嘘の始まり
特待生寮
夕方、私と美咲君が寮に戻ると、寮長が話しかけてきた。その内容は、副会長を見なかったか?というものだ。
私達は見ていないことを伝えると、そうかと短く答え、今日は外出するなと残し、携帯を片手に校舎の方に歩いていった。
何だろう?と言う彼に、私はとにかく寮長の指示に従って様子を見るしかないことを言うと、彼もそれに頷いてくれた。
自室に戻った私の携帯には、一件のショートメールが入っていた。送信先の番号は、私が眷属に渡した共通利用の携帯番号だ。
内容は極めてシンプル。
Complete とだけ書かれている。
私はノートパソコンを開き、ブラウザーで設置済みのカメラの動画を開く。そこには狭い一室が上から映されており、中心にはベッドが一つあった。そこには横たわる制服姿の女性がいる。
その顔に私は見覚えがあった。今朝のテレビに映っていた、生徒会の副会長だ。彼女は静かな寝息のまま寝ているように見えるが、その首筋には丸い一枚のシールが貼られている。
このシールは私が作成したものだ。
このシールに描かれた術式は、一週間程で貼られた身体に定着し、二つの斑点を残して消える。その後このシールを貼られた者は意識を取り戻すことなく、その斑点を通じて生命力が吸い上げられる仕組だ。吸い上げられた生命力は私というハブを経由し、眷属へ均等に分散される。
この様子は人間の医学的に見れば、意識不明の状態、且つ通常より速い速度で弱っていくように見えるはずだ。
彼らは点滴で栄養を補給され、それ以上の衰弱を避けるために必死になるだろう。
そして、意識不明となり生かされたものは者は、寿命、または衰弱死するまで私達に生命力を提供し続ける。
この術式を私は、"The worst act"と名付けている。
私はこの術式を受けた初めての人間を観察する必要があった。
定着期間や、人体の拒絶反応等、環境による差異など、行うことは多々ある。私はそれをモニターし、必要あれば眷属に指示だけ出すことになっていた。
翌日
私が教室に行くと何やら騒がしい。私を見かけた女生徒が知ってる?と聞いてきた。私の返答を待つことなく女生徒は、噂なんだけど副会長が行方不明となったらしいと語った。
警察では家出だけでなく事件の方向でも捜査を進めているらしいが、この学校が政府の試験校という立場があるため目立っては発表されていないらしい。
それは当然生徒への配慮もあってのことだろう。
昼休み、私は重い身体を両手で支えて立ち上がる。昼食は学食を利用するつもりで教室を出ると、同じく学食に向かう美咲君がいた。
私は彼に声をかけ、一緒に食事をすることにする。
食事中の話題は、主に日本の学校はどう?少しは慣れたか?というものだ。
私はそんなに違和感なく過ごしている事を言うと、彼は笑顔で良かったと言った。
その顔を見たとき、私は二つある心臓に鋭い針で刺されたような痛みが走る。
彼は話を続けた。昨日寮長が私たちに話しかけたことだ。彼は、副会長が家出をしたらしいと言う。
食事の終わった私に、彼は部活には入るのか?と質問する。私が検討中と答えると、私は歌が上手いから声楽部もいいかもね、と言った。
それは日常的ながら、一瞬の会話。学生生活と言うものを私が普通に過ごす事自体、本来異質なものだ。それでも、この一瞬の経験は私の中に刻まれる。
午後の授業が終わると、私は一人寮に帰り、ノートパソコンを開き進捗を確認する。術式の定着は順調に進んでいた。
この術式が上手く行けば、眷属たちが救われる。私は今はただそれだけを考えるように努める。
そして六日後、術式の定着は成功した。彼女の首筋には二つの斑点だけが残り、そこから生命力が流れていることを確認して、私は安堵する。
無事に事が進んだことを確認した私は、眷属に指示を送った。
その後の私はどっと疲労に襲われ、ノートパソコンの電源を切ることなくベッドに倒れ込み、意識を手放した。
翌日の朝、行方不明だった彼女は海岸で意識不明の状態発見され、病院に搬送される。それは私が作り出した予定調和だ。
辺りには救急車のサイレンが響き、朝の海辺の静寂を打ち砕く。私はそれをここではない遠くで起きている出来事のように感じていた。
登校した私は、美咲君に声をかけられた。彼の横を気づくことなく通り過ぎていたらしい。
彼は、顔色が悪いけど大丈夫?と心配そうな顔で私を見る。私は、自国の仕事関係で夜更かししていたから、と作り笑顔で返す。
その日の授業内容も、クラスメイトと会話した内容もよく覚えてはいない。その日、帰宅した私はノートパソコンを開くこともなく、闇に落ちた。
朝、目覚めた私は鏡を見ると、自分の姿が映っていなかった。力の調整が出来ていない事を意味し、私は嫌でも自分の精神状態を把握することになった。もちろん術式の発動による影響の可能性もある。
その日、私は学校を休むことにした。
どれぐらい時間が経ったのだろう、私はベッドの上で目を覚ました。時間は午後三時を回っている。私は体を起こし鏡を見ると、そこには変わらぬ私の姿が映っていることを確認し、私は安堵する。
