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何万人という観客でごったがえしていた真夏の離島。
高校生になってから初めて迎えた夏の終わりのビッグイベント。
あの日はストリートレースの最終日で、僕は関係者たちが集まっているテントの側で、今か今かと兄さんの到着を待ちわびていた……。
もうすぐ大事な決勝戦が始まる時刻なのに、用事があって本土に行っている兄のヒサトが、島に戻っていなかったからだ。
兄さんが所属していたレーシングチーム『シードラゴン』のドライバーは2人だけ。『鋼鉄の魔人』と呼ばれる兄さんの後輩が予選のタイムアタックを勝ち抜いてくれたけれど、ヒサトが4つの競技のどれにも参加出来なければ、ルール違反で失格になってしまう。
***
陽が暮れて辺りが闇に包まれると、海上に花火が上がり、最初の競技が始まった。
会場には縁日のように屋台が並び、いたる所に観客がいる。
(兄さんは間に合うのかなぁ)
僕が携帯を握りしめながらウロウロしていると、
「ハヤト君。お兄さんはまだ来てないの?」
と、ライバルチームのドライバーに声をかけられた。
それは車の修理や改造なんかも手がけている『野堀ガレージ』という整備工場の1人息子で、4つも年上の大学生である。
幼い頃から兄さんと表彰台の奪い合いをしている強敵なので、僕は恐縮しながら、つい先ほど電話で聞いたばかりの話を伝えた。
「兄さんは、ヘリポートに向かう途中で渋滞に巻き込まれているそうです。全然、動かないみたいで……」
「まだ本土にいるなら、出てこられるのは最後のヒルクライムだけか。とにかく、ギリギリまでスタートを待ってもらえるように頼んでみるよ」
「……すみません」
「いやいや。ヒサトとは直接、決着をつけたいからね」
僕の兄さんは3連覇がかかっているストリートキングで、自慢の兄である一方、3歳の頃から戦い続けてきたライバルでもある。
「楽しみだなぁ。今夜は絶対に勝つぞー!」
気合充分の野堀さんが離れていくと、今度は浴衣姿の伊織が駆け寄ってきた。
手に黒い下駄を持ちながら、はぁ、はぁ、と息を荒げている。
「どうしたんだよ」
「それが……いきなり鼻緒が切れたのよ。まるで虫の知らせのように」
「はあ⁉ そんな事で走ってきたの?」
僕が裸足の足元を見ながら呆れていると、伊織が不安そうな顔で壊れた下駄を見せてきた。
「ちょっと気になるから、ヒサトさんに連絡を取ってみて」
「また、いつもの霊感トラブルか。いくら神様のお告げでも、あまり不吉な事を言わないで欲しいんだよなぁ」
幼なじみの伊織は、なんでもかんでも霊のせいにする。
非科学的なことを口走るその癖さえなければ、そこそこ可愛い女の子なのだが……。
「兄さんなら大丈夫だよ。ついさっき、渋滞につかまっているって話を聞いたばかりだし、運転中は電話に出られないんだ」
「でも……」
下手に携帯を鳴らして、よそ見をさせる方がよっぽど危険だろう。
僕たちがテントの陰で言い争っていると、持っていた携帯が鳴り出した。
「ほら。ちょうど兄さんからかかってきた。……もう時間が無いよ。ヘリポートには着いた?」
急いで出てみると、聞き覚えのない声がした。
『……ご家族の方ですか? これから救急搬送しますので○○病院まで来て下さい』
「えっ。どういう事ですか⁉」
『先ほど車の中から救出されましたが、非常に危険な状態です』
***
……あの晩、夜の高速道路で起きたのは、3台の乗用車を巻き込む玉突き事故だった。
兄さんの車は、居眠り運転をしていた大型トラックに突っ込まれてしまったらしい。
競技用ではないレンタルの軽自動車はペシャンコに潰れ、僕がヘリコプターで本土の病院に駆けつけた時にはもう……兄さんはこの世を去っていた……。
***
「嘘だっ!!」
大声を上げながら目を覚ますと、そこは見慣れた高校の教室だった。
世界史の教師に睨まれ、
「すみません」
と小声で謝って、下を向く。
昨日はほとんど眠れなかったので、昼休みに眠ってしまい、そのまま午後の授業が始まっていたらしい。
……あれから2年……。
僕の中では何も変わっていないが、
「大丈夫?」
と声をかけてくれるのは、伊織だけになってしまった。
あの日から、何度、同じ夢を見ただろう。
あまりにも唐突すぎて、僕はいまだに信じられずにいる。
(……兄さん……)
兄はプロデビューを控えていて、カートスクールでも期待の星だった。
僕もいつかは兄さんに追いついて、サーキットの上で戦い続けることが目標だったのに……。
――ヒサトはもう、どこにもいない。
窓の外に虚ろな視線を向けると、青い空に一筋の飛行機雲が浮かんでいた。
昨日、水島に話をしたせいで、完全に思いだしてしまったようだ。
***
人が交通事故に巻き込まれる可能性は数%。
でも、けして0ではなく、誰でも加害者や被害者になってしまう可能性がある。
――車は凶器。
なぜそんなものを運転するのか。
どうして速さを競う必要があるのか。
僕は分からなくなってしまった……。
***
『……だからカートをやめたんだよ。こんな話、聞かない方が良かっただろう?』
僕は昨日、面倒な来客を突き放そうと思って事故の話を打ち明けたが、水島は最後まで聞いた後、首を振った。
『ボクも同じ痛みを知っているんだ。……父も、車の事故で大怪我をしているから』
『だけど、それはレース中のアクシデントだったんだろう?』
もし兄さんが自らの操作ミスで命を落としたなら、まだ諦めもついただろうが……。
『それじゃあ、山吹君は、突然、大黒柱の父親が足を失っても、納得できるって言うの?』
『それは……』
『同じだよ。車の歴史は、事故との戦いでもある』
水島は、車が嫌いだと言った。
でも……彼女はカートをやめていない。
男のフリをしてまで、嫌いなレースに参加している理由は何なのだろう?
『……ボクはね。父がどうしてラリーに命を懸けていたのか、分からないんだ……』
水島は哀しげに呟くと、連絡先を書いたメモ用紙を渡してきた。
ズボンのポケットには、今も小さな紙きれが入っている……。




