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 あれは忘れもしない、入学式のことだった。


 校長先生の長い話を聞き流しながら、これから始まる中学生活に期待と不安を感じてドキドキしていた。同じ小学校から来たやつなんていなかったら、人見知りで口下手な俺は友達出来るかななんてことをすごく心配していたっけ。


 だからその時、俺の隣に座っていたやつ(もう名前も思い出せない)に肩をとんとん叩かれたときは驚いた反面、ちょっと嬉しかった。


「何?」


「後ろ見てみろよ」


 言われた通り、後ろを振り返ってぎょっとした。体育館の入り口に顔の腫れ上がった目付きの悪い少年がいて、先生らしき人と何やら深刻そうに話していた。


 青い校章てことは俺らと同じ新入生なんだろうけど。


「あいつ知ってる? 桜井ていう不良なんだぜ」


「不良?」


「そう。小学校の頃から金髪だし、ピアス空いてるし。あいつしょっちゅう上級生や地元の中学生と喧嘩してたんだぜ。見ろよあの顔。今日も入学式来る前に誰かと喧嘩してんだ」


 確かに桜井の顔は不自然に腫れ上がっていた。なんだって入学式の前に喧嘩なんてしてくるんだろう。


「あいつ、桜井て言うの?」


「桜井 亮揮。あいつには気を付けた方がいいぞ。俺の通ってた学校でも桜井に泣かされた奴いっぱいいたんだ」


「へぇ……」


 なんとなく嫌な予感がしてちらりと空いている隣の席に目をやる。せっかくの入学式なのに欠席なんて気の毒だななんて思っていたけど、まさか……。


 先生が腰を屈めこそこそと俺らのクラスのとこにやってきた。もちろんあの不良・桜井を連れて。


「桜井くん、君の席はここだよ。真田くんの隣だ。入学式が終わったら必ず保健室に行くんだよ」


 嫌な予感的中。先生は桜井を残し去って行き、桜井は無言で俺の隣に腰かけた。


 隣のやつは桜井を恐れてか、もう話しかけてこなかった。


 俺は俺で恐怖のあまり体を震わせながら、絶対に左を向かないようにひたすら前を向いて、面白くもない校長先生の話に集中した。


「なぁ」


 左隣から声がした時は本当に心臓が止まりそうになった。


 向きたくない返事したくない、だけど無視したらきっとこれから始まる中学校生活が暗黒に染められてしまう。


 油の切れたブリキの人形よろしくゆっくりと左を向いた。


「何」


 努めて明るい声を出したつもりだったが、たぶん、裏返ってたと思う。


 桜井は真っ直ぐに俺を睨み付けて、自身の鼻から流れる血を指さし、


「ティッシュ持ってない?」


 気心知れた今だったらきっと「なにやってんだよ、桜井」とか笑い飛ばせたろうけど、今よりもっと気が弱い頃、ましてや初対面で相手は不良、まごつきながら必死でポケットに入れておいた真新しいティッシュを差し出した。


「あげる」


「ありがと」


 それきり左を向かなかった。もう二度と声をかけられませんようにと何かの神様に祈り、ひたすらに入学式が早く終わることを願った。


 それが桜井との出会い。同じクラスだったけど、桜井とはそれきりほとんど口を利かなかった。


 はじめの一週間くらいは桜井、真田で名前の順に席が決まってたから「おはよう」「じゃあな」の挨拶くらいはしたよ。ていってもいつもそれを言うのは桜井で、俺はおどおど返事をするだけだったから、席替えしてからは本当に全然口をきかなかった。


 桜井はけっこう真面目に授業を受けていた。


 時々遅刻して来ることはあったけど、桜井が遅刻するときはたいてい他校生と喧嘩をして生徒指導室に呼び出されたときらしい。だけど一年生の時に授業をサボったり、学校を休んだりなんてことはしたことないと思う。


 入学式の登場シーン見たときから、みんな桜井を恐れていた。


 あいつはヤバい、関わらない方がいいて思ってたから、クラスの連中は桜井を遠巻きにしていた。もちろん俺も。だから桜井はいつも一人でいた。一人で教室の一番後ろの席について、何が気に入らないのかいつもしかめっ面で窓の外を眺めていた。


