10
「なんか、お前ら付き合い始めて1ヶ月のカップルみたいだな」
「カップル?」
けたけた笑いながらハルちゃんは俺を指差す。
「相手の気持ちがわらなくて不安になっちゃってる彼女がお前。私は毎日好きって言ってるのに彼は何も言ってくれないとか、本当は一線こえたいのに、奥手な彼氏にじれったくなっちゃったり。しまいにゃ、ねぇ私のことどう思ってるの? 本当に好きでいてくれてるの? とか逆ギレするんだよな」
これはもしかしてバカにされてるんだろうか?
あんまりにも楽しそうに笑うハルちゃんを見ていたら倉本の意地悪な笑みとだぶって見えて、気分が悪くなった。
「ハルちゃん。俺、マジメに話してるんだけど」
「だってお前見てると面白くてさ。異性間での恋愛ならまだしも、野郎同士の友情話で『不安になる』なんて言葉を聞くとは思わなかった」
「悪かったね、女々しい奴で。俺なんかよりハルちゃんのがずーっと雄々しいよね」
そういえばハルちゃんは昔からこんな感じで人をからかうのが好きだったな。
見た目はおとなしくて可愛らしい女の子なのに、人をからかったりいたずらするのが大好きで、ガキの頃はしょっちゅうハルちゃんにからかわれた。ハルちゃんにからかわれると、悔しいっていうよりハルちゃんに馬鹿にされたってショックが大きくて俺はいつもぴーぴー泣いてたっけ。
そんなこともあってか、好奇心旺盛で気が強くて元気いっぱいなハルちゃんと、臆病で気が弱くて体力もなかった俺は、いつも周りに「ハルちゃんが男の子で、海生くんが女の子ならよかったのにね」って笑われて。でもそう言われるのが、ハルちゃんも俺も実はすっごい嫌だったんだよな。
「大丈夫だよ。海生のことが本当に嫌だったら園芸部に入りたいって言った時点で迷惑だって断ってるだろ。それを言わなかったってことは、桜井くんはお前のことを嫌っちゃいないよ」
小さい頃の記憶に馳せていた俺はハルちゃんの言葉を理解するまで、少し時間が掛かった。
「でも、それは桜井が優しいから本当は迷惑なのに口にしなかっただけかもしれない」
「そうか?」
「そうかもしれないじゃない?」
「それはない」
「何でそう言い切れるの?」
「お前は桜井くんを信用してないのか?」
「質問を質問で返すのは反則だよ」
「誰がそう決めたんだ?」
「ハルちゃん、だから俺は真面目に話してるんだってば」
「俺だって超真面目に話してる」
ダメだ。やっぱりハルちゃん俺のことをからかって遊んでる。俺は本気で悩んでるのに、ハルちゃんだからと思って誰にも言ったことない気持ちを話したのに、ハルちゃんは俺が悩んでるのが面白くて仕方ないんだ。からかうネタが欲しかっただけなんだ。
「もういいよ、ハルちゃんなんか」
「拗ねるなよ」
「ハルちゃんは俺のことからかいたいだけなんだろ」
「そんなことないって」
ハルちゃんは否定する、が、そう言う顔がすでににやけてる。
「そうやっていつまでも馬鹿にして笑ってればいいだろ」
ハルちゃんなんか嫌いだ……とはさすがに恥ずかしいから言わなかった。それを言っていいのは小学生までだろう。
「待てって」
顔をがっちり手で押さえこまれ、またハルちゃんと正面から見つめあう形になる。だけど今度は恥ずかしくて目を逸らしたいなんて気分にはならなかった。
からかわれた怒りからハルちゃんを真正面から睨み付ける。ハルちゃんの顔はもう笑っていなかった。
「桜井くんはお前が『怖くないよ』って嘘ついたときなんて言った? 『嫌われてたんじゃなくて安心した』って言ったんじゃないのか?」
そうだ、確かに桜井はそう言った。『嬉しい』って、大真面目な顔して『安心したって』。
「普通に考えて、自分が嫌いな人間にそんなこと言うと思うか? いくら桜井くんが優しい性格で、お前に対して気をつかっていたとしてもそんな誤解を招くような発言しないと思うぞ」
「誤解って?」
