかわからなくなっちゃって、混乱させちゃってごめんね」
「混乱て何が?」
「何でもない。何でもないから気にしないで。で、僕の親友って誰のことかなぁ?」
花菱はニコニコ笑って話を促したが、何か様子が変だった。何か笑って誤魔化したみたいな。
「花菱さ、」
「うん?」
無邪気な顔して俺を見上げる花菱はいつもとなんら変わりない。何か変だと思ったのは俺の勘違いだったのか、それとも何でもないような振りをしているのか。判断がつかない。追及するのはやめたほうがいいか。
「花菱には倉本がいるじゃないか」
「レオ?」
「花菱は倉本と仲良いんだろ?」
「うん、僕は、レオと仲良しだと思ってるよ」
何か今の言い方、ちょっとひっかかるけど……まあいいか。
「花菱にとっての親友て、倉本なんじゃないのか?」
「え?」
首をかしげ固まる花菱。その間、約三秒。
「え、僕とレオって親友だったの?」
「いや、実際どうなのかは知らないけど。俺はそう思ってた」
だって桜井とは違った意味で、倉本って近づきがたいから。クラスで倉本が花菱以外の男子と一緒にいるところって、見たことないしな。
「何で? レオは全然近づきがたくなんてないよ? こんなこと言ったら失礼だけど、桜井くんは見た目が怖そうだから仕方ないとしても、レオはすごーく綺麗な顔立ちしてるじゃない? 中性的で、女子の中にはレオのことを『天使みたい』なんて話してる子もいるんだって」
「そりゃ倉本の見た目がいいのは認めるけど、顔がいいぶん中身が最悪じゃないか」
「え? どこが?」
花菱、本気で言ってるんだろうか。
「全体的に」
「そんなことないよ。海生がレオのことをよく知らないだけで、レオは本当にすごくいい子なんだよ?」
そこまで言って、ハッと花菱が口をつぐむ。
「そうか、これか。他の人にはわからないその人の魅力を自分だけが知っている。これが親友て奴なのか。海生にはわからないレオの魅力を僕は知っている。つまり僕とレオは親友てことか」
「うわぁ」と感嘆の声を上げ、目をきらきらさせた花菱は喜びいさんで万歳をする。
「僕とレオは親友だったんだ! 僕にもちゃんと親友がいたんだ!」
「よかったなー、花菱」
何か違う気がしたけど、花菱があんまりにも嬉しそうな顔をしてるから余計なことは言わないことにした。
「明日、レオに会ったら教えてあげよう」
「それはやめた方がいい気がする」
倉本のことだから無邪気な花菱が「僕たち親友だよねー」なんて言ったら、馬鹿にしたみたいに鼻で笑うかもしれない。いやそれならまだしも、冷たーい眼で睨み付けるかもしれない。いやいや、もしかしたらキレて「身のほど知らずの虫けら野郎が。僕を親友呼ばわりするなんて百億光年早いんだよ」て罵倒するかも。そんなんなったら花菱が可哀想すぎる。
「やっだなー、海生てば」
おばさんが話をするときみたいに手をひらひら振りながら、花菱は大口をあけて笑う。
「レオがそんな酷いこと言うわけないじゃないか」
「いや、あいつなら笑顔で酷いこと言うと思うぞ」
「もし言ったとしても、それは本心じゃないから僕は全然平気だよ」
「本心じゃなかったらなんなんだ」
「照れ隠しに決まってるじゃないか」
「照れ隠し、ね」
そう言えば昼間も、倉本は意地っ張りで素直じゃないみたいなこと言ってたな。でも、あいつが照れることなんかあるんだろうか。
「そりゃあるよ。レオだって人間だもの。僕、レオとは一年生の時から同じクラスでね、二年のクラス替えでも同じクラスになれたのが嬉しくって『今年もレオと一緒だなんて嬉しいな。この調子で来年も同じクラスになれたらいいね』て言ったんだ」
また、よくそんな聞き方によっては恥ずかしかったり気持ち悪かったり気まずかったりする台詞をさらっと言えたもんだな。
「そしたら倉本はなんだって?」
「とってもいい笑顔で、『僕はごめんこうむりたいね』だって。ほらね、レオだって照れるときは照れるんだよ」
はたして、それは照れてるっていうのか。
そこでふと昼間のことを思い出した。花菱が表れたとき、倉本は眉をぴくっと神経質そうに動かした。あの時、倉本が何を思ったか、今ならなんとなくわかる気がする。
「花菱って天然だったんだな」
「それも、よく言われるんだよね。僕自身はそんなことないと思うんだけど。何でなんだろうね?」
そう言って、花菱は不思議そうに首を傾げていた。
花菱が帰る時間になっても桜井は現れなかった。
「ごめんな、花菱」
「何が?」
「トイレ掃除手伝わせるだけ手伝わせて、園芸部らしいとこ何も紹介できなくて」
「なんだそんなことか。気にしないで。園芸部、すごい楽しかったから」
楽しかったって、トイレ掃除が?
