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 うちの母親は女の子には女の子らしい習いごとをさせたがってさ、ピアノもその一つだった。


 お前も見ただろ、アルバムに貼ってあったピアノを弾いてる写真。


 姉貴達は楽しくて喜んでやってたらしいけど、あたしはピアノが、てか他のも含めて『習いごと』っていうのがものすごく嫌だった。


 おとなしくしてなきゃいけないのはもちろん、あの格好、ひらひらのワンピースに、背中まで伸ばした長い髪の毛がとにかくうっとおしくて大ッ嫌いだったんだ。その頃から女の子って面倒な生き物だなって気持ちはあった。


 ただあたしは負けず嫌いだったから、同じ習いごとをしている姉貴達が誉められるとすごく悔しくて、負けるもんかって思って、頑張ったんだ。


 あの日、あたしの初めてのピアノの発表会があってな。父親も母親もはりきって、せっかくだからじいさん・ばあさんに海生たちも呼んで、みんなで行こうってことになってたんだよ。 前日の夜から姉貴たちはじいさんちに泊って、あたしらは海生の家に泊まった。


 次の日、本番当日は、朝からとにかく忙しくてな。


 おばさんは家のことしなくちゃいけないだろ? 父親はビデオカメラの点検とか、なんとかして。あたしは母親に鏡の前で拘束されてさ。だーれも海生のことを気にかける人がいなかった。それがいけなかったんだよな。


 髪も綺麗にしてもらったし、おニューのワンピースも着たし、あとは出かける時間まで待つばかりと、ひと段落ついたところで、あたしは初めて海生の姿が見えないことに気づいたんだ。


 みんな忙しく動いてて、海生にかまってやれなかったからな、一人で遊んでるんじゃないかって思って庭に出たら、確かにお前はそこにいたんだ。


 木の上で「ハルちゃん、助けてぇ!」て泣いてるお前がな……思いだしてきたか?


 あれは確か、おじさんに買ってもらったブーメランを投げて遊んでたら、運悪く庭の木にひっかかっちゃって、木をゆすっても叩いても落ちてこないからって、木に登ったら降りられなくなっちゃった……て話じゃなかったか?


 大人を呼ぶっていう手もあったんだけど、「この忙しいときに余計な手間かけさせないで!」って2人まとめて怒られるのは目に見えてたからさ、あたしが自分で助けに行くことにしたんだ。


 母親にはいい顔されてなかったけど、あたしは木登り得意だったし、海生のとこまでは苦労なく辿りついたよ。


 あんなにびーびー泣いてた海生も、あたしがあっという間に登ってきたもんだから、泣くのも忘れて「すごーい」って感心してたな。


 「海生、もう大丈夫だよ。こっちにおいで」って。


 あたしが手を伸ばしても、海生は木から離れるのを怖がって、なかなか手をとれないでいた。


「大丈夫だから。手を出して」


 海生は2回目で、思いきって木から手を放し、抱きついてきた。


 でもまさかそんな勢いよく抱きつかれるとは思ってもみなかったからさ、バランス崩して、そのまま二人で木から落ちた。


 頭を打ったわけじゃないし、たいした高さから落ちたでもなかったから、擦り傷程度ですんだけど、髪も顔もおろしたばかりのワンピースも、木と土と埃にまみれて真っ黒に汚れちまった。


 海生は、またわんわん泣き出して。


 騒ぎに気付いた大人たちが庭に出てきた。父親とおばさんは真っ先に泣いてる海生と、へたり込んでるあたしに駆け寄った。


 どうした? 何があった? 怪我をしてるのか? どこが痛い? って、質問責め。


 まあ、普通だよな。けど、うちの母親は普通じゃないからさ、大股で近づいてきて、あたしのことを見おろすと、大きなため息一つついて、


「これじゃあ発表会に行けないじゃないの」


 娘の体の心配より、発表会のが大事かよって思った。しかも続けて、


「こんな大事な日に何してんのよ? 何でこうなるのよ? どうしてお姉ちゃんたちみたいに女の子らしく出来ないのよ? あんたお母さんに嫌がらせでもしたいの?」


 そんなこと言われても、咄嗟に言葉が出ないよな。でも、とにかく理由を説明しなきゃと思って、つい言っちまったんだ。いつも怒られてたのに、言っちゃいけないってわかってたのに、つい、「だって……」てな。