「『嫌われてたんじゃなくて安心した』って、海生には嫌われたくなかったってことだろ? 言い方を変えれば海生には自分のこと好きでいて欲しかったってことじゃん? もっというなら桜井くんは海生と友達になりたかったってことだ」
「それは意訳しすぎだと思うけど」
でも本当に桜井がそう思っていたとしたなら、嬉しいような、気恥ずかしいような、申し訳ないような、やっぱり嬉しいような。
「それなら何で桜井は部活以外で会うとあんなにそっけないんだろ」
まるで俺と一緒にいるのを見られるのが嫌みたいに。
「さぁ? 気になるなら聞いてみれば?」
あっけらかんと言い放つハルちゃんに思わずため息が出る。
「他人事だと思って簡単に言ってくれるよね。それが出来たらこんなに悩まないよ」
桜井は何で部活以外で会うとあんなにそっけないんだ? なんてずばっと聞けるほど仲が良いわけじゃないし、そもそもつい半年前まであいつのこと怖がって避けていた俺があいつにそんなこと言う権利はない。もしそんなことをきいたら、俺が桜井のことを信用してないみたいで失礼だし、今度こそ桜井に軽蔑されるかもしれない。
「仮に、」
手を離し、ハルちゃんは畳のうえに放りっぱなしだったタバコを拾い上げた。
「もし本当に桜井くんが本当はお前のこと嫌いなのに、無理して付き合ってるんだとしたら、お前はどうするんだ?」
きっと俺みたいなのを現金なヤツって言うんだろう。ハルちゃんがそう言った次の瞬間にはもう、
「どうするもこうするもないよ、ハルちゃんてば、何言っちゃってんの?」
「は?」
「桜井はすごい良い奴なんだよ。真面目だし、責任感強いし、気配り上手だし、男気溢れてて、俺とは比べものにならないくらいにかっこいいんだ。その桜井がそんな中途半端な、ずるいことするわけない。俺のことが嫌なら園芸部に入りたいって言った時点ではっきりきっぱり断ってくれるはずだよ。本当は嫌なのに、無理して付き合うなんて、そんなのあるわけない」
「は? いや、だってお前が」
ハルちゃんは何か言いたげに口を開いたが、それ以上は言葉にならず、代わりに盛大なため息がハルちゃんの口から出ていった。
「要はあれだな、海生は桜井くんのことが大好きで、すごく信頼していて、自分で文句つけるのはいいけど、人にけなされるのはすごく嫌なんだな」
「やめようよ、そういうストレートな表現。それに俺は桜井のことけなしてるわけじゃないよ。ちょっと不安になるって言っただけで。それに桜井のことよく知らないハルちゃんに、あいつのこと悪く言われたくなかったから」
「ダメな彼氏のムカつくとこを散々愚痴って、話を聞いてた友達が賛同して何か言うと、『でも優しいとこもあるんだよ?』とか言って、結局惚気話にすり替えちゃうウザップルの彼女みたいなもんだな」
「カップルに例えるのもやめようよ」
「真面目に話を聞いてやった俺が馬鹿だった」
「あれのどこが真面目だったのさ?」
「でも、それだけ彼を信頼してるなら大丈夫だな」
「だから、桜井と俺はカップルじゃないってば」
「今言った『彼』はそっちの意味じゃねーよ」
ハルちゃんは一瞬本気で嫌そうな顔してから、俺の頭をぐりぐり掻き混ぜるように撫でて笑った。
「お前の話聞いただけだと、本当に桜井くんがお前に対してそっけない態度をとってるのかどうか、はっきりわからない。もし仮にそうだとしても、きっと桜井くんには桜井くんなりの事情があるんだよ。お前が彼のことを大事な友達だと思ってるなら、この先どんなことがあっても彼を信じてやれ」
「うん。そうだね」
「友達は大事にしろよ」
「わかってる」
「もう悩むのもやめろよ」
「うん。大丈夫」
俺が頷くのを見て、ハルちゃんも満足したみたいに頷いた。
「しかし、よかったなぁ。昔の海生はチビで弱虫だったから近所のガキどもにいじめられてばっかで、俺以外に遊ぶ相手なんていなかったから。桜井くんみたいな強くてカッコいい友達が出来て、本当によかった」