 桜井と次に口をきいたのは去年の11月。


 2年になって桜井とはクラスが別れて、顔を合わせる機会もなくなったから、掃除の時間に裏庭であったときは思わず身構えた。だって絵に描いたような不良、桜井が人気のない裏庭にいたんだよ? 怖いじゃん。すごい怖いじゃん。


 しかも桜井は地面にうんこ座りっていうのか、コンビニとか路地裏とかでヤンキーが座り込んでるあのポーズ。今は和式のトイレが少なくなってきてるからあんま言わないのかもしれないけど。そんなことはどうでもよくて。


 しかも、しかも、その桜井の足下には、うつ伏せになって倒れてる人がいて、全然動かないんだ。ますます怖いじゃん。


 状況を見て、これは絶対に桜井が倒れてるヤツを殴って、気絶してる間に財布でもパクろうとしてるんだって、そう思った。


 身体はすくんだけど、逃げなくちゃ俺がヤバい。


 桜井に気付かれないようにそっと後退りした、次の瞬間パッと桜井が振り向いて、ばっちり目があった。


 終わった……。て思ったら、桜井が言ったんだ。


「真田、助けてくれ」


 逃げようとしたのにびっくりして思いがけず足が止まった。


 助けてくれて言われたのにもびっくりしたんだけど、それよりも桜井が俺の名前を覚えてたってことの方にびっくりだった。


「具合が悪くて倒れたんだ。保健室まで運ぶの手伝ってくれ」


「え?」


「俺一人で困ってたんだ。真田が来てくれてよかった」


「え? え?」


 何がなんやらよくわからなかったけど、とりあえず桜井を手伝って、倒れてるヤツを保健室まで運んだ。


 倒れていたのは桜井のクラスメイトで、園芸部の手伝いをしにきたら具合を悪くしたらしい。


 正直その話をきいたときは、桜井に部活動を手伝ってくれるような友達がいたなんて信じられなくて、かつあげしてる現場を俺に目撃されたから適当に嘘ついてるんじゃないかって思った。


 桜井のクラスメイトを保健室に運んだあと、俺は一刻も早くその場を去りたくてそわそわしてた。なのに桜井は先生が「大丈夫だから」って言うのに、ベッドの脇の丸椅子に腰掛けて、じっと気絶したクラスメイトの側についていた。


 帰るに帰れなくて、俺も少し離れたところに座って横目で桜井を観察した。


「こいつ、もともと身体が弱くてしょっちゅう倒れてるんだ。今日もあんまり顔色よくなかったから気にしてはいたんだけど、無理させちまったかな」


 困ったように眉を八の字に下げて、すごく申し訳なさそうな顔をする桜井は噂にきく血も涙もない学園一の不良とは程遠い姿だった。


 その時ようやく桜井の話は本当なんだって思った。


 桜井でも友達が倒れたらこんな情けない顔するんだってまじまじ見てたら、桜井が急に俺の方に顔を向けた。


「なんか、真田と話するの久しぶりだな」


 桜井はなんでもないみたいに言ってたけど、俺は内心ドキドキだった。


 久しぶりも何も一年生の同じクラスだった時からほとんど会話らしい会話なんてなかったのに、桜井はどういうつもりで言ってるんだろう。ひょっとして入学式以来、俺が桜井のこと怖がって避けてたのがばれたのか。


