1-5
僕はまた、教室の中で、窓の外を眺めていた。
すると、空気を読まないもう1人の転入生が振り返り、憔悴しきっている心に追い打ちをかけてくる。
「Hey! ハヤト。カートで勝負しよう」
「……悪いけど、そんな気分じゃないんだよ。放っておいてくれないか」
この島で待っていれば兄さんに会えるような気がして残っているものの、レースに復帰するつもりはなく、時間だけがむなしく過ぎてゆく。
「僕はどうしても、ハヤトと対戦したいんだけど……」
「なんでそんなにシツコイんだ⁉」
さすがに声を荒げると、リオンは思いのほか真面目な顔つきで答えてきた。
「皆、ハヤトが1番速いと言うし、ある人が、君に走って欲しいと願っているからさ」
(……ある人って誰だよ?)
目ざわりな金髪は何度でも後ろを向いて絡んでくるので、ウンザリしていると、
「僕がハヤトに3勝したら、一緒にストリートレースに参加してほしい」
と頼まれた。
「はいはい。分かったよ」
どうせ勝負をしなければ勝敗なんて決まらないので、仕方なく承諾すると、そんな日に限ってカートスクールからのメールが届いた。
夏休み限定の特別プログラムに参加する本土の学生たちが集まったので、クラス分けをするためのタイム計測を行うという。
普通なら挫折した人間なんて相手にしてもらえないのだが、これまでの実績のおかげで見捨てられずに済んでいるのかもしれない。
幼い頃からお世話になっているコーチに、絶対に参加するよう念を押されると、断りきれずにサーキットに向かうことになった。
***
僕は2年前から公式戦には参加していないが、3歳から乗っているカートの操作は体に染み付いているし、スクール内ではトップタイムを維持している。
天気は快晴。
海側から吹いてくる風もそんなに強くなく、マシンの調子も万全。
走り慣れているミドルコースを1周するだけなら、不安要素は見当たらない。
「いつも通りに走れば楽勝だろう」
「ハヤト。本土の連中をぶっちぎってやれ」
リオンと同じ最終グループで走ることになった僕は、仲間たちの声援を受け、リラックスしてタイムアタックに臨んだ。
最前列からスタートする僕の視界は澄みきっている。
オールクリア。異常無し。
コーチの手旗を合図にスタートする。
……出だしはまずまず。
順調にスピードに乗り、綺麗なラインを描きながらコーナーを曲がろうとした途端……背後で好調なスタートをきっていたリオンにインをつかれて、あっさり抜かれてしまった。
(えっ⁉)
その途端、ダウンしていた頭のコンピューターが突然起動して、真っ暗だった脳裏に警報が鳴り響く。
(マズイ!)
敗北の予感が胸をよぎり、アクセルを踏む足に力が入る。
――力みすぎるな。ミスするぞ。
――そんな事を言っていたら追いつけないだろう!
焦り。葛藤。迷いが生まれる。
必死にハンドルをきりながら追いかけるが、なかなか距離が縮まらない。
同じ性能のカートに乗っているので、目の前のマシンをとらえられないままゴールが迫る。
――逆転の余地はあるか?
……もう無い。
***
タイムアタックはすぐに終わってしまった。
「おいおい。なにやってんだよ、ハヤトの奴」
「手を抜いたのか?」
(……いや、違う)
タイムだって、そんなに悪くなかったはずだ。
……ということは……。
――リオンの方が速い?
いやいやいや。
そんな事は絶対に認めたくない。
勝負なんて、もうどうでもいい。と思っていたはずなのに、胸の中で何かが爆ぜる。
――どうして、こんなに悔しいのだろう。
(僕はまだ、本当に失ったわけではないのかもしれない)
心の底から湧きあがってくる気持ちに耳を傾けると、兄さんの言葉が蘇ってくる。
『俺は勝つ為に走っているわけじゃない。負けたくないから挑むんだ』
目の前の強敵に。己の限界に。
兄さんは、ただ勝ちたいと願うよりも、負けたくない、と思う方が、より強い力を生み出せると言っていた。
だから人は競い合い、悔しさをバネに自分を進化させてゆく。
でも、どうでもいい、と思ってしまったらそれまでだ……。
カートを降りた僕は、その場に立ちつくしていた。
周囲の音が消え、頭の中で反省会が始まる。
――僕は全力で挑んでいたか?
――どこかに油断がなかったか?
――どうして負けた???
――勝つ為にはどうすればいい?
思考回路が止まらない。
***
「タイムアタックは僕の勝ちだね」
憎らしい声で現実に引き戻される。
これまで積み重ねてきたものが一瞬で崩れてしまうような1敗が、僕の歴史に刻まれた。
「くそっ」
「なんだか期待外れだったから、チームを組んで欲しいという条件は撤回するよ」
リオンは調子づいて、ストリートレースには参加しなくてもいいから、ゲームの報酬を伊織に変えようと言い出した。
「なんだって⁉」
「僕はね、欲しいものは全て手に入れないと気が済まないんだ。だから……伊織の心を譲って欲しい」
「……そんな事、出来るわけないだろう!」
伊織は物じゃないんだぞ。
トロフィーのように、『はい、どうぞ』と渡せるわけがない。
「でも、君のような負け犬に、彼女は相応しくない。自分でも分かっているんじゃないか?」
リオンに指摘されると、僕は唇をかみしめた。
ほとんど当たっているだけに言い返せない。
――なぜ、こんなにも腹立たしいのか?
グツグツと煮えたぎるような苛立ちをこらえていると、その理由に気が付いた。
僕は……。
リオンにだけは負けたくないと思っているのだ。絶対に!
いつものように、どうでもいいと目をそむけていられない。
心の中が、真っ黒いタイヤカスで埋め尽くされてしまいそうだ。
「ハヤト。次は何で勝負する? 今度は君が決めていいよ」
目の前で強力なライバルが余裕の笑みを浮かべている。
ゲームなんてくだらない。
勝負にさえ応じなければ負ける事も無いのだが……。
――僕の故郷では、勝負から逃げる奴を『臆病者』と呼ぶ。
ふと、リオンの言葉が脳裏をかすめた。
(……僕は逃げるのか?)
いや……。
逃げたくはない。
2度と負けてたまるか!
走りたい。走らねばならない。走るしかない。
空っぽになっていた心の中に、ほんの少しだけ燃料が補充されたような気がしたのだが……。
車の事を考えると、体が強張ってしまう。
あの日の事を思いだしそうになって、心が勝手にエンジンを切ってしまう。
僕はやっぱり、走れないのかもしれない……。