 案の定、


「いいわけするんじゃないっ!」


 って頬を引っぱたかれた。


「お母さんが今、どんな気持ちかあんたにわかる!? 今日はあんたの発表会だからって、お父さんは仕事を休んだし、お母さんだって何カ月も前から準備をしてたのよ? おじいちゃん、おばあちゃんも楽しみにしてくれてたのに。みんなあんたのために、忙しい時間を割いてくれたのに、あんた自分でそれを駄目にしたんだからねっ! わかってんの!?」


 ヒステリックに怒鳴られて、本当にもう何も言えなかった。父親もおばさんも、泣いてた海生も驚いて、ポカンとしてた。


「……こんなのが女の子なんて信じられない。こんな子に育つなんて、どうせなら男の子を産めばよかったわっ」


 そう言い捨てて、母親は家の中に戻って行った。ピアノ教室に発表会は休みますとか、じいさんの家に今日は取りやめだとか電話をかけにいったみたいだった。


 それからまた海生がぐじぐじ泣き出したから、とにかく家に入ろうって、連れていかれて。


 おばさんに、お風呂を沸かすからとりあえず顔だけ洗って子ども部屋で待っててって言われて、海生と2人で2階に上がったんだ。


 海生は、いつまでも泣いてた。


 あたしは海生を慰める余裕もなくて、ずっと母親に言われた言葉を考えてた。


 「男の子を産めばよかった」って。こっちだって好きで女に産まれたわけじゃない。だけど、あたしはあたしなりに、嫌だったけど、頑張ってきたのにさ。


 あたしは悪いことしてないじゃん。いいわけしようとしたわけでもないんだぜ?


 身体の心配はしてくれないし、話も聞いてくれないで、一方的に怒鳴られて。悲しくて、悔しくて、涙が出てきた。


 そしたら、隣で海生が、「ハルちゃん、ごめんね」って泣きながら謝るのが聞こえてきて、胸がぎゅーっとなった。


 結局さ、何が悪いって、あたしが「女」に産まれたことが悪いんだよな。


 あたしが「女」じゃなかったら、ピアノなんてしなかったし、発表会もなかったし、海生が木に登って降りられなくなったのを助けて泥だらけになったって怒鳴られたりしなかった。


 あいつだって言ったじゃん。「男の子を産めばよかった」って。


 だったら、お望み通り、「男」になってやろうじゃん。


 今思い返すと、かなりぶっとんだ思考だよな。なんか、もう、色々ぐちゃぐちゃだったんだよ。どーでもよくなってたんだよ。


 だから髪を切ることにした。「脱・女の子」をするのに、他に思いつかなかったし。


 でもな、そう決めてもどっかで冷静な部分があって、そんなことしたらすっげー怒られるんだろうなぁとか、そんなことしたらまた海生もとばっちりくらうんじゃないかなぁとか、考えて。


 あれは、お前のせいじゃない。あたしは、そう思ってた。や、今でもそう思ってる。


 なのに、隣に座るおまえが涙と鼻水と涎で顔ぐちゃぐちゃにして「ごめんなさい」って繰り返してるの見たら、居たたまれなくて。


 あたしがまた馬鹿なことやって、お前が泣くの見たくなかった。


 だから、お前には先に言っとこうと思ったんだ。


 しばらく会えなくなるけど、泣くなよって。


 お前は「やだやだやだー!!」ってすっごい泣いて、狂ったみたいに泣いて、余計なこと言うんじゃなかったってちょっと後悔して、また泣きたくなって、無理矢理約束させたんだ。


 強くたくましくなったら会いに来るからって。お前はしぶしぶ約束したよ。あとは、知っての通り。



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