「一年時同じクラスだったよな。入学式のときに鼻血出してる俺に新品のポケットティッシュくれてさ。初対面なのに良い奴とか思ってたんだよ」


 でもそれは桜井が「ティッシュある?」って訊ねてきたからで、あの時話し掛けられなかったら俺はみずから進んでティッシュを差し出そうとはしなかっただろう。


「真田、あの頃からかなりでかい奴だったよな」


 思わず、「態度が!?」て聞き返しそうになった。どう考えたって身長のことだろうに、緊張のあまり思考回路がおかしくなってたんだよ。


「俺も中一にしてはけっこう背高いとは思ってたんだけど、真田見たときには負けたぁって思った」


「そう、なんだ」


 おまえ無駄に図体でかくてうぜぇんだよ、て言われてるのかと思って変な汗が出てきた。


「いくつあるんだ?」


「え?」


「身長」


「春の記録で、180、とかだった気がする」


「おー、すごいな。成長期だからまだまだ伸びるよな。2メートルも夢じゃないかもな」


 桜井はニッと笑って俺のことを褒めてくれた。


 俺はしどろもどろになりながら「そんなにはいらないよ」て言うのが精一杯、気のきいた返事も出来なかった。


 ごくあたりまえのことなんだけど、桜井も誰かを褒めたり冗談言ったり、人前で笑ったりするんだなってしみじみ思ったことを覚えてる。


 それから、何でか二人で裏庭に戻ってきた。


 その時には不思議とさっきまでの逃げ出したいような気持ちはなくて、なんとなくまだ一緒にいてもいいかなぁて気分になってた。


「悪かったな真田。掃除しに来たんだろ? 俺がやっとくから帰っていいぞ」


「や、でも、」


「俺のせいで時間とらせちまったんだからいいって。どーせ俺も裏庭の草むしりしなくちゃいけなかったし」


 草むしりて普通、用務員のおじさんがやってるもんじゃないか?


「何で桜井……くんが草むしりなんか」


「桜井でいいよ。君付けされると背中が痒くなる。俺、園芸部なんだよ。て言っても正式には認められてなくて、園芸部を認めてもらいたければ学校のために奉仕しろって、よく生徒指導部の先生からこうやって雑用任されんだ。やっぱり学校側からあんまいい顔されてなくてさ。まぁどーせ園芸部を認める気はないんだろうけど」


「なに、それ。何で園芸部作るのにそんなことしなきゃいけないんだよ。横暴じゃん」


「そりゃ園芸部作りたいって言ったのが真田みたいな真面目なヤツならけっこう簡単に認めてくれただろうけど、俺みたいなのが『園芸部作りたいんです』なんていって、『はい、そうですか』とはいかないだろ。実際、何を企んでるて問いただされたし」


 俺みたいなのていう、自嘲的な言い方がちょっと気になった。


「何で園芸部を作りたいんだ?」


「んー……俺、裏庭に花壇を作りたいんだ。一年ときから気になっててさ。ここって人がより付かないイメージあるけど、実はけっこう人の出入りがあってさ、昼飯食ってるヤツもいるんだよ。ここに花壇とかあったら、憩いの場っぽくなって、もっといいんじゃないかなって。裏庭に置き去りにされるゴミなんかも多いけど、花壇があればゴミを捨ててくヤツも減るだろうしな」


「裏庭事情に詳しいな」


「一年時の教室て窓が裏庭に面してたから」


 一年の時、桜井が窓の外を眺めていたのはそういう理由だったのか。


「花壇作るには色々と材料が必要だから、早く正式な部として認めてもらって学校から補助金出してもらえるようにしたいんだ」


 そう語る桜井の目はすごく真剣で、それでいてどこか楽しそうだった。


「桜井て、すごいな」


「どこが。何もすごいことなんかしてねーよ」


 桜井は否定したけど、その時、俺は本気ですごいって思った。


 裏庭がゴミまみれだなんてそれまで知らなかったし、知ってたとしても、だから何? って感じでなんとも思わなかっただろう。だけど桜井は何とかしようって考えて、自分一人で頑張ってる。


 桜井が園芸部を作りたがってるのはいわば学校のためなのに、学校側は知らないで、桜井に雑用ばっかりやらせて、それでも桜井は文句一つ言わずに頑張ってて、それってそんな簡単に出来ることじゃないよなって思って。


「やっぱ桜井すごいよ」


「そうか?」


「そうだよ」


「そっか。ありがとな」


 桜井はそこで照れたみたいに笑った。学園一の不良なんて微塵も感じさせない、俺と同じ、14歳の普通の中学生の顔をしてた。


 すごく単純なんだけど、保健室行って帰ってくるその短い時間で桜井の印象がすごく変わったんだ。桜井て見た目は怖いけど、本当はすごいいいヤツなんじゃないかって、そう思って。


