9-4
車に乗り込むと、サーキットを走っていた頃の懐かしい感触が蘇ってくる。
真っ暗な闇の中にそびえたつのは巨大な霊峰。
誰もがてっぺん峠の頂で、ストリートキングになる事を夢みている。
仲間と共に最高の朝日を見る為に……。
いざ、チームの命運をかけて神聖なバトルへ!
「ハヤト……頑張って」
伊織には会場のドクターが付き添ってくれるので、今のところは大丈夫そうだ。
僕は車の鍵につけてあるお守りを握りしめた。
勝っても負けても、これが最後の競技。
(……兄さん。見ていて下さい)
困難や苦しみの先にある勝利の喜びを知っているからこそ、何度でもソコに辿り着きたいと思う。
イメージしろ……最高の走りを。
自分に魔法をかけろ……絶対に勝てると。
一片の悔いも残さないように、今の全てをぶつけるしかない。
運転席の上で大きく深呼吸しながら、ステアリングを握りしめると、吸い付くような感触がして、心が引き込まれていく……。
***
物心がついた頃にはもう島にいて、僕はレーサーになるのが当たり前だと思っていた。
カートに乗るのが大好きで、毎日のように仲間たちと順位を競っては、泣いたり、笑ったり、4つのタイヤを持つ乗り物と一緒に生きてきた。
無意識に呼吸をするように。家族を愛するように、車の事も愛していたのに、当たり前すぎて、その事を忘れていたようだ。
僕にとってかけがえのない大切なもの。
たくさんの仲間たちと繋がっている絆は何だろう?
――一体、何の為に走るのか?
僕は今も、その答えを探し続けている……。
でも、レースの間は運転だけに集中しようと、心の中身を空っぽにした。
深層心理の奥に、無垢な心が現れると、車を運転する喜びだけが溢れ出す。
余計な感情なんて捨ててしまえ。
ただ道なりに走るだけで構わない。
翼を得た鳥のごとく、機械の足を得て、どこまでも走り続ければいい。
自分の存在が希薄になれば、マシンとの同化は完了だ。
あとは機械の音を聞き取りながら、車の性能を最大限まで引き出すことに全力をつくすだけ。
ヘッドライトが、頂への道を照らし出す。
――3……2……1……GO!
合図と共に、てっぺん峠を駆け登るヒルクライムレースが始まった。
この瞬間から、僕の世界は一変する。
目を開けたまま見られる夢の中へと……。
***
スタート地点から並走を続ける4台の車は、ほとんど差がつかないままスピードを上げてゆく。
(ブレーキポイントだ)
と思ったコンマ数秒後には、スピードに乗った野堀さんの車が先行して最初のコーナーに突っ込んでいった。
オーバースピードのせいで後輪が滑りだし、車体を斜めに向けると、強烈な悲鳴を上げながら激しい砂埃を巻き上げる。
「おぉ!」
観客たちが感嘆の声を漏らし、僕の目もワイルドな走りに釘付けになった。
野堀さんのカンパネラは、きついコーナーを華麗なドリフトで抜けてゆく。
それを追いかける僕のガレオンは、一歩遅れて内側ギリギリのクリッピングポイントを通過した後、出口付近で加速しながら立ち上がった。
直線になるとターボのパワーが発揮され、コーナーの手前で離されてしまった距離が一気に近づく。
しかし、次のコーナーでもブレーキを踏んでいる間に差が広がって、オーバースピードで突っ込んでゆくカンパネラが悠然と逃げ続ける。
コーナーを抜けるたびに、近づいたり、遠ざかったり……それの繰り返しだ。
***
「また野堀が遊んでいるぞ。今夜は大事なレースなのに、なんでわざわざ遅い走り方をしてるんだ?」
「いやいや、アイツは野掘ガレージの息子だからな。アレでいいんだよ」
「そうそう。あまりにも楽しそうに走るもんだから、見ているだけで車に乗りたくなっちまう」
現実的な話……車を動かしているのは、メカニックの技術と燃料である。
しかし、ただの機械の塊に魂を吹き込んでいるのは……ドライバーではないだろうか。
同じ車でも、乗り手次第で、様々な性格に生まれ変わる。
***
(……なんで野堀さんに追いつけないんだ⁉)
前を走っているカンパネラのラインは無駄が多いはずなのに、どうしてなのか差が縮まらない。
それどころか、少しずつ離されていくような……。
どうやら、序盤はレースを盛り上げるために、わざとオーバーアクションの魅せる走りをしていたようだが、中盤を過ぎて勝負どころに差し掛かると、さすがに本格的な戦闘モードの走りに切り替えたようだ。
「行くぞ。カンパネラ。今年も俺たちの優勝だっ!」
野掘さんのペースが、一気に速くなった。
峠のコースは安全に配慮してあるサーキットとは違うので、ドライバーはどんな時でも安全を確保するための余力を残す……という意味で、100%の全開走行はしない。
しかし、ここぞという大事な勝負の時には、普段よりもしっかりアクセルを踏むし、過剰なくらいに取っていた安全マージンの量を減らす。
だからといって、本当に限界ギリギリの危険な走行をしなくても、野堀さんの車が後続車を振り切るのは簡単だろう。
でも、僕の場合は車の性能が劣っている分、ブレーキを踏む時間を極力減らし、限界付近まで安全マージンを減らすしかない。
それこそ水島のような、命を賭けたデスドライブに挑まねばならないのだ。
峠の上の方は路面が滑りやすくて恐ろしいが、
(絶対に離されるもんか!)
という意地と気合で、くらいついていく。
(あぁ、本当だ。野堀さんが言っていた通り、気合が必要だった……)
速度を落とすにしても落としすぎないことが重要で、もし前の車を追い抜くとしたら、スピードに乗った状態で一気に車体をねじ込んでいくしかない。
(行けっ!)
直線で並ぶ。
目の前にS字の連続コーナーが迫っている。
最初のコーナーは野堀さんがイン側。
でも、次のコーナ―では僕の車がイン側になる。
絶好のチャンス!




