6-2
しばらくすると、なかなか海堂が戻ってこないので、オーナーも様子を見に現れた。
そして、驚く。驚いて驚いて、その奇跡に目を見張った。
「やっぱり……ヒサトの車だったのか!」
コレは夢だ。きっとすぐに消えてしまう幻だ……と分かっていても、漆黒のボディーに手を伸ばし、ポンポンッとさすってみる。
2人の顔を見た途端、シャドウのエンジンがかかった。
バルルンと車体が震え、闇の衣を纏う。
「待てっ。もう行くのか⁉ 今、会ったばかりだろう」
オーナーは名残惜しそうに引き止めたが、黒い車は闇と同化し、すぐに見えなくなってしまった。
目にした時は本物だと思ったが、消えてしまえば、やはり幻だったとしか思えない。
ゴーストなんてそんなもの。
ワタアメのようにフワッと溶けて、胸の奥に幽かな後味が残るだけ……。
何度もまばたきしてみるが、目に映るのは、遠くで波打っている海だけだった。
黒い波は、規則正しく満ち引きを繰り返している。
「ヒサトさんは……一体、何のために現れたんですかね」
海堂がボソリと呟くと、海に向かって『なんまんだぶ』と両手を合わせていたオーナーは、油まみれの前かけで額の汗を拭った。
今夜も熱帯夜なので、頭がおかしくなりかけているのかもしれない。
「おそらく、海堂の事も放っておけなかったんだろう。事故の後、走れなくなったのは、ハヤト君だけじゃないからな」
そんな言葉を聞くと、海堂はフ~ッと白い煙を吐き出した。
「お前の腕ならメカニックとしてもやっていけるが……今やるべき仕事は何なのか。もう1度、考えてみたらどうだ?」
オーナーは、もう1人のドライバーを残したまま、ガレージの中に戻っていった。
***
……罠にハメられ、他人を海に突き落とした後、海堂は命からがら相手のドライバーを助けだしたが、それまで神聖なものだと思っていたバトルが価値を失い、絶望したことを覚えている。
人間の愚かさや、人間関係の希薄さにもウンザリした。
あまりにも汚いものを見せられて、完全に熱が冷めてしまったのだ。
(もう、どうでもいい)
危険なバトルを行った罪さえ償えば、全てが終わる。
そう思っていたのだが……人生というのは不思議なもので、どこまでいってもゴールが見当たらない。
これで良かった……と休める場所が存在しない。
生きている限り、潮の流れのように変化が続き、いつしか辛かった現実が自分の一部になると、心を覆っていた闇が少しずつ晴れてゆく。
1番大切なものは失ってしまったかもしれないが、暗い闇の向こうに、それまでは見えなかったものが見えてくるのである。
新しい夢。新しい出会い。新しい光……。
闇に差し込む一筋の光が、過去を乗り越え、進むべき道を示すコンパスとなる。
ヒサトは、
『疲れた体を休めたら、もう1度、冒険に出ろ』
と背中を押しに来てくれたのではないだろうか。
そのついでに、ヒヨコのような足取りで大海原に漕ぎ出した弟を助けて欲しい……と、頼みにきたのかもしれない。
(相変わらず、弟には甘いんだから)
***
長い長い夜が明けて、ハヤトが突然、修理工場に入ってくると、オーナーと海堂は再び腰を抜かした。
「なっ。ななな、今度は何だ⁉ ハヤト君のドッペルゲンガーか?」
「おいハヤト。こんな時間に何しに来た?」
まだ朝の4時である。
「すいません。なんだか寝つけなくて……」
シャドウに乗っていたハヤトが埠頭に置き去りにされたのは、バスも車も通っていない真夜中だったので、港から数キロの距離を自力で戻ってくるしかなかったのだが……。
『ゴーストカーに乗って、タコとバトルしていた』なんて話を信じてくれるのは、幼なじみの霊感少女だけなので、詳しい事情は伏せておく。
「ところでハヤト。怪我の具合はどうなんだ?」
海堂は、息を切らしながら床の上に座り込んだハヤトに近づくと、肋骨の周囲に広がる大きなアザを確かめた。
「これなら訴えることも出来そうだな」
と教えてやったが、ハヤトは首を振る。
「僕は、騒ぎにするつもりはありません」
そんな事をすれば、クラスメイトたちが大事な公式戦にも出られなくなってしまうからだ。
「悪かったな。俺がもう少し、分かりやすい説明をしておけば……」
「いえ……。それよりも、水島がチームを抜けることになったんです。ちょっと色々ありまして……。でも僕は、最後まで諦めません。自分に出来ることは、やり尽くそうと思っています」
ハヤトが暴虐を許し、最後まで上を目指す……と告げると海堂の心に堆く積み上げられていたゴミの山に小火が起こった。
大事な後輩を傷つけられた怒りと、すがすがしい程のハヤトの熱意にあてられて、葬ろうとしていた闘志が蘇る。
「なぁ、ハヤト。やっぱり、俺をチームに入れてくれないか?」
海堂は鋭い視線でヒサトの弟を見つめた。
まだ頼りない少年だが、何かを持っているような気がする。
「でも……海堂さんは、ライセンスが無いんですよね?」
不安そうな顔で見上げられると、昨日、取り戻してきたばかりの免許を見せてやる。
(もう2度と、ゲームなんてするものか)
……と思っていたはずなのに、ハヤトが襲われたと聞いた時、体がうずいて、居ても立ってもいられなかった。
「もし俺にやらせてくれるなら、ポイント稼ぎは任せてくれ」
「海堂さんに協力してもらえるなんて、夢みたいです」
ハヤトが頭を下げると、海堂はガレージの隅に目を向けた。
視線の先には、主が船を降りてしまったせいで眠り続けているマシンがある。
真っ青なボディーに、ドクロのペイントが施されているガレオン・オーシャン。
それは圧倒的な戦闘力で、獲物を仕留める海賊の車……。
どうしても手放せなかった海堂の愛車が、再び目覚める時が来たようだ。
「ハヤト君。ちょうど良かった。急ぎの仕事があるから手伝ってくれないか」
オーナーが声をかけると、ハヤトはヨロヨロと立ち上がったが、途中で力尽き、床の上に倒れ込んだ。
「すいません。もう足が棒みたいで、動けないんです」
「はあ? ……本当に、何しに来たんだ?」
海堂が事務所の中に連れていくと、ハヤトはソファーの上に倒れ込み、一瞬で眠りに落ちた……。