ハルちゃんはようやっとタバコに火をつけ、口にくわえると、すぐに静かに煙を吐き出した。
「な、写真とかないのか?」
「桜井の? あるよ。そういえばハルちゃんたち子どもの頃のアルバムも探してたんでしょ? せっかくだからそっちも見ようよ」
一度自分の部屋に戻り、枕の下に入れておいたポケットアルバムを取り出す。
学校の写真は母ちゃんに見つからないようにいつもここに隠している。というのも以前、紫音さんと二人でとった写真が母ちゃんに見つかって、何で二人だけで写真をとったんだ、この子はお前の彼女なのか、片思いしてる相手なのか、なんて名前なんだ、どこに住んでるんだなど質問攻めにあい散々な思いをしたことがあるから。
だから母ちゃんには園芸部に入ったことは言ってない。ミーハーな母ちゃんに園芸部に入ったなんて言ったらまたしつこく色々聞かれるだろうし、桜井のことが知れたら絶対家に連れてこいなんて言い出すに違いない。そんなことになったら面倒だ。
ポケットアルバムを上着の内側に隠し、いそいそと階段を降りる。
「ハルちゃんおまたせ」
「おー。あれ? アルバムは?」
「桜井のは持ってきた。子どもの頃のやつはこの部屋の押し入れにあるんだよ」
押し入れの上段、衣装箱のなかに目当てのアルバムはあった。
「おばさんは絶対海生の部屋にあるからって言ってたのに」
「去年の年末の大掃除の時に場所を変えたのを忘れてたみたいだね」
いや、あれは実は体のいい口実で、本当は俺の部屋の散策がしたかっただけだったりして。母ちゃんならありえるな。
「まぁいいや。とにかくアルバム見よ」
それから二人で部屋の真ん中に座り、アルバムを広げた。
一番最初に載っていたのは夏に海に行ったときの写真だった。ヒトデを捕まえたハルちゃんが、ヒトデを振り回しながら、逃げ惑う俺を追い掛けている。
「この頃いくつだっけ?」
「俺が五歳くらいの時だと思うよ」
花火をしたとき、西瓜割りをしたとき、七五三や、冬場、雪が降ったときに雪合戦をしたときの写真。ハッキリとは覚えていないけど、かすかに記憶の隅に残る楽しかった思い出が、一冊のアルバムに写真という形でたくさん詰まっていた。
「懐かしいね」
「こんな時があったんだな」
ページをめくると、今まで二人一緒に写ってきていた写真が、突然、ハルちゃん一人しか写ってないものに変わった。て言っても、ハルちゃんが一人で写ってるのはその一枚だけで、アルバムの一番最後のページに貼り付けてあった。
写真の中のハルちゃんはなんだかすごくつまらなさそうな顔でピアノを弾いていた。
「何でハルちゃんしか写ってないんだろう? それにハルちゃんピアノなんかやってたっけ?」
「ガキの頃、ホントにちょっとの間だけな。これはうちの親父がとったやつだよ。俺がピアノを始めたのと親父が新しいカメラを買ったのが同じ頃だったから、記念にな」
「なんだかハルちゃん不機嫌そうな顔してるね」
「ピアノが嫌で嫌でしょうがなかったんだよ。母親に無理矢理ピアノ教室に入れられたからな」
「そうだったんだ。俺、ハルちゃんがピアノやってたの初めて知ったよ」
「忘れてるだけだよ。海生の前でピアノ弾いたことないから忘れてて当然だよな。あの日も結局ピアノの発表会に行かなかったし」
あの日。たぶん俺とハルちゃんが最後にあった日のことだろう。
「ハルちゃん、俺さ、あの日のこと、全然覚えてないんだけどさ、何があったの?」
ハルちゃんの顔から笑顔が消える。
うわ、また何か聞いちゃいけないこと聞いちゃったのか。何で俺ってこう空気読めない奴なんだろう。
一瞬反省をして、すぐに思い直す。聞いちゃったものは仕方ないし、それに初めから聞かれたくないことなら、思わせ振りにあの日の話なんかしなければいいんだよ。そう思って自分勝手な考えにまた反省した。俺ってやっぱりデリカシーない、嫌な奴かも。