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学生寮に戻ると、自分の車に乗って、海沿いにある修理工場に向かった。
この島で暮らしている16歳以上の学生には就労規則があるので、長期休暇の間は社会勉強も兼ねて働かなければいけないからだ。
もちろん、お給料がもらえるので、それを車の管理費や改造費に充てることも出来る。
僕が2年前からお世話になっているのは『シードック』という小さな修理工場で、そこのオーナーの辰彦さんという中年の少し太っているオジサンが、兄さんが走っていた公道レースのチーム『シードラゴン』の監督さんだった。
「今年の夏も働かせて下さい」
用意してきた履歴書を出しながら頭を下げたが……頭にネジリ鉢巻をして、丸い瓶底眼鏡をかけているオーナーは、契約に応じてくれなかった。
「ハヤト君……残念だが、君には仕事を任せられない。近くには同じ修理屋の『野堀ガレージ』もあるし、そんなシケタ面で対応されたら、お客様が逃げちまう」
「でも、他に行く当てなんてありませんし、なんとか雇ってもらえませんか? お願いします」
「そう言われてもなぁ。もうメカニックは足りているんだよ」
作業着姿のオーナーと工場の前で話していると、メカニックの大学生がやってきた。
僕より3つも年上のその人は、目元が隠れるほど長く前髪を伸ばしており、両手をズボンのポケットに突っ込んで、タバコをくわえたまま歩いている。
「コラ、海堂。タバコはやめろと言っているだろう。若いうちから体を痛めつけるな」
オーナーに叱られると、猫背で歩いていた海堂さんは、小さく頭を下げてから工場の中に消えていった。
彼は、2年前まで兄さんとチームを組んでいた『鋼鉄の魔人』と呼ばれるドライバーで、チキンゲームでは負けたことが無いらしい。
でも、兄さんが来られなかったことでシードラゴンは不戦敗になってしまい、半年後にはドライバーからメカニックに転向してしまったという。
長い前髪で隠しているのは、鋭い目つきと、物憂げな表情だ。
「監督さん。僕より暗い顔の人が働いているじゃないですか!」
思わず不満を口にすると、オーナーが気まずそうに顔をしかめた。
「海堂は特別だ。メカニックとしての腕も一流だし、熱いハートを持っているからな。……ハヤト君に任せたい仕事は1つしかない。ストリートレースで優勝し、シードラゴンにキングの称号を取り戻してくれ。その気があるなら仲間を見つけて1勝してこい」
「…………」
シードラゴンが参加しなかった去年のレースでは、ライバルの修理屋チームがストリートキングになっている。
そこで、若い頃から野堀ガレージの社長と因縁があるオーナーは、なんとしても2連覇を阻止したいらしいのだが……。
「ハヤト君。もし車の事故が憎いなら、安全な車を造ることに心血を注ぐことも出来るだろうし、この島には事故で体を失った人の為に、義足なんかの研究をしている施設もある。そろそろ真剣に、進路を考えてみたらどうだ?」
「……はい」
僕は履歴書を手にしたまま、トボトボと自分の車に乗り込んだ。
そして、倒したシートにもたれかかりながら、この先どうすればいいのかと悩み始めた。
このまま働かずにいると、規則違反で本土に強制送還されてしまうので、形だけでもストリートレースに参加する……という手もあるだろう。
でも、今のガレオンではパワーやエアロパーツが不足しているので、勝利するのは難しい。
それに、心が嫌がっている。
(……走りたくない……)
僕の心には穴が開いてしまったようで、いくら燃料を追加しても、すぐに空っぽになってしまうのだ。
どうすればこの穴を塞ぐことが出来るのか。
その方法が分からない。
こんな時、兄さんがいてくれたら、魔法の言葉をかけてくれただろうに……。
『大丈夫。ハヤトならやれる。お前は俺のライバルだからな。いいか。実力を認めた相手しかライバルにはなれないんだぞ。だから自信を持て』
僕は兄さんのライバルでいたかったから、いつでも全力で戦いに挑むことが出来た。
兄が僕の誇りであるように、兄にとっても誇れる弟でいたかったから。
(兄さんなら、今の僕に何て言ってくれる?)
魔法の言葉じゃなくてもいい。
ただ叱るだけでもいい。
僕の周りには、情けない、と怒ってくれる人間すらいなくなってしまった……。
声が聞きたい。
もう1度……兄さんに会いたい……。
(僕はまだ、別れすら告げていないのに)
***
ダークレッドの車に鍵を差し込み、エンジンをかける。
すると、それまではただの鉄の塊だったマシンが、生き物のように身震いし始めた。
黒いハンドルを握ると、車が呼びかけてくるような気がする。
――目を覚ませ。
(? なんだか、いつもと違って妙な感じだな)
車が喋るなんてありえないのに、アクセルに足を合わせると、なんとなく走りたがっているのが分かった。
ゆっくり車を発進させると、進みたがっている方向まで分かるような気がする。
「まずは右折して、修理工場の駐車場から道路に出る。そして、次の交差点も右に曲がったら……その次は、左に行きたいのか?」
僕は、車の声(奇妙な感触)に耳を傾けた。
車というのは、人間のように声を発する事は出来ないけれど、路面の状況やタイヤの減り具合等、様々な情報をドライバーに伝えてくれる。
(一体、ドコに向かっているんだろう?)
海岸線に夕日が沈んでいき、鮮やかなオレンジ色の光が少しずつ薄れていくと、世界は宇宙の色に包まれた。
――僕は……夜空が好きだ。
地球も真っ暗な宇宙に浮かぶ星の1つにすぎないと考えれば、空を見上げるだけで、僕は米粒のように小さな存在になり、世界はどこまでも無限に広がってゆく。
夜の帳が下りた暗闇の中。
不思議な感触に導かれて道路を走り続けていると、ふいに闇の中から1台の車が現れた。
漆黒のボディー。背の高いウイング。低い車高。
太いタイヤに、足元までキッチリ固められているエアロパーツ。
それは『ガリアース』という国内最高クラスの性能を持つスポーツカーだが、何やら見覚えのある後ろ姿に驚いて、アクセルを踏む足に力が入る。
「まさか……」
2年前まで、兄さんが乗っていた車によく似ている。
そう思って、思いきりアクセルを踏み込むと、闇から生まれた車もグングン速度を上げてゆく。
(待てっ。待ってくれ)
どんどん遠ざかってしまうガリアースを必死に追いかけていると、スピード計を目にした体が警鐘を鳴らし始めた。
――これ以上、スピードを出したら駄目だ。
――でも、そんな事を言っていたら、あの車に逃げられてしまう。
目の前のガリアースは、マフラーから黒い煙を吐き出して、闇の中に消えてしまった。
「あれ……?」
気付いた時には、フロントガラスの先には車なんて走っていなかった。
随分先に赤信号が見えて、ブレーキペダルに足を移す。
(おかしいな。さっきの車は、ドコに行ったんだ?)
慎重に背後を確認しながら車をUターンさせ、ガリアースを見失った地点まで戻ってみたが……。
「いない」
ドコにも、黒い車の影すら見当たらなかった。
(一体、何だったんだろう?)
色々悩んでいたせいで、幻でも見たのだろうか。
僕はどうしても気になって、一晩中、島の道路を走り回ってみたけれど、どんなに探しても黒いスポーツカーは見つからず、車の声が聞こえたようなオカシナ感触も消えてしまった……。