「桜井、草むしり一人でやるのか?」


「俺意外に園芸部員いないしな」


「俺も手伝っていい?」


「は?」


「……いや、迷惑ならやめるけど。一人より二人のが早く終わるかなぁと」


「や、迷惑ではないけど」


「なら、手伝うよ」


 桜井はまだ何か言いたそうだったけど、無視して勝手に草むしりを始めた。


 桜井はじーっと俺を見下ろして、少ししてから言った。


「真田は俺のこと怖くないの?」


「え?」


 桜井は俺の前にしゃがみこんで真っ直ぐ俺を見ていた。桜井の目を真正面から見たことなんかなかったから、鋭い目付きに背中がゾクッとした。


 恐怖を感じて目を逸らしたくなったけど、それをやったら桜井に軽蔑されるだろうって思ったから、頑張って笑顔を作って、なんとか答えた。


「怖くないよ?」


 桜井は視線を外して、「気を悪くしないでほしいんだけど、」と前置きして、


「俺、真田に嫌われてると思ってた」


 心臓が飛び上がって、言葉につまった。


「……俺ってこんなんだから、人に嫌われたり避けられたりするの慣れてるからいいんだけどさ。入学式で席が隣同士になった時から、真田、俺のこと見て泣きそうな顔してたよな。たまに廊下とかですれ違うと思いっきり身体に力入れて緊張してるのわかったし。ああ、俺、嫌われてんだ。まぁ仕方ねーよなってずっと思ってたんだよ」


 桜井の言葉に何も言えなかった。全部本当のことだったから。気付かれてないだろうとか思ってたけど、桜井は全部知ってて、何も言わないでいただけだったんだ。


 あの頃の桜井てどんな気持ちだったんだろう。今考えると嫌なヤツだなって自分でも思う。


「さっきだって、ここに真田が来てくれたとき、声をかけたら絶対走って逃げるだろうと思った」


 実際逃げようとしてたから、否定はしなかった。


「だけど真田は逃げないで俺のこと手伝ってくれたよな。保健室でも先に帰ってもよかったのにあいつのこと心配してか一緒に待っててくれたし、俺が話し掛けても嫌な顔しなかった」


 それは違う! そう言いたかったけど、言えなかった。ここで否定したら桜井はどんな顔するかな? そう思ったら言えなかった。


「俺、真田のこと誤解してた。真田はただ単にに人見知りなだけだったんだな」


 それも違うんだけど、いや人見知りはするけど桜井に対する態度は人見知りからじゃなくて、でもそう言ったらもう口きいてもらえないかもしれないと思ったらやっぱり何にも言えなかった。


「だから今、ちょっと。というより、かなり嬉しいんだ」


 桜井は馬鹿みたいに真面目な顔で、


「俺、嫌われてなかったんだーって、何か、安心した」


 それから「なに言ってんだかな」て桜井は笑ってたけど、俺は笑えなかった。


 桜井は優しい奴だから、もしかしたらあの時俺が「怖くない」って言ったの嘘だって気付いてたのに、わざと気付いてない振りをしてくれたのかもしれない。


 たったそれだけの短い時間だったけど、桜井といて俺がどんなに小さくて、ずるくて卑怯な人間か思いしらされた。同時に桜井っていう人間にすごく興味を持ったんだ。花菱的なストレートな言い方をするならたぶん、桜井を好きになったんだと思う。もちろん変な意味じゃなくてな。


 もっと桜井のこと知りたいなって思ったのと、今まであいつに対してすごく失礼な態度とってきたその罪滅ぼしも兼ねて、園芸部に入ったんだ。


 ちょっと前の俺みたいに桜井のことを知らないヤツは俺が桜井に脅されて園芸部に入ったんだと思ってる。奴等は桜井を悪く言うけど、俺は責めたり咎めたりすることは出来ないんだ。ちょっと前は俺だって同じようなもんだったんだから。いつかあいつらにも桜井が本当はどんなヤツなのかわかってもらえたらいいんだけどさ。



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