3-3
僕は車をスタート位置に寄せ、リオンを待った。
窓越しに隣のコースを見てみると、キャラックは天井部分を開け放ち、オープンカーのスタイルになっている。
よほど自信があるようだ。
(さっきは正確な情報が無かったから、早めにブレーキを踏むしかなかった)
でも、今度は違う。
車の感覚がつかめた今なら、リオンは全力で壁に寄せてくるだろう。
勝つためには、ゾッとするようなギリギリの勝負に出なければならない。
深呼吸を繰り返し、目の前のバトルに集中する。
目指すは……ジャスト100キロからの完全停止だ。
車の制動距離は、スピードに応じて爆発的に伸びてしまう。
速ければ速い程、止まるまでに長い距離が必要になるので、生じる誤差の値もメートル単位で狂ってしまう。
失敗すれば、壁に突っ込む可能性もあるだろう。
極限まで集中力を高め、この1戦に全てをかける!
スタートランプが点灯し、2台の車が一気に加速を始めた。
僕は慎重に車を進めるが、リオンは先に100キロを越えてもさらに加速を続ける。
そして突然、強烈なブレーキングを始めた。
しかし、そんなあからさまな陽動には惑わされず、僕は自分の仕事をキッチリこなす。
目標のブレーキポイント直前に100キロに達し、青いランプが点灯するタイミングを見計らって、ブレーキペダルに力を込める。
グイグイ踏み込むと同時に、巨大な壁の存在が目の前に迫ってきた。
さっきとは比べものにならない迫力だ。
脳が震え、体が怯え、衝突の予感が全身を突き抜ける。
目の前まで壁が迫ってしまい、僕は心の中で念じ続けた。
(止まれ。止まってくれ!)
目一杯だ。
余裕なんて全く無い限界ギリギリまでブレーキ操作を待った。
だから、止まりきれないかもしれない。
もはや祈ることしか出来ないが、なかなか車の勢いが殺せない。
(タイヤの磨耗分か? それとも熱のせいか?)
あまりにも強烈なブレーキングを行うと、マシンに負担がかかり、思わぬ故障を引き起こしてしまうことがある。
でも、マシントラブルなんて言い訳にはならない。
車のせいでも負けは負け。
横には、オープンカーの気配があった。
リオンも壁際数センチの距離を狙っていたようだ。
勝つ為には、やはりこれだけのリスクを負わねばならなかった。
(頼む……)
壁に向かって吸い寄せられていく2台の車。
時間にすれば、ほんの一瞬の出来事だが、僕にはスローモーションのように長く感じられた。
なにやら叫び続けていた観客たちが静まり返り、僕らの決闘を見守る為に、海上のコースを見つめながら立ち上がっている……。
***
必死にブレーキを踏み続けていると、コンクリートの凹凸さえ見えるような位置に停止した。
かなり近い。
目と鼻の先に壁があるように見えるが……擦った感触は無かったはずだ。
フゥーッと息を吐き出しながら横を見てみると、すぐ側にキャラックも止まっている。
(どっちだ⁉)
2台の車が完全に停止すると、審判たちが駆け寄ってきた。
その中には、当番制で回ってくるジャッジを務めている野堀さんの姿があった。
兄さんのライバルが、ポケットから金物製のメジャーを取り出し、僕の車と、壁との距離を測り始める。
「……野堀さん。どっちの車が勝ってますか?」
僕が待ちきれずに窓を下ろして尋ねてみると、4つも年上の大学生は、ニヤリと嬉しそうな笑みを浮かべた。
「驚いたなぁ。2人とも、とんでもない新人だ。……でもヒサトの弟なら、これくらい出来て当然なのか?」
野堀さんが目で了承の合図を送ると、車の左右に立っていた審判たちがそれぞれ白い旗を上げる。
どちらの車も、壁にはぶつかっていないようだ。
「ただ今のゲームの結果をお知らせします。勝者は……山吹隼人。記録は、壁から9センチ……」
埠頭のスピーカーから奇跡のような数値が告げられると、待ち構えていたように観客たちが跳ね回って大騒ぎを始めた。
車を降りたリオンも、自分の目で壁との距離を確かめると、激しい雄たけびを上げる。
「Oh my god!」
リオンだって壁際16センチと絶好調だったのだ。
相手さえ違えば、確実に勝利していたはずだが……今夜は僕が3連勝。
「こんな結果は信じられない」
リオンは何度も壁を叩きつけると、自分では抑えきれなくなった激情をクールダウンするために、真っ暗な海に飛び込んだ。
ザパァンと激しい水しぶきが上がり、野堀さんが慌てて救助用の浮き輪を投げ入れる。
「コラァ! 服を着たまま飛び込むなっ」
コース上もにわかに騒がしくなり、僕はゆっくり車から降りた。
コンクリートの壁に触れてみると、とても固くて、ひんやりしている。
べったりした潮風が、海の香りと共に通り過ぎていく。
(本当に……僕が勝ったのか?)
勝利の余韻。
あまり現実味を帯びていなかったその喜びが、ゆっくり形になり始める。
港に集まっている人々の大歓声に包まれていると、強い日差しを浴びているように、心の奥に熱い力が漲ってくる。
まるで、少しずつ燃料が充填されていくような……。
潤滑油を取り戻したエンジンが活動を再開し、忘れていた勝利の喜びに胸が震える。
(僕は……)
この瞬間の為に、走っていたのではなかろうか?
恐怖とプレッシャーの先にある勝利をつかむために……。
その夜、観客たちは長い間、興奮し続け、僕はほんの少しだけ、失くしたパーツを取り戻せたような気がした。




