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シャドウ ~真夏の幻影~  作者: 古月 ミチヤ
第1章 雷雲
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1-6

 学生寮に戻ると、自分の車に乗って、海沿いにある修理工場に向かった。

 

 この島で暮らしている16歳以上の学生には就労規則があるので、長期休暇の間は社会勉強も兼ねて働かなければいけないからだ。

 もちろん、お給料がもらえるので、それを車の管理費や改造費にてることも出来る。


 僕が2年前からお世話になっているのは『シードック』という小さな修理工場で、そこのオーナーの辰彦たつひこさんという中年の少し太っているオジサンが、兄さんが走っていた公道レースのチーム『シードラゴン』の監督かんとくさんだった。


「今年の夏も働かせて下さい」


 用意してきた履歴書を出しながら頭を下げたが……頭にネジリ鉢巻はちまきをして、丸い瓶底眼鏡をかけているオーナーは、契約に応じてくれなかった。


「ハヤト君……残念だが、君には仕事を任せられない。近くには同じ修理屋の『野堀のぼりガレージ』もあるし、そんなシケタツラで対応されたら、お客様が逃げちまう」


「でも、他に行く当てなんてありませんし、なんとかやとってもらえませんか? お願いします」


「そう言われてもなぁ。もうメカニックは足りているんだよ」


 作業着姿のオーナーと工場の前で話していると、メカニックの大学生がやってきた。

 僕より3つも年上のその人は、目元が隠れるほど長く前髪を伸ばしており、両手をズボンのポケットに突っ込んで、タバコをくわえたまま歩いている。


「コラ、海堂かいどう。タバコはやめろと言っているだろう。若いうちから体を痛めつけるな」


 オーナーに叱られると、猫背で歩いていた海堂さんは、小さく頭を下げてから工場の中に消えていった。


 彼は、2年前まで兄さんとチームを組んでいた『鋼鉄の魔人』と呼ばれるドライバーで、チキンゲームでは負けたことが無いらしい。

 でも、兄さんが来られなかったことでシードラゴンは不戦敗になってしまい、半年後にはドライバーからメカニックに転向てんこうしてしまったという。


 長い前髪で隠しているのは、鋭い目つきと、物憂ものうげな表情だ。

 

「監督さん。僕より暗い顔の人が働いているじゃないですか!」


 思わず不満を口にすると、オーナーが気まずそうに顔をしかめた。


海堂アイツは特別だ。メカニックとしての腕も一流だし、熱いハートを持っているからな。……ハヤト君に任せたい仕事は1つしかない。ストリートレースで優勝し、シードラゴンにキングの称号を取り戻してくれ。その気があるなら仲間を見つけて1勝してこい」


「…………」


 シードラゴンが参加しなかった去年のレースでは、ライバルの修理屋チームがストリートキングになっている。

 そこで、若い頃から野堀ガレージの社長と因縁いんねんがあるオーナーは、なんとしても2連覇を阻止そししたいらしいのだが……。


「ハヤト君。もし車の事故がにくいなら、安全な車を造ることに心血を注ぐことも出来るだろうし、この島には事故で体を失った人の為に、義足なんかの研究をしている施設もある。そろそろ真剣に、進路を考えてみたらどうだ?」


「……はい」


 僕は履歴書を手にしたまま、トボトボと自分の車に乗り込んだ。

 そして、倒したシートにもたれかかりながら、この先どうすればいいのかと悩み始めた。


 このまま働かずにいると、規則違反で本土に強制送還されてしまうので、形だけでもストリートレースに参加する……という手もあるだろう。


 でも、今のガレオンではパワーやエアロパーツが不足しているので、勝利するのは難しい。

 それに、心が嫌がっている。


(……走りたくない……)


 僕の心には穴が開いてしまったようで、いくら燃料を追加しても、すぐにからっぽになってしまうのだ。


 どうすればこの穴をふさぐことが出来るのか。

 その方法が分からない。


 こんな時、兄さんがいてくれたら、魔法の言葉をかけてくれただろうに……。


『大丈夫。ハヤトならやれる。お前は俺のライバルだからな。いいか。実力を認めた相手しかライバルにはなれないんだぞ。だから自信を持て』


 僕は兄さんのライバルでいたかったから、いつでも全力で戦いに挑むことが出来た。

 兄が僕のほこりであるように、兄にとってもほこれる弟でいたかったから。


(兄さんなら、今の僕に何て言ってくれる?)


