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 倉本、恐ろしい奴。何度も何度もため息をついて、いつもの倍の距離をとぼとぼ歩いて帰った。いつもの倍、疲れた。


 ようやく家の明かりが見えた頃、外灯の下で誰かが立ち話してるのに気付いた。一人はハルちゃん。と、もう一人は誰だろう?


「おお、遅かったな」


 俺が声をかける前に、ハルちゃんが先に言った。


「ただいま」


 ハルちゃんの向かい側に視線を投げ掛ける。


 外灯の下にいるせいかやけに青白く見える男。大学生くらい。ハルちゃんの友達?


「皆川、海生」


 ハルちゃんが顎で交互に俺らを示し、お互いに「ああ」と納得する。そうか、この人が。


「こんばんは」


「どうも」


「昨日はありがとうね」


「あ、いえ、」


 人見知りがちで口下手な俺はこういう時、うまく会話ができない。緊張のせいかなんだかどもってしまうのだ。


 皆川さんは俺のことを爪先から頭のてっぺんまで舐めるように見て、笑った。


「背、高いんだね」


「はぁ、まぁ」


「海生、早く入りな。今日はカレーだって」


 気をつかってか、話の邪魔だったのかハルちゃんがそう言ってくれた。


 皆川さんに軽く会釈し、中に入ると玄関で仁王立ちする母ちゃんに出迎えられた。


「見た?」


「何を?」


「ハルちゃん。と、その彼氏」


「彼氏? ああ皆川さんのことか」


「あの人、皆川くんて言うの?」


「そう。でも彼氏じゃないよ。友達だってハルちゃんは言ってた」


「本当に?」


「本当だよ。それにこれから男になろうって言ってるハルちゃんに彼氏なんているわけないじゃないか」


「あ、そうか」


「何惚けたこと言ってんだよ」


 脇をすり抜け階段を上がる。


「着替えたらすぐに降りてきなさいよ。ご飯にするから」


 部屋の中は当たり前だけど真っ暗だった。鞄を放り投げるとそのままベッドに倒れ込む。


 目を閉じると、朝、桜井とあったところから、倉本と別れるまでの一日の出来事が断片的に蘇る。


 特に印象的で強く記憶に残っているのは強気な花菱の発言、終始顔が怖かった桜井、それから倉本の発した非情な言葉の数々。


 人間好き嫌いあるから仕方ないといえば仕方ない。でも、気にくわないって理由であんなボロクソに人のこと罵倒していいはずがない。だけど、倉本はまったくもってそれを悪いことだと思っていない。悪いのは俺の方だって言われた。そんな話あるかっての。


 そういえばショックのほうが大きくて、倉本に何にも言い返せなかったな。


「性悪自己チュー野郎め。頭のおかしい奇人変人はお前の方じゃないか」


 ……やめよう。誰もいない部屋で悪態ついても虚しくなるだけだ。


 花菱は何であんな奴のこと「いい子」なんて言ったんだろう。全然いい子なんかじゃない、最悪な奴じゃないか。


 倉本は桜井のこと嘘を吐いてるなんて言ってたけど、それ言うなら花菱のほうがよっぽど嘘つきだ。


 もう、花菱の言うこと信用しない方がいいかな。


「暗い部屋で何やってんだ?」


 ハルちゃんの声がしたのとともに明かりがつけられ、まぶしくて一瞬目を閉じてしまう。


「おばさんが呼んでるぞ。飯にするから早く来いって」


「ああ、うん」


 でも何だかすぐには動きたくない気分だったり。のろのろと体を起こし、上着を脱ぐ。


「何かあったか?」


「え? 何で?」


「元気ないじゃん」


「そんなことないよ」


 ハルちゃんは俺の頭に手を置くと、わしゃわしゃと髪を撫で回した。


「海生は昔からこれ好きだったよな。何かあるといつもこれをやって、最初のうちは安心するのか笑ってるんだけど、そのうちに泣き出して、近所の悪ガキにいじわるされたーとか言うんだ」


「そんなこともあったね」


 目を閉じてハルちゃんの手の暖かさを感じとる。何だろう、ただそれだけで本当に心のギスギスした部分が丸く落ち着いてきた気がする。


「ありがとハルちゃん。ちょっと落ち着いた」


「やっぱ何かあったんだな」


「うん。でも大丈夫」


 昨日の今日で桜井に関することで落ち込んでるなんて話したら、また女々しいって言われるかもしれないしな。


「皆川さん来てたんだね」


「おう。あいつ驚いてたぞ。海生が想像以上に男前だったって」


 皆川さんは俺のことどんな奴だと想像してたんだろう。


「そういえば……昨日の話は聞けたの?」


 ちょっとドキドキしながら尋ねるとハルちゃんは首を横に振った。


「いや、また明日話すって」


「明日?」


「久しぶりに二人で遊びに行こうって。映画見て適当に買い物でもして、飯でも食おうって」


 ハルちゃんは軽く言ってのける。が、


「それってデート?」


「デート? いや、そんな雰囲気じゃねーだろ。なんせ俺と皆川だからな」


 ハルちゃんはケラケラ笑っているが、俺は笑えない。


「でも二人で行くんだろ?」


「そうだよ」


「じゃあやっぱりデートじゃん」


「だから違うって。友達と二人で遊びに行くだけなんだから。お前だって桜井くんと二人で遊びに行ったりするだろ? それと一緒だよ」


 その例えはあまりよろしくない。だって俺と桜井は、二人で気軽に遊びに行くような仲じゃないから。説得力に欠ける。


「ハルちゃん、男になるって自覚あるの?」


「もちろん」


「だったら何でこれから性転換する予定の女が、男とデートになんて行くんだよ」


「だーかーら、デートじゃないっての。何回言えばわかるんだよ」


「ハルちゃんにとってはデートじゃなくても、皆川さんにとってはデートだよ」


「お前もしつこいね」


 ハルちゃんは呆れたような目で俺を見下ろしため息をつく。


「だいたいにして俺が誰と遊びに行こうと俺の勝手だろ。何でお前がムキになるんだよ」


「俺はハルちゃんの弟分として心配してやってるんじゃないか。何かあったらどうするの?」


「何かって何だよ? 何を心配してんだよ。そんなこと言って、お前さ」


 ハルちゃんはニヤニヤ笑いながら身をかがめ、俺と目線を合わせて言った。


「俺が他の男と出掛けるのに、ヤキモチやいてんじゃねーの?」


 咄嗟に返す言葉が出てこなかった。ハルちゃんはさらにニヤニヤしながら、「図星か?」と俺の頭を片手でぐしゃぐしゃ撫でた。


「そんなんじゃない。何言ってんの。ハルちゃんちょっと自意識過剰だよ」


 手を振り払い、下を向いて部屋を出る。


「そりゃあ悪かったな」


 軽い調子。全然悪いと思ってない。俺は本気でハルちゃんのこと心配してるのに、ハルちゃんのこと思って言ってんのに、真面目に話をしてるのに。


「海生、」


 ハルちゃんの手が背中に触れる。


「怒ったか? ごめん」


 さっきとは違う。ちょっと不安そうな声。謝るなら始めからあんなこと言わなきゃいいのに。


「怒ってはいない」


 ただ悲しいというか寂しいというか空しいというか、そんな気がしただけだ。


「俺って真面目な話をしてるのに、真面目に話を聞いてもらえないんだなって思っただけ」


「そんなことねーよ。そりゃ今のは結果的にちょっとからかったようになっちまったけど。でも真面目な顔で尋ねるようなことでもないからさ」


「何が?」


「海生は俺が皆川と出掛けるのにヤキモチやいてるのかって」


「だからっ!」


「そうだったら嬉しいなって思ったんだよ」


 前に回ってハルちゃんは正面から俺を見上げる。


「久しぶりにあった海生が身も心も大きくなってて嬉しかった反面、実はちょっと寂しかったんだ。桜井くんのこともさ。お前があんまりに熱心に話すから、いい友達が出来てよかったなって気持ちと、なんとなく海生をとられたような変な気持ちとがあって……だから昨日もつい意地悪な質問しちゃったし」


 意地悪な質問? て、


「桜井が実は俺のことを嫌ってたらってやつ?」


「そう。お前、すごい一生懸命に桜井くんの弁護して、言うんじゃなかったってちょっと後悔した。やっぱイトコの姉ちゃんと仲のいい男友達じゃ勝負にならねーよな」


 勝負って、ハルちゃんはいったい何を桜井と争ってたんだろう。


「だから海生が皆川にたいしてヤキモチやいて、イトコの姉ちゃんとられて寂しいなって思ってくれてるなら嬉しいなーって。本当に自意識過剰だな」


 そんなことないよ。そう言いたかったのに、じゃあその後はなんて言えばいいのか、言葉が見つからなくて、結局何も言えなかった。


「……悪い、何か変な空気になっちゃったな」


 違う。ハルちゃんは悪いことなんてしてない。謝る必要なんてない。


「さっさと飯食いに行こうぜ。おばさんに怒られちまう」


 階段を降りようと先に歩き出したハルちゃんの腕をたまらず掴んでしまった。


 ハルちゃんもびっくりしていたが、当の本人である俺もびっくりしていた。何やってんだ、俺。


「どうした?」


 ハルちゃんは優しく微笑み俺に向き直る。


「何か言いたいことがあるのか?」


 言いたいことはたくさんあるはずなのに、言葉がうまくつむげない。


 何を言えばいい?


 今、言わなくちゃいけないことは何だ?


「とりあえず、」


「とりあえず?」


「ハルちゃんは悪くないから謝らなくていいよ」


「そうか」


「それと、」


「うん?」


「ちょっと……や、だいぶ……ううん、かなり、皆川さんにヤキモチやいてる、かも」


「そうなのか?」


「俺の知らないことたくさん知ってるから」


 俺とハルちゃんの空白の九年間、そのうちの何年間かは皆川さんはハルちゃんと一緒に過ごしてて、その時を経て今はハルちゃんの親友で一番の理解者で、俺が一番知りたいこと、ハルちゃんが男になりたがってる理由を知ってる。


「ハルちゃんは、皆川さんのこと友達として信頼してるし、大事に思ってるんだよね」


「もちろん」


「じゃあ、もしも皆川さんが、」


 そんなことを聞いてどうするのか自分でもよくわからないけど。


「男になるのやめろって言ったら、ハルちゃんはやめる?」


 俺の質問にハルちゃんは目を丸くしたが、すぐに真顔に戻った。


「やめないよ。俺は俺の意志で生きてんだ、テメェの指図は受けねーって言ってやる」


 それを聞いて、何故だか少しだけ心の中にあったモヤモヤした雲のようなものが消えた気がした。


「何でそんなこと聞くんだ?」


「何でもない。早くご飯食べに行こう」


 ハルちゃんを促し、階段を降りる。


 我ながら、現金な奴だなと思う。ハルちゃんの一言で、落ち込んだり、元気になったり。


 何なんだろう? 変だな、俺。



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