するとトントンと、ドアを叩く音がした。誰だろうと思い、重い身体を起こしてドアスコープを覗くと、そこには美咲君の姿があった。私は迷うことなくドアを開ける。
彼は居心地悪そうに立ったままだったので、部屋の中へ案内した。
要約するとこうだ。私が休んでいる事を寮長が彼に言い、見舞いぐらい行ってこい、と背中を押したらしい。女子寮の中というのに、ここの寮長はかなり寛大なようだ。
私は今になって自分が寝衣のままだったことに気づき、こんな格好でごめんねと彼に謝ると、彼は首を振り、昨日顔色の悪い私のことが心配だったらしく、何か出来ることはないかと言ってくる。
私は体調はもう良くなったと言い、見舞いに来た彼にお茶を出す。といっても、コンビニで買っていたペットボトルのお茶だから、彼が変に気にすることはない。
彼は、昨日病院に搬送された副会長が今も意識が戻らないといった話を聞き、そこに体調の悪い私の姿か重なって気になってしまったらしい。あながち外れでもない彼の感に、私は少し困った顔と嬉しい顔の中間のような顔をしていた。
真祖として生まれたとしても、私も一人の女性であることには違いない。遙かな昔、他の真祖に言い寄られたこともあるが、それは政略であったり、私の力を目的にしたものばかりだ。だから私は早々にそういう世界から決別し、真祖であることに徹した。
だから、この一時のような今の時間を、生まれ育ち一千年以上経って感じることになるとは考えもしなかったのだ。
彼は最後に、私の顔を見れて安心した、と言い帰っていった。そんな彼に私は手を小さく振り、見えなくなるまで見送る。
彼の帰った室内で携帯が振動した。
そして、そこに表示されたCompleteという文字を見て、私は泣いた。
それからの記憶ははっきりしていない。私は事務的に各作業をこなし、学生生活を行う。そんな私をたまに見かける寮長が、私で良ければ話を聞くぞ、と声をかけてきたのは意外だった。
私よりも経験豊かに見えることがある寮長は、私にとっても不思議な存在だったと言える。
中間試験が終わる頃、既に五名の生徒が意識不明のまま入院をしていた。
計画は順調と言え、術式に問題がないことが証明されたことになる。
この日もいつもと同じように帰ろうとした私だったが、担任からちょっと話があると言われ職員室へと向かうと、人手が足りなくなった生徒会の手伝いをしてくれないかと言ってきた。
多くの仕事に追われた生徒会は、現在かなり厳しい状態らしく、全般的に成績も優秀で別の視点を持つような生徒を仮でもいいのでメンバーに欲しいらしい。
私は流石に即決出来ず、考える時間がほしいと担任に伝え帰宅した。
その夜、私は美咲君に電話をした。
電話を受けた彼は暫く考え、取りあえずお試しで受けてみても良いのでは、と言ってくる。
彼には、私が自国で行っていた事務的な内容を簡単だが伝えている。そして周りへの配慮や、全体を俯瞰してみることが出来るのだから、一ヶ月という限定でひとまず手伝ってみてもいいのではと提案してきた。
その翌日、私は担任に返事をし、生徒会室のドアを叩いたのだ。
それからの私の学校での生活は、生徒と副会長代理という二つの立場になり、細々としたことから、大きな事としては秋の文化祭に向けての準備、調整といった仕事も入ってきたが、気分を紛らわすには丁度良かった。
そしてここで私も想定外の事が起きた。
生徒会長が行方不明になったのだ。
私は眷属に、拉致する生徒は特待生寮以外の生徒という指示しか与えていない。
眷属にとって日本人の顔はどれも同じに見えるので、細かな指示内容は行えない。それが裏目に出たことになる。
結局私は自分で設定したお試し期間を終わらすことが出来なくなり、肩書きは副会長代理から、副会長兼会長代理となってしまった。
流石に仕事量がオーバーフローしそうになり、ついに私は美咲君に助けを頼んだ。
彼は事務的な仕事は本当に優秀で、書類の作成や進行表等は彼の手助けあってのものだ。私のお願いに嫌がることなく、俺で良ければと言ってくれた彼には感謝のしようがない。
夕暮れの生徒会室には、書記や会計の生徒は既に帰り、私と美咲君だけとなっていた。
敷地内にある特待生寮に住んでいるのは私達だけだから、最後まで残るのが当然とも言える。
今日の仕事を終えた私は、ポットのお湯を注ぎ、彼にお茶を出した。
ありがとう、と彼は言う。
彼は窓の外を見つめ、私に言った。
「今起きている事件て、本当に人間の仕業なのかな?」
私が驚いた顔をしていると、彼は、変かも知れないけど人間以外の存在が起こす事件が存在すると俺は思う、と言った。
彼は、昔変わった経験をしたから、それ以来考え方を縛らないようにしているんだと私に話す。私はそんな彼にかける言葉を見つけられずにいると、彼は、そろそろ帰ろうか、と話を終了した。
私は、私が知らない彼の一面を、その時垣間見た気がした。