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放課後、花菱をつれて裏庭へ行った。
いつも授業が終わった後、必ずここに集合することになっている。一度裏庭に集合して、出来ることがあったら活動、出来ることが何もなかったらその日は解散。
今日は関口先生から体育館の脇にある、使用禁止のトイレの掃除をするように言われている。何で使用禁止のトイレを掃除する必要があるんだよという文句は飲み込み、いつものとこに集合なと約束したのは一限終了後の休み時間だった。
真面目で几帳面なあいつが約束を忘れるわけがないのに、裏庭に来てから30分、桜井はまだ現れない。
「どうしたんだろうね、桜井くん」
「わからない」
「忘れちゃったのかな」
「桜井に限ってそんなことはない」
「じゃあ、トイレ掃除が嫌で逃げ出したとか」
「もっとないな。あいつはそんな無責任なヤツじゃないよ」
「ふーん。そうなのかー」
視線を感じて、顔を横に向ける。花菱がニコニコ笑いながら俺を見ていた。
「何?」
「海生は、桜井くんのこと、すごく信頼してるんだね」
「へ?」
信頼。確かに同じ部活の仲間だし、桜井は良い奴だし、信頼はしてるけども、そんなのわざわざ口に出して確認するものでもないだろう。
「花菱は恥ずかしくならないのか?」
「ん? 何が?」
「『信頼してるんだね』って。昼間だって倉本のこと『いい子』とか言ってたし、何かその表現が気になって。聞いてると時々恥ずかしくなるというか」
「そうかな? じゃあ、言い換えようか」
空を見上げ、うーんと唸りながら花菱は代わりの言葉を考えだした。
「桜井くんと海生は『仲良し』なんだね。これでどう?」
「いや、その、」
仲良し、って。中二男子が口にする言葉じゃないだろ。
「ダメか。じゃあ、次はね」
「花菱、もういいから」
「そう? まあね、とにかく海生は桜井くんと仲良しで、信頼しあってて、いい友達で、なんだか羨ましいなって話さ」
もういいって言ったのに。最後にまとめるなよ。
「桜井くんが来るまでまだ時間かかりそうだからさ、先に掃除しちゃったほうがいいんじゃないかな。僕も手伝うから」
「え? いいよ。花菱は帰りな。きっともう少しすれば桜井来ると思うし、とりあえず俺一人で掃除するから」
園芸部でもない、ましてや関口先生が顧問を務める生徒会の会長さまにトイレ掃除なんてさせられない。
「気にしないでいいんだよ。僕が好きで言ってるんだから。ただぼーっと桜井くん待ってるだけじゃ時間がもったいないでしょ」
「いや、でもさ」
「じゃあ、こうしよう。今日僕は仮入部にきたってことで、園芸部の仕事の一巻として、トイレ掃除もする。ほら、これなら問題ないよ」
「そうかな」
「そうだよ。話してる時間がもったいないよ。早く体育館に行こう!」
声をかける間もなく花菱は体育館に向かって走っていってしまった。
あんな勢い良く走っていって、あいつ途中で転ばなきゃいいけど。
用務員のおじさんから掃除に必要な道具、バケツやらモップやら雑巾やら、ついでにマスクとゴム手袋を借りて、俺たち二人はトイレ掃除を開始した。
使用禁止のいわく有りげなトイレなんていうから、汚くて臭くて目もあてられないひどい有様を想像してびくびくしていたのに、実際中に入ってみると以外と綺麗でなんだか拍子抜けしてしまった。ここ二年ばかし使われていないとか言ってたっけ。使う人がいないとトイレが汚れることもないか。
「ね、何でこのトイレ使用禁止になったか知ってる?」
「知らない。花菱は知ってるのか?」
「そりゃもちろん」と花菱は得意げに笑った。