 魔法の言葉じゃなくてもいい。

 ただしかるだけでもいい。


 僕の周りには、情けない、と怒ってくれる人間すらいなくなってしまった……。


 声が聞きたい。

 もう1度……兄さんに会いたい……。


(僕はまだ、別れすら告げていないのに)


   ***


 ダークレッドの車に鍵を差し込み、エンジンをかける。

 すると、それまではただの鉄の塊だったマシンが、生き物のように身震いし始めた。

 黒いハンドルを握ると、車が呼びかけてくるような気がする。


――目を覚ませ。


(? なんだか、いつもと違ってみょうな感じだな)


 車がしゃべるなんてありえないのに、アクセルに足を合わせると、なんとなく走りたがっているのが分かった。

 ゆっくり車を発進させると、進みたがっている方向まで分かるような気がする。


「まずは右折して、修理工場の駐車場から道路に出る。そして、次の交差点も右に曲がったら……その次は、左に行きたいのか?」


 僕は、車の声(奇妙な感触)に耳を傾けた。

 車というのは、人間のように声を発する事は出来ないけれど、路面の状況やタイヤの減り具合等、様々な情報をドライバーに伝えてくれる。


(一体、ドコに向かっているんだろう?)


 海岸線に夕日が沈んでいき、あざやかなオレンジ色の光が少しずつ薄れていくと、世界は宇宙の色に包まれた。


――僕は……夜空が好きだ。


 地球も真っ暗な宇宙に浮かぶ星の1つにすぎないと考えれば、空を見上げるだけで、僕は米粒のように小さな存在になり、世界はどこまでも無限に広がってゆく。


 夜のとばりが下りた暗闇の中。

 不思議な感触に導かれて道路を走り続けていると、ふいに闇の中から1台の車が現れた。


 漆黒しっこくのボディー。背の高いウイング。低い車高。

 太いタイヤに、足元までキッチリ固められているエアロパーツ。


 それは『ガリアース』という国内最高クラスの性能を持つスポーツカーだが、何やら見覚えのある後ろ姿に驚いて、アクセルを踏む足に力が入る。


「まさか……」


 2年前まで、兄さんが乗っていた車によく似ている。

 そう思って、思いきりアクセルを踏み込むと、闇から生まれた車もグングン速度を上げてゆく。


(待てっ。待ってくれ)


 どんどん遠ざかってしまうガリアースを必死に追いかけていると、スピード計を目にした体が警鐘けいしょうを鳴らし始めた。


――これ以上、スピードを出したら駄目だ。

――でも、そんな事を言っていたら、あの車に逃げられてしまう。


 目の前のガリアースは、マフラーから黒い煙を吐き出して、闇の中に消えてしまった。


「あれ……?」


 気付いた時には、フロントガラスの先には車なんて走っていなかった。

 随分先に赤信号が見えて、ブレーキペダルに足を移す。


(おかしいな。さっきの車は、ドコに行ったんだ?)


 慎重に背後を確認しながら車をUターンさせ、ガリアースを見失った地点まで戻ってみたが……。


「いない」


 ドコにも、黒い車の影すら見当たらなかった。


(一体、何だったんだろう?)


 色々悩んでいたせいで、幻でも見たのだろうか。


 僕はどうしても気になって、一晩中、島の道路を走り回ってみたけれど、どんなに探しても黒いスポーツカーは見つからず、車の声が聞こえたようなオカシナ感触も消えてしまった……。

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