エピローグ
「シャドウ!」
僕は薄暗いトンネルの中で、ゴーストカーを呼んだ。
すると、オレンジ色のランプが消えて、闇の中から漆黒の車が現れる。
スポーツカーの王様、ガリアース。
『……ようやく覚悟が出来たようだな』
どこからか、兄さんの声が聞こえてきた。
「兄さん⁉ 消えたんじゃなかったの?」
『あぁ消えたとも。お前のせいで、真っ暗な地獄の底に逆戻りさ。でも……今度は、俺がワガママを言う番だ』
シャドウはウインカーを点滅させて、バトルを仕掛けてきた。
ゲームの内容は、どちらかがもう片方の車を振りきるまで島内を周回し続けるロングレース。
もし前の車のスピードについていけなければ、その時点でゲームオーバーだ。
全力で追い続けねばならない。
いや……伊織を助けるためには、シャドウを振りきらねばならないのだが……。
もし僕が勝ってしまったら……。
胸の奥に悲しい予感がよぎる。
でも……。
――最後に消えてしまうのは誰なのか?
それが分かっていても、兄さんは地獄の底から戻ってきてくれた。
僕を過去の呪縛から解放するために……。
わざわざ最期の別れを告げに来たのだ。
お互いに、それが1番心残りだったから……。
『ハヤト……これが最後の勝負だ』
***
僕は震える指でハンドルを握りしめた。
本当は別れたくないけれど、強い向かい風の中を歩いていくような胸の痛みと戦いながら覚悟を決める。
ガレオンのエンジンをかけると、静かな振動が車の目覚めを伝えた。
スタート前の張りつめた緊張感。
周囲の音を遮断して、意識を集中すると、僕は透明になってしまうような気がする。
車の一部になってしまえ。
余計な感情がそぎ落とされれば、目の前には走るべき道だけが見えてくる。
あとはもう、走り出してしまえばいいだけだ。
向かい風などものともせずに……。
『さぁ、行くぞ』
シャドウに続いて細いトンネルから抜け出すと、海の上に浮かぶ巨大な人工島の美しい夜景が目に飛び込んできた。
満天の星空。
とめどなく寄せては返す黒い波。
闇の中で煌くリゾートホテル。
ライトアップされた公園の噴水。
子どもの頃から過ごしてきた遊び場を駆け回るように、2台の車は風のように走り続ける。
初めて自転車に乗った道を。
ケンカした後で、泣きながら帰った道を。
いつまでもこんな日が続けばいいと、兄さんの車でドライブした道を……。
***
そのバトルは、いつまでも決着がつかず、僕はひたすらシャドウの後ろを走り続けた。
グルグル景色が巡る。
同じ世界をいつまでも回り続ける。
……でも、それでは駄目なのだ。
勝つ為には、前に出なければいけない。
前へ、前へ。
大切な人を護るために……未来に進まなければ……。
――2年前。
空っぽになってしまった心の中に、今は大切なものが溢れている。
恐怖やプレッシャーも桁違いに大きいけれど、今なら手を貸してくれる先輩がいるし、車を直してくれる監督さんもいる。
そして生涯、戦い続けるであろうライバルたちが待っている。
皆が僕を信じ、応援してくれるから。
その期待と信頼に応える為に、全ての想いを力に変えて……。
1人では受け止めきれなかった悲しみを乗り越えて……。
アクセルを踏む足に力を込める。
(さよなら……兄さん)
海岸沿いにある長い長い直線道路。
アクセルを踏み続けていると、少し遅れてターボのパワーが伝わってきた。
シャドウが目の前に迫り、ぐんぐんスピードを上げ、2台の車が横並びになる。
……これからはもう『ヒサトの弟』ではない。
1人のドライバーとして、戦いに生きる道を選ぶ。
(僕は……僕のために走るんだ)
誰にも負けたくない。
自分にも。
運命にも。
だからもう、現実から目をそらすのはやめにしよう。
心が潰れそうに痛くても。
この先、どんな困難に出会っても。
僕は……目の前の道を全力で……。
まるで誰かに背中を押されるように、背後から心地良い風が吹いてきて、勢いに乗ったガレオンが、どんどんシャドウを引き離していく。
どこからか兄さんの声がした。
『進め、ハヤト。お前は、どこまでも』
風に乗って、新しい冒険の舞台へ……。
夜明けと共に、地平線の彼方からまばゆい光が降り注ぎ、暗い闇を映していた波がキラキラ輝き出すと、バックミラーに映っていた黒い車は、陽炎のように消えていった……。
***
――シャドウ。
それは、僕の前に現れた真夏の幻影。
……ちょっぴり困った癖を持つ、幼なじみが起こした霊感トラブルだ……。
僕はまぶしい朝日が差し込む車の中で、病院に向かいながら考えた。
伊織が目を開けたら、何て言おうか。
「もう大丈夫?」
それとも、
「ありがとう?」
いや。
今度こそ、絶対に伝えなければ……。
「好きです。……僕の彼女になって下さい」
長い間、止まっていた僕らの時間も、動き出してくれるといいのだけれど……。
Fin
つたない物語を読んでくださり、ありがとうございました。




