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五限の英語の授業は関口先生が出張のため自習だった。
課題のプリントは出ていたけれど、頭の悪い俺が自力でやったって散々な結果になることは目に見えていたので、成績はいつも学年十位以内の花菱と、英語の得意な紫音さんの答えを写させてもらった。
おかげで課題は十分で片付いてしまい、残った時間は『園芸部の今後』というテーマで花菱と会議を開いた。
「一番効果的なのはやっぱり人を集めることだよね。たった二人だけの園芸部じゃ関口先生の圧力に対抗するには肉体的にも精神的にも厳しいと思うし、たった二人で花壇を作りたい、園芸部設立をと訴えても学校側がOKを出すわけがないよ。同好会を作るにも最低三人は必要だし、何をするにも部員がいなきゃ始められない」
「でも人はどうやって集めるんだ? 俺ら園芸部は奇人変人部とか呼ばれてて、みんなから白い目で見られてるんだぞ?」
「はじめっから園芸部に理解のない人に協力を求めても無理だよ。まず仲のいい友達や園芸部設立に賛成してくれそうな人に声をかけて、部設立規定人数をクリアする。そこから口コミで徐々に協力者を募り、同時に学校側にどうして園芸部が必要なのか、園芸部を設立した際に学校にどんな影響を与えるのか、意見をまとめて文書で提出する。園芸部にとって最強最大の難関は生徒指導部の関口先生だけど、逆に言えば、その関口先生さえ突破すればもう行く手に立ちふさがる敵はいない。関口先生のOKさえ出れば、園芸部が設立できるんだよ」
「でもあの関口……先生を納得させるなんて並大抵のことじゃないぞ」
だってあの人が園芸部設立を邪魔するのは、ただ単純に桜井が嫌いだからだろうし。桜井がいる限り、あの人が園芸部を認めることはないんじゃないか。
「こちらが理にかなった方法で正々堂々と戦えば、関口先生だって折れざるをえないよ」
「うまくいくかな?」
「大丈夫。まずは三人で頑張ろう」
「三人?」
怪訝な顔で尋ねると、花菱はニッコリ笑って、
「僕も今日から園芸部の仲間入りさせてもらうよ。園芸部は正式な部活じゃないから、入部届けも何もないけどいいよね」
「……大丈夫なのか?」
「何が?」
「剣道部とか生徒会とか。いろいろ忙しそうじゃん」
「大丈夫だよ。園芸部に支障が出ない程度に頑張るから」
「いや、頑張るのは園芸部の活動のほうじゃなくて」
花菱はなんてことなさそうにしていたが、俺はちょっと不安だった。もちろん花菱が俺らの力になってくれるのは嬉しいけど、それが原因で、余計に関口先生の神経逆撫ですることにならないかとか、桜井が花菱のことを嫌がらないかとか。
「それにね、僕の友達で二三人、園芸部に協力してやってもいいって言ってくれてる人がいるんだ」
「本当か?」
そりゃ有難い。有難いが、なんというか……物好きだな。
「いつそんな話したんだよ?」
「昨日の夕方、海生と別れてから。何だか海生の話を聞いたらいてもたってもいられなくなってね。何人か希望ありそうな人にメールしてみたんだ」
「やることが早いな」
「実は今日の放課後に具体的な話がしたいから裏庭に集まってほしいってお願いもしてあるんだけど」
「え、それは嬉しいけど、いくらなんでも気が早すぎないか? 桜井に何も言ってないのに。あんまり先走った行動はまずいんじゃないかな」
「そっか。じゃあ、まず桜井くんに話を通さなくちゃね。今日は部活やるんだよね?」
「それが今日は、」
「やらないの?」
「やることがないし、三日月祭の準備もあるからってことで」
「三日月祭?」
花菱は少し不思議そうな顔をしていたが、すぐに笑顔に戻って、
「じゃあ、せめて話だけでもさせてもらえないかな? みんなにはまた別の日に集まろうってメールしとくから。僕が一人で行ってもびっくりするかもしれないから、海生も一緒に三人で今後のこと話し合おう。ね?」
「それは、いいけど」
でも、なんだって花菱はこんなに張り切ってるんだろう。昨日俺が話したことがそんなに花菱に影響を与えたのか。
「頑張ろうね。みんなで力をあわせて絶対に園芸部を復活させよう!」
自分で言って、自分で「おー!」と右腕を天井に突き出して、花菱は本当にいつでも楽しそうだ。
「花菱もその話知ってるんだな」
「その話? どの話?」
「昔、園芸部があったって話だよ」
俺がそう言うと、花菱は右腕を天に突き上げた格好のままかたまってしまった。
「花菱?」
「それ、どんな話?」
右腕をゆっくりとおろし、笑顔を俺に向けて言う。
「どんなって、花菱が知ってるのと同じ話だよ」
「うん。でも聞きたいんだ」
花菱はじっと俺を見上げる。
「昔この学校にも園芸部があったって話だよ」
「それだけ?」
「園芸部は弱小部だったから当時の生徒会に圧力かけられて廃部に追い込まれて」
「それから?」
「当時の園芸部の部長がそれなら学内に花壇を作ろうって、学校に訴えたんだけどダメで、結局廃部になっちゃったって」
「それで?」
「それでって?」
花菱は目をパチパチさせて、
「ううん、それで話は終わりなのかなぁって思ったんだ」
「ああ、そういえば、新藤さんておじいさんの家で野菜を栽培してたって話もしてた」
「それから?」
「園芸部が廃部になったあとも野菜の栽培を続けて……のちに新藤さんが自分の土地を学校に寄付したって」
「それで?」
「それだけだよ、俺が知ってる話は」
「そう。海生は誰にこの話を聞いたの?」
「倉本」
「レオ?」
花菱は倉本の名前が出たのが意外そうに呟いた。
「レオが何でそんな話を知ってるの? 何で海生に話したの?」
「さぁ?」
「レオがねー……」
花菱は自分の席で本を読む倉本に目をやる。いつも笑顔の花菱には珍しく無表情で何を考えているのかは、わからなかった。
「ちなみに花菱はこの話、誰に聞いたんだ?」
「僕? 僕はねぇ……誰だったかな?」
花菱はまた笑顔を浮かべ、困ったみたいに頬を掻く。
「いつか誰かに聞いた気がしたんだけど、誰だか忘れちゃったよ」
「そうか」
「うん、ごめんねー」
「謝る程のことじゃないけどさ」
なんとなくだけど、また花菱に笑って誤魔化された気がした。誰に聞いたか忘れたって、本当に忘れたのか。
「ところでさ、このこと、桜井くんにはもう話したの?」
「いや、まだ。花菱や倉本が知ってるなら桜井も知ってるかな」
「もしかしたらね。どっちにしろ桜井くんには話さないほうがいいと思うよ」
「何で?」
「何でって、」
花菱は言葉につまり、一瞬妙な間が出来た。
「あんまりいい話じゃないでしょ? これから園芸部設立のために頑張ろうって言ってるのに」
「まぁ、確かに」
「だから、ね」
「わかった、桜井には言わない」
「それがいいよ」
その時、誰かに見られている感じがして目をやると、つい今しがたまで本を読んでいた倉本が冷めた目つきでこっちを見ていた。
花菱は気付いていないようだったが、倉本は俺と視線が合うと目を細めてニヤリとすごく嫌な感じに笑った。