「あのね、夏の暑い日にこのトイレの前を通るとね、とてもおぞましい声が聞こえるんだよ。誰かが苦しそうに呻いてる声が」
たぶん、これは怖い話なんだろうけど、ニコニコ顔の花菱がお伽話でも聞かせるみたいに話すから、ちっとも怖くない。しかし、怖い話が苦手な俺にとっては逆にありがたい。
「本当の話か?」
「本当だよ。何人もの人が聞いたって話だし、僕だってこの耳でばっちり聞いたもの」
「うぇー、まじかよ。どんな声がしたんだ?」
「なんかね、お酒飲み過ぎたおじさんがトイレで便器にしがみつきながら、胃のなかのものを必死に吐き出してる時の、あの苦しそうな声だったよ」
「なんじゃそりゃ」
「あんまり苦しそうだったから心配になって、中を覗き込んで『大丈夫ですかー?』て声をかけたんだ。少しだけ荒い息遣いが聞こえたんだけど、返事はなくて。待てど暮らせど誰も出てこなかったから、おかしいなと思って先生に報告したんだ。そしたら僕の他にもあのトイレはおかしいって言ってる人たちがいたらしくて、先生たちがすぐにトイレを調べに行ったんだけど、トイレには誰もいなくて、残っていたのは胃液特有のあの酸っぱい香りだけだったんだって」
「やーめーろーよー。怖いうえに汚い話は嫌いなんだ」
「そんなことがあって以来、ここは使用禁止になったんだよ」
全然知らなかった。というか知りたくなかった。そんな話聞いちゃったら落ち着いてトイレ掃除なんかできないじゃん。
「あの声の主は人間だったのかな。それとも人ならざぬ何かだったのかな」
「花菱、やめろっての」
「ごめんごめん」と謝りながらも花菱の顔は笑ってる。絶対悪いとか思ってない。
とにかく早く掃除を終わらせて、とっととこの場を離れなくては。
「どうして海生は園芸部に入ったの?」
トイレのおっさんから、またすっごい話が飛んだなー。
「植物とか好きなの?」
「いや、そんなに興味はない」
「不思議なんだよね。僕も噂で聞いた程度だけど、園芸部って関口先生に睨まれて、しょっちゅうこんな嫌がらせみたいな雑用させられてるんでしょ? 毎回部活動が掃除とか雑用とかで、嫌にならないの?」
「そりゃあ嫌だけどさ、仕方ないんだ。関口先生に逆らったら活動自体停止されると思うし。園芸部を認めてもらうためにはどんなことでも頑張らなくちゃ。それに俺なんか、桜井に比べたら睨まれてるうちになんか入らないし。部長の桜井が頑張るって決めたんだから、部員の俺は黙って桜井についてくだけさ」
「そうなんだ」
花菱はまた嬉しそうにニコニコ笑って、
「海生は本当に桜井くんのこと、」
「あ、それ以上言わなくていいから」
「何で?」
「恥ずかしいから」
花菱は目を丸くして不思議そうな顔した。「何が恥ずかしいんだろう」とでも言いたげな顔だった。
「でも本当に仲良いんだね。海生と桜井くんて一年生の時から仲良しなの?」
だから、仲良して言うなよ。
「一年生の時は全然」
「仲悪かったんだ?」
「悪いというか、交流がなかったんだよ。半年前までほとんど口をきいたこともなかった」
「なら余計に不思議だね。何で海生は園芸部に入ったの? 何がきっかけで桜井くんと友達になったの?」
花菱の目が好奇心からかキラキラと輝いている。
「花菱はさ、桜井のことどう思ってる?」
「どうって?」
こんなこと聞いていいのかどうかわからないけど、
「桜井のこと怖いと思ったことはない?」
「何でそう思うの?」
「何でって、そりゃ桜井が不良だからだよ」
今更こんなこと説明したってしょうがないと思うんだけど、桜井は学園一の不良として恐れられている。
