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シードックと呼ばれる修理工場は海岸沿いにあるので、建物の外に出ると、道路と砂浜の先に真っ暗な海が見える。
広いガレージの中で、オーナーの近江辰彦と、メカニックの海堂勇那が急ぎの仕事をしていると、シャッターを下ろしてあるガレージの外から、けたたましいクラクションが聞こえてきた。
時刻は深夜2時。
近所迷惑も甚だしいが、何度も何度も、まるで早く出て来い、と呼んでいるかのように繰り返されている。
「……社長。お客さんみたいですよ」
「こんな時間にかぁ?」
ストリートレースが行われている夏の間は、毎晩、客足が途絶えない書き入れ時なので、夜中まで走っていて事故を起こした車が助けを求めているのかもしれない。
「海堂。悪いが外の様子を見てきてくれないか。なにやら、聞き覚えがあるクラクションなんだよなぁ」
真ん丸眼鏡のオーナーが作業を続けながら首を捻ると、車の下から海堂が出てきた。
深夜とはいえガレージの中は蒸し暑いので、立ったついでにエアコンのスイッチを入れ、ペットボトルの水を口にしてから外に出る。
乱暴に出入り口の扉を開けて外に出た途端、海堂は絶句した。
工場の前に停まっていたのが、見覚えのある車だったから……。
――漆黒のガリアース。
運転席には誰も座っていないが、懐かしい傷やシードラゴンのステッカーが目に入る。
「この車は……まさか⁉」
恐る恐る近づいていき、触れてみる。
これがハヤトが言っていた『シャドウ』だろうか?
見れば見るほど本物としか思えない。
(……どうして俺の前に?)
海堂は運転席の扉に手をかけてみたが、どうやっても開かなかった。
ヒサトの車は、ただそこにあるだけ。
何も言わず、クラクションも鳴り止んでいる。
「……ヒサトさん。ご無沙汰しています」
低い声で、車に語りかけてみた。
最初こそ驚いたものの、奇妙な車に遭遇したからといって、大騒ぎするような性格ではない。
(あぁそうですか。こういうこともあるんでしょうね……)
と思いながら、平常心を取り戻すためにタバコに火をつける。
ただの幻覚ならそのうち消えてしまうだろうし、もしゾンビのように襲ってくるなら、火に弱い。という噂を信じて、ライターで応戦すればいいだけだ。
鋼の心臓を持つ男……と言われるだけあって、海堂は全く動じなかった。
「ハヤトを探しているなら、ココにはいませんよ。きっと弟さんを心配しているんでしょう。ようやく冒険に出る覚悟を決めたのに、怪我をしたから」
ハヤトは、かつて自分たちが進んだストリートキングへの道に挑もうとしている。
だがその道のりは困難で、危険も多く、とても険しい。
「……それとも、俺に会いに来てくれたんですか?」
フーッと長く煙を吐き出しながら、小さく頭を垂れる。
もしそうなら感慨無量だ。
絶対に叶わないと思っていた夢が叶ってしまった。
懐かしい風が吹く……。
本当にヒサトが戻ってきたような気がして、頭の中に一緒に過ごした思い出の数々が流れ始めた。
(あの頃は、毎晩がお祭り騒ぎのようだった……)
ガレージの中で戦略を練り、車を連ねてゲームに挑み、バトルで揉めるたびにライバルたちと喧嘩して……。
「もしかして、怒っているんですか?」
くだらないバトルを受けてライセンスを失ったこと。
いつまで経ってもレースの世界に戻らないこと。
あるいは、長い間、墓参りに行っていないせいかもしれない。
思い当たる節は色々あるが、何を訊いても答えは返ってこなかった。
(……応答無し、か。きっついなぁ)
ヘソを曲げた時のヒサトは、こんな風に沈黙を貫いていたが……。
でも、何かしら言いたいことがあるらしく、ガリアースは動かなかった。
「?」
海堂は黙り込んだまま、車の前で海を眺め続けた。
夜の海は穏やかにたゆたい、空にはたくさんの星がきらめいている……。
***
――今から3年くらい前。
海堂はヒサトに声をかけられて、18歳でストリートキングへの道を駆け上がった。
でも、その翌年。事故が起きてチームは消滅。
その後、全てが白昼夢であったかのように、海堂の生活は色あせていった。
最初は多くのチームから声をかけられたが、ドコに行っても感動が得られない。
あの人の代わりなんてドコにもいないってことを思い知らされただけ……。
島に戻ってきたヒサトの棺に花を添えると、もう夢は見られない……そんな気がした。
毎日、ドコにぶつければいいのか分からない苛立ちが募り、少しずつ広がってゆく錆が心に穴を開けてしまう。
その穴を放置したまま乱暴な運転を繰り返していると、いつしか心が健全な働きを失って、走れば走るほど摩擦が繰り返されて傷だらけになり、高温になりすぎてしまう感情をクールダウンする冷却機能も壊れてしまった。
『……かかってこいよ。全員、海の藻屑にしてやる』
自分の心が汚れていく。
それに気付いたところで、海堂を止められる者はいなかった。
この島で育ち、幼い頃からカートに入れ込んできた人生には、車と海とバトルしかない。
夏が終わり、秋になっても、挑んでくる奴らを返り討ちにして、海の上で自分の存在意義を探した。
(……俺にはコレしかない。チキンゲームに全てをかけてきた……)
車はドライバーを裏切らない。
埠頭のステージこそ、自分の居場所だと思い込んでいた。
オーバーワークがもたらす破滅へのカウントダウン。
いつかは終わりが訪れることを感じていたのに、真冬になってもゲームをやめられなかった。
『……次はどいつだ?』
夏が終われば、公道バトルは違法行為である。
腕を磨くためにこっそり走っているドライバーもいるが、多くはスリルに取りつかれた狂人ばかり。
海堂も、バトルにのめり込んでいた。
***
(……あの時は自棄を起こして……おまけに驕っていたんだよなぁ)
自分が1番巧いと思っていた。
誰にも、絶対に負けない自信があった。
……だから、足元をすくわれてしまったのだ。
あまりにもつまらない結末を思いだし、地面にタバコを落として乱暴に踏みにじる。




