ありがとう
海沿い
私と彼、美咲君は駅前へ向かうことにする。
駅へと続く県道沿いは、一度利用したファミレスやコンビニぐらいしかない。
海はまだ春が遠いのか、青よりも黒い色に近い。そんな、人によっては退屈な風景を見ながら、私と美咲君は歩いている。
でも、会話に特に困ることはなかった。
「特に門限なんて無いよ」
彼が住む寮について話してくれる。学生の自主制に任せているという事で門限もなく、敷地にはいるための電子キーを渡されているらしい。
ただ、問題を起こしたときは退寮であったり、退学の処置が直ちに行われる。
責任を持って学生生活を過ごすようにということらしい。男子寮と女子寮が別れているのは最低限のルールというところか。
美咲君は私にその電子キーを見せてくれる。
「これが自室の鍵にもなっているんだよ」
クレジットカード大のカードには彼の名前がプリントされている。
学食や購買の支払いもこのカードで行われ、請求は月末に行われるという。学園内だけで使えるクレジットカードと私は理解した。
「伊井御さんて、こういうのに食いつきいいけど、理系なの?」
「私は経営学とかがメインだし日本だと文系かな。コンピューターはハードは詳しくないけどソフトウェアは割と分かるよ、でもそっちはどちらかというと趣味かな」
「あっ、確かにスペック表見てずっと悩んでいたものね」
美咲君はうんうんと頷く。
私は業務上必要にかられて、20年ほど前からコンピューターを触りだした。真祖なのだからそんなことはしなくていいと眷属の誰かが言ったが、私は真祖であると同時に領主であり、経営者だ。
多くの情報を効率的にまとめる手段として手を出すのはある意味当然だった。
初心者向けの参考書片手に、キーボードに向かう真剣な顔した真祖。
当時、他の真祖に笑い物にされた事もある。でも、なんとか基本操作を覚え、表計算に始まってインターネットの普及にも遅れることなく付いていけたのは、私の努力の結果だと思う。
今では他の真祖に対し、ITコンサルタントのようなこともしている。時代は変わるものだ。
そんな私もハード面のことは苦手だ。
だから、困らないためには最新の高スペックと呼ばれるものを選択するしかない。辺境の私の土地では、私以上に詳しい者がいないのだから仕方なかった。
美咲君は実際に持っているわけではないけど、製品やスペックを見ればどのようなものなのか理解する。電子機器が嫌いではなく、情報収集が趣味だという彼の特性なのだろうか。
私が実家ではこのような機器を利用していると彼に話したとき、「それってデータセンターに置くような最新の機器だよ」と唖然とされた。
人には向き不向きがある。私はそれを改めて実感したのだ。
「じゃあ近くの専門店に後で行ってみようか?」
美咲君の言葉に私は笑顔で返事をした。
駅前に着き、割と大きなスーパーに二人で入る。
「伊井御さんも自炊はするんだよね。部屋には小さいけどキッチンