18
体育倉庫の片付けをしてる間は話し合いどころじゃなかった。
というのも体育の松永先生からは四時に集合と言われていたのに、俺らが行ったのは四時半過ぎ。たかだか三十分と思うが、時間に厳しい松長先生は一分の遅刻も許してくれない。
「時間を守れない人間は最低だ」と説教されたあと、先生も含め四人で片付けをした。しかし先生はただ片付けをしていたわけではなく、私語厳禁を言い渡し、俺たちがちゃんと働いてるかをしっかり監視していた。そんな状況じゃ園芸部の今後なんて話し合えるわけがなく、俺たちは黙々と倉庫の片付けをするしかなかった、というわけだ。
「ま、こんなもんだろ。おまえらもう帰っていいぞ」
先生からそう言われたとき時計の針は六時を回っていた。
「悪かったな三人とも。三日月祭の準備で忙しいのに。助かった」
松永先生は俺たちを差別せず三人とも同じ態度で接してくれるし、こうしてちゃんと生徒を労ってくれるから好きだ。
「頑張ったご褒美」ということで個包装のクッキー一枚と缶のお茶をもらい、俺らは校門にむかって歩いていった。
「で、さっきの話なんだけどさ、」
花菱が嬉々として口を開きかけたのと同時に、前を歩く生徒を見て「あれ?」っという顔をした。
「レオだ!」
嬉しそうな声を出して、花菱は走りだした。
「だから走ると転ぶっての」
桜井がぼやいた瞬間、本当に花菱が派手な音をたててすっ転んだ。
「うわ、痛そう」
「自業自得だろ」
桜井……花菱が嫌いだからってその言い方はちょっと冷たくないか?
「何やってんだよ、会長」
と思いきや、一番近くにいる倉本よりも先に、花菱のもとに駆けて行って手を貸してやってる。桜井には例え自分の嫌いな相手でも、転んだ人間には手を差し出す優しさが備わっているようだ。何だかそれを見たら少し安心した。
そうだよ、桜井はそういうヤツだよ。優しくて、気配り上手ないいヤツ。
「ごめんねーありがとー」
花菱はへらへら笑い、桜井の手を借りてひょいっと起き上がった。
「珍しい組み合わせだね」
その様子を近くで見ていた倉本は口元を歪め、楽しそうに言った。
「生徒会長と札付きの不良が一緒に下校だなんておかしな光景だ」
「あっちに海生もいるよ」
花菱は俺の方に目をやると満面の笑みを浮かべ、「早くおいでよー」と手招きした。
不機嫌MAXな顔で倉本を睨み付ける桜井と、どこか人を馬鹿にしたように笑いながら桜井を見つめ返す倉本。そんな険悪な雰囲気に気付かず、二人の間で無邪気に手を振る花菱……正直、このまま一人で帰りたい、あの三人のなかに入りたくない。でもそんなことしたらあとが怖いよな。
「真田、ダッシュ」
倉本にそう言われ、反射的に三人のもとに駆け寄ってしまった。
突然走ってきた俺に桜井と花菱は驚いたような、何か言いたそうな顔で俺を見てきた。
「真田は犬みたいなとこがあってね、普通に言ってもダメだけど、強い口調で命令するということをきくんだよ」
誰が犬だ! と言い掛けたが、倉本に目で「黙れ」と言われてしまったので、口を閉ざさずをえなかった。
「へー、レオってばすごいね。海生のこと犬みたいに言うこときかせられるくらいに仲良くなったんだ」
「仲良くなったんじゃない。真田がそれくらい僕のことを恐れ、崇拝するようになったんだよ。人と犬のように、僕らは主従関係で結ばれてるんだ」
だから誰が犬だよ! 何が主従関係だよ! いつから俺がお前のことを崇拝するようになったんだよ!
言ってやりたいことは山ほどあるのに、情けないかな、倉本の冷たい視線が怖くて何も言えない。
「すごいね! 二人ともいつのまにそんな仲になったの?」
なってないから! 何でもかんでも倉本の言うこと真に受けるなよ、花菱!
「海生、」
桜井が哀れむような目で俺を見上げる。
「お前もいろいろ苦労してるんだな」
「ありがとう、桜井。同情してくれるのは嬉しいけど、俺は倉本と主従関係とか結んでないからな」
桜井はポンと優しく俺の肩を叩いた。わかってんだかわかってないんだか、いまいち不安が残る反応だ。
「で、三人お揃いでこんな時間まで何をしていたの?」
「体育倉庫のお片付け」
花菱が元気よく答える。
「ああ、関口の園芸部に対する嫌がらせみたいな雑用を花菱が手伝ってやってたわけね」
「違うよ。頼まれたのは僕と桜井くんで、手伝ってくれたのが海生なんだ」
「花菱と桜井が倉庫の片付けを頼まれたの?」
倉本の言いたいことがわかったのか花菱は手を振って、
「そうじゃなくて、僕は松長先生に三日月祭で使うカラーコーンを借りるついでに。桜井くんは、」
「保健体育の授業で居眠りしたペナルティーで」
花菱の言葉を桜井が引き継いだ。
「そうなんだよ。だから別に二人一緒に頼まれたとかじゃないんだ。偶然、松長先生が倉庫の片付けを頼んだのが僕と桜井くんだったってだけなんだ」
花菱は身振りを手ぶりを交えながら一生懸命説明をした。
「ああ、そう。そうなんだ。それは丁寧に説明してくれて、どうもありがとう。誰もそんなこと訊ねちゃいないけどね」
最後の一言は余計だよ。見れば桜井はムッとした様子でさっきよりも厳しい目付きで倉本を睨んでいる。一触即発再び、か?
「レオはこんな時間まで部活?」
空気を読んだのか、たまたまか(たぶん後者だろうけど)、いいタイミングで花菱が話題を変えてくれた。
「演劇部は舞台があるから、三日月祭まで大変だね」
「それもあるけど、今日は勉強をしに図書室に寄ってたんだ。明後日から学年末試験だしね」
「試験?」
ヤバい。忘れてた。そんな俺の心情を見透かしたように倉本はクスッと笑う。
「倉庫片付けの手伝いは感心だけど余裕だね、真田。2学期の期末、数学かなり悪かったんじゃなかったっけ? しかも本当なら赤点だったのに先生におまけしてもらってなんとか赤点免れたんだよね?」
何でそんなことまで倉本が知ってんだよ……いや、でも今回は本当に赤点かもしれない。
「大丈夫だよ、海生。赤点とっても進級はできるんだから」
笑顔の花菱にそう言われ、俺は力なく笑う。
それはそうなんだけど、春休みに補習受けなきゃいけないし、それに赤点なんかとったら母ちゃんになにを言われるか……。
「赤点が嫌なら勉強すればいいだけの話だろ。数学は最終日なんだし、今日からやれば4日は勉強できる」
桜井のまったくもってその通りな正論に、花菱が「はいっ!」と元気よく手をあげる。
「そしたら皆で勉強会やろうよ。明日から短縮授業になるから、放課後どこかに集まって勉強しよ」
「「げ、」」
俺と桜井の声が重なり、お互いに顔を見合わせる。俺は倉本が嫌で、桜井は花菱と倉本、二人とも嫌なのに四人で勉強会なんて。
「いいよ、俺らは。花菱も倉本も自分たちだけで勉強したほうがはかどるだろうし、そのほうがいいだろ」
「あたりまえじゃないか」
ハンと馬鹿にしたように笑い、倉本は俺に目をやる。
「でもね、自分の勉強時間犠牲にしても、慈悲深い僕がお前たち阿呆二人に勉強を教えてやるって言ってるんだよ」
「なっ」
何だよその上から目線! ちょっと成績いいからって人のこと馬鹿にしすぎだろ!? つーか勉強会しようて言ったの花菱だし!
「レオは学年一位以外になったことないもんね。でも桜井くんも頭いいよ。いつも学年二十位までに入ってるもの」
「ね?」と笑顔を向ける花菱に「まぁ」とお茶を濁す桜井。
「へぇ、それは意外だな」
桜井には失礼かもしれないが、確かに意外だ。
「でも、何で花菱はそんなこと知ってるの?」
「定期テストの度に学年三十位までの点数と名前が発表されるじゃない。あれで見たんだ」
「ふーん。僕は見たことないから知らなかったよ。見なくても自分の順位なんてわかりきってるしね」
倉本め、本当に嫌味なヤツだな。
「でも、花菱だって僕には及ばないにしろ成績はいいほうだろ?」
「うん。だいたい五番以内には入るよ。でもたまに名前書き忘れて、0点にされちゃうことがあってね。年に何回かは順位がガクンと落ちることがあるんだよ」
いや、わかってるなら、気をつけろよ……。
「そんなことはどうでもいいけど、花菱は、自分よりずっと後ろにいる桜井の順位を知ってるんだね」
「知ってるけど……?」
花菱は「何かおかしいかな?」と首を傾げる。
「いいや。ただ自分の順位だけ確認できれば十分じゃないかなって思っただけ。だってそうだろ? ほとんど面識のない他のクラスの生徒の順位をわざわざチェックする必要がどこにあるって。僕ならそんなことしないけど。きっと、花菱は生徒会長だし、他の生徒の成績の動向もしっかり把握してるんだろうね。さすがだね」
「そんな、僕なんてまだまだ……」
倉本はうっすらと微笑み、困ったように頬を掻く花菱を見据える。
初めは笑っていた花菱も、視線に耐えられなくなったのか目を伏せ、「とにかくさ」と元気よく言った。
「せっかくレオもやる気になってくれてるんだし、四人で勉強会しようよ。お互いにお互いの苦手分野カバーしあえば赤点なんか怖くないから。ね、海生?」
「え、俺?」
「そうだよ。僕らの中で赤点候補生は海生だけなんだから、肝心の海生がやる気出さなきゃ意味ないでしょ?」
確かにそのとおりなんだけど、その言い方ちょっとひどくない?
「桜井くんはいいよね? 参加してくれるんだよね?」
桜井は一瞬驚いたように目を見開き、すぐさま、対花菱用の不機嫌顔になって「やだね」と言った。
「何で?」
「一人で勉強する方が好きだからだ」
「みんなで勉強するのも楽しいよ?」
「別にあんたらと楽しく勉強なんかしたくないから」
桜井は俺の方に向き直り、「そういうことだから」と言うなり、一人でスタスタ歩き出した。
「桜井くん帰っちゃうよ? 海生、追いかけなくていいの?」
「……ああ、いいよ。どーせ帰り道違うし、夜にでもメールしとく」
「そっか」
花菱は目を二三度パチパチしばたかせると、ニッコリ笑い、
「じゃあ僕も帰るね。桜井くんとは同じ方向だし、園芸部の話しもしたいから一緒に帰る!」
止める間も無く、花菱は走り出す。今の会話が聞こえたのか、桜井の歩く速度が若干上がった気がする。
「大丈夫かな」
桜井は花菱のこと苦手みたいなのに、しつこくされてぶちきれたりしなきゃいいけど。
「さて、僕らも帰ろうか」
「え?」
てっきり一人で帰るもんだと思っていた倉本は、俺の顔を見上げるとエンゼルスマイルを浮かべさらりと言った。
「僕、自転車通学なんだ。今日は特別に真田を途中まで乗せてってあげよう」
優しい言葉の裏に隠された真の意味に気付き、そろそろと尋ねてみる。
「それってもしかして、乗せてやる代わりに、俺に自転車漕げって言ってる?」
「言ってはいないよ。そんなの、言うまでもないことだからね」
倉本に、がっちり腕掴まれてるから逃げるに逃げられない。人の心配なんてしてる場合じゃなかったか。