短く切った髪を金(と言うか黄色?)に染め、まだ中学生なのに両耳に二つずつピアスをつけて、蛇のような目つきで周りを威嚇(?)し、しょっちゅう他校の生徒に呼び出されては喧嘩をし、勝ってんだか負けてんだかはよくわからないけれど、土と血と埃にまみれてボロボロになっている。
うちの学校は自由な校風が売りだから、服装や髪形の規定など、他の中学に比べたらそんなにうるさくないと思う。だけど、桜井の何処にいてもわかる派手な格好は「自由」を通り越して「無秩序」だと、先生方はあまりいい顔をしない。ましてや他校生との喧嘩などもっての外だと、桜井は少なくとも週に三回は生徒指導室に呼び出されている。と言っても、それをするのは桜井に入学当初から目を付けている生徒指導部部長の関口先生だけで、他の先生はなるべく桜井と関わりを持たないよう避けているようだ。幸い、桜井が他校生と喧嘩をしているという決定的な証拠がないため、これまでのとこ停学だの退学だの大きな事にはなっていない。
俺ら園芸部が生徒指導部の先生方によく思われていないのも、そういうわけだ。
「なるほどね……僕ね、桜井くんと小学校一緒だったから少し知ってるんだ。彼は小学生の頃からあんな感じだったよ。見た目が派手で、いっつも誰かに殴られたみたいな怪我してて。僕は桜井くんと同じクラスになったことがないからよく知らないけど、クラスに友達もいなくてずっと一人だったって。みんな桜井くんのこと怖がってたよ」
「で、花菱は?」
何でだかよくわからないけど、花菱には『怖い』て言ってほしくなかった。あの倉本のことですら『いい子』と言った花菱なら、きっと桜井のことも『いいヤツ』だって言ってくれるだろう。そうであって欲しい。
「そうだねー、怖いと思ったことはないよ。僕は桜井くんに何かされたわけじゃないから。確かに桜井くん目つきは悪いし、ちょっと近づきがたい雰囲気あるし、あまりいい噂も聞かないけど、園芸部を設立して花壇を作ろうなんて頑張ってるくらいだから、悪い人ではないんだろうなって思ってる。それに、桜井くんは海生の友達なんでしょ?」
花菱は優しい微笑みを俺に向けて言う。
「海生は優しくて、真面目で、とても真っすぐないい子だから。そんな海生の友達だもの、桜井くんもきっと、すごく、いい子だよね」
「そうじゃない?」と尋ねられても、俺はすぐに返事が出来なかった。なんだか花菱がすごくかっこよく見えた。と同時に何だかすごく恥ずかしくなって、身体中がものすっごい熱くなってきた。
「あれ? どうしたの海生? 顔が真っ赤だよ?」
「なんていうか、花菱って、すごいな。なんかもう色んな意味ですごいよ。おまえ最強だよ」
もし、桜井本人が聞いたらどう思うだろう。あいつも顔真っ赤にしてすごい慌てるかな。それとも嬉しそうに、照れたように笑うかな。案外何事もなかったようにスルーしたりして。
「海生は、桜井くんのこと怖いと思ってたの?」
「え?」
「怖いと思ってたから、一年生の時は交流がなかったのかな?」
花菱の綺麗なまん丸の目にとらわれて、一瞬言葉につまる。でも、嘘ついたって仕方ない。
「そうだよ」
「でも今は怖くないんでしょ? 仲良しだもんね」
「……花菱、頼むから仲良していうのやめて」
なんか力が抜ける。
「二人は何がきっかけで、今みたいな関係になったの?」
「たいしたことじゃないんだよ」
「でも聞きたいなぁ」
「別におもしろい話じゃないぞ」
「それでも。海生が嫌じゃなかったら。桜井くんが来るまででもいいから、聞きたいなぁ」
ならば掃除を手伝ってくれたお礼も兼ねて、眼鏡の奥をきらきらさせる花菱の好奇心を満たしてやるか。
「少し長くなるけど」と前置きをしてから、俺が園芸部に入ったいきさつを話して聞かせた。