３０
情けない顔はしない。ここんとこ、ハルちゃんに桜井のことで話聞いてもらったばっかりなんだから。これ以上、ハルちゃんにカッコ悪いとこ見せたくない。
と思っていたのにも関わらず、
「おー、どうした海生。何を泣きそうな顔してんだ？」
「ただいまー」と玄関入ってすぐ目の前、階段の一番上に座って目を丸くしたハルちゃんにそう言われてしまった。
せっかく決意したのに、ここまで頑張って我慢してきたのに……。
「ハルちゃんのばかぁ！ 空気読んでよぉ～」
あ、もう駄目。桜井と別れたあとからずっと堪えていた涙が、ダムが決壊したみたいに両目からだーっと溢れ出てきた。
泣いてるとこ見られたくないのに、一度決壊したダムはすぐには直らない。涙は俺の意思に反して止めどなく流れる。
ハルちゃんがじっと俺を見ているのがわかったから、俯いた。
せめて声だけは洩らさないようにと唇を噛み締めるが、鼻がつまって呼吸がうまくできない。
考えたくないのに、思い出したくないのに、頭の中で桜井や倉本の言葉が勝手にリピートされる。
辛い。苦しい。カッコ悪い。情けない。駄目だ。全然ダメだ。俺、何やってんだろう。こんなんじゃ、ハルちゃんに呆れられちゃう。
「海生、おいで」
顔をあげると、ハルちゃんが階段の一番上で微笑みながら、俺に手招きしていた。
「そんなとこで泣いてないで、こっちへおいで」
ハルちゃんの優しい声に胸がますます苦しくなって、呼吸をするために開いた口から同時に嗚咽がもれてしまった。
「海生」
再度名前を呼ばれ、俺は最後の悪あがきでもう一度目を擦り、靴を脱いだ。
ふらふらする身体。落ちないように手すりにつかまりながら、ゆっくり階段を上がる。
ハルちゃんの隣に腰かけて、鼻をすすった。
「で、どうした？ 桜井くんに何か言われたのか？」
何で。
「なん、で、さく、らい、て、わ、かっ、たの」
泣きながら喋るから息が続かなくて、変なとこで言葉が切れる。
「何となく。お前がこんなにびーびー泣くのは大好きな桜井くん絡みじゃないかとな」
大好きとか、そういう恥ずかしいこと言うのやめようよ。そう言う気力もなかった。
「……そう、だ」
「うん？」
「おれ、さくらい、のこと、すきだ、ったんだ」
周りが何を言おうと自分の意志を貫くために一人で戦っていた桜井に憧れてた。
嫌な顔せず雑務をこなし、いつでも俺のことを気にかけてくれた尊敬してた。
「嫌われてなくてよかった」って。
そう言ってくれたことが、嬉しかった。
桜井と友達になれたことが、本当に嬉しかったんだ。
それなのに……。
「とりあえず気がすむまで泣け。落ち着いたら話聞いてやるから」
ハルちゃんはそう言って、俺を抱き寄せた。
ハルちゃんの胸に耳を寄せる。トクン、トクンと心臓の動く音が聞こえる。
心臓の刻む一定のリズムにあわせるように、とん、とん、とハルちゃんは軽く背中を叩く。
こんなとこ母ちゃんに見られたら、
「海生は本当にハルちゃんが大好きな甘えん坊ね」
なんて笑われそうだ。
でも、何でか今は、それでもいいやって気分だった。
ハルちゃんの心臓の音と背中を叩く一定のリズム。ハルちゃんの温かくて柔らかくていい匂いがする身体。すごく安心した。
ハルちゃんに抱き締めてもらったら、さっきまでの辛くて苦しくて悲しい気持ちが、じわじわと温められてとけていく感じがした。
「ごめん、ね」
「気にすんな」
「もうちょっと、したら」
「お前が落ち着くまでこうしてやるから、焦るな」
ハルちゃんにすがりつきながら、目を閉じた。
頭がボーッとする。身体が重い。
――この感じ、覚えがある。いつだったか、同じようなことがあったような気がしなくもない。
あれは、いつのことだろう……？