「僕こそごめんね。塾がなかったら桜井くんが来るまで待ってられたんだけど。まあでも、明日も遊びに行くから」
「え?」
「え、ダメ? 迷惑?」
「ええ、ダメじゃないし、迷惑でもないよ。全然オッケー」
「よかったー。明日は桜井くんに会えるかな? 楽しみだなぁ」
ほっと息をつき、安心したように笑う花菱は俺と同い年のはずなのに、なんだかずっと子どもっぽく見えた。
花菱を校門まで見送り裏庭に戻ると、タイミングが悪いことに見覚えのある後ろ姿があった。
「桜井!」
振り向いて、目があった瞬間、桜井はなんだかすごーく心細そうで、今にでも泣き出してしまうんじゃないか、そんな情けない顔をした。
「どうしたんだよ、桜井? 何そんな悲しそうな顔してるんだ?」
桜井はうつむき、ぼそぼそと「すまない」とつぶやいた。
「何が?」
「便所掃除。一人で大変だっただろ? 俺が今日は便所掃除だって言ったのに。約束を守らない男。最低だな俺って」
「気にすんなよ。桜井が遅れてくるってことは何か理由があるんだろ? また呼び出されてたのか?」
「関口に。ちょっと廊下を走ったくらいで呼び止められて二時間説教だよ。解放されたあとダッシュで体育館まで行ったんだけど……て、これじゃただの言い訳だな。本当にすまない」
桜井は肩を落として暗い声で俺に謝る。俺にトイレ掃除をさせるはめになったのが申し訳ないのはわかるけど、たかだかトイレ掃除くらいでそこまで暗くなることないだろうに。お先真っ暗、人生終わりってわけじゃないんだから。責任感が強いと大変だな。
「そんな時もあるって。それに俺、一人でトイレ掃除してたわけじゃないしさ」
「あ?」
桜井が顔を上げて訝しげな顔をする。鋭い目付きに深く刻まれた眉間の皺。
桜井のこーゆー顔って普通の人なら眼もあわせられないくらいに怖いんだろうな。桜井とつるむようになって半年たつけど、俺だって時々びくつくときがある。
「一人じゃないって、誰か来てたのか?」
「うん。同じクラスの、知ってるかな? 花菱 聖って言うんだけど」
「花菱?」
桜井の眉が釣り上がり、眼がくわっと見開かれ、思わず身構える。
「……ごめん、俺、何か悪いこと、言った?」
「ああ、ごめんな。怖がらせようと思ったわけじゃないんだ。ちょっとびっくりしただけで」
「俺こそごめん。怖がって」
桜井は少しだけ微笑んでまたすぐ真顔に戻った。
「花菱って、生徒会長のあの花菱だよな?」
「その花菱だよ」
「あー、そう」
桜井は視線を落とし不機嫌そうに、
「あいつ……関口の息がかかった奴が、いったい何しに来やがったんだ」
「何って、園芸部の仮入部?」
てことにしてトイレ掃除を手伝ってくれたんだよな。結局花菱は何が目的で園芸部に来たんだろう。
「明日も来るって」
「はあ!?」
すごく嫌そうな声、表情にたじろぐ。俺、もしかして余計なことしたかな?
「あ、いや、反対してるわけじゃないんだ。別にいいんだけども」
「花菱、トイレ掃除しただけなのに『楽しかった』って言ってた。けっこう園芸部に興味持ってくれたみたいだったよ」
「そうか。そいつはよかった」
よかった、て言うならもう少し嬉しそうな顔をしたらいいのに。明らかに桜井は迷惑そうな顔をしている。
「花菱は桜井のこと良い奴みたいに言ってたよ」
珍しく桜井がきょとんと気の抜けた顔をした。「突然何を言いだすんだ」って顔だった。花菱と一緒にいたから唐突に話をする癖がうつったのかも。
「それがどうかしたのか?」
「いいや、別に」
花菱は桜井にも園芸部にも興味を持ってくれた。花菱はすごくいい奴なのに、よく知りもしないで、生徒会の人間だからって嫌な顔することないじゃないか。て、思っても口にすることは出来ない。ちょっと前の俺だって桜井のこと嫌だなって思ってたから。でもな。なんかな。そんなあからさまに嫌な顔することないのにな。
「ごめん」
桜井がまたなんだかすごく心許ないような、申し訳なさそうな顔で俺を見ていた。
「花菱は海生の友達なんだよな……それなのに嫌な顔してごめん」
桜井、嫌な顔してるって自覚はあったのか。
「俺、別に何も言ってないよ?」
「顔に出てた」
「そうか……何かごめん」
「いや、俺のほうこそ本当にごめん」
「いやいや……て、収拾つかなくなりそうだからやめよう」
なんとなく気まずい空気になって、お互い黙り込む。何か喋らなくちゃとは思っても、こういう時に自分から話をするの苦手なんだよな。ああ、ここに花菱がいてくれたら、底無しに明るい笑顔で場を和ませてくれるのに。あ、今は花菱のことで気まずくなったんだったな。
「今日はもう帰ろう」
桜井は自然な笑みを浮かべて言った。
「なんか食ってこうぜ。待たせちまったお詫びに奢るよ」
「おお、やった!」
桜井とつるみ始めて半年。まだまだ知らないことはたくさんある。花菱は俺と桜井のことを「親友」なんて言ってたけど、こんな微妙な関係を見てもあいつは俺らを親友だなんて言うんだろうか。
先に歩き始めた桜井の後ろを少しだけ離れて歩きながら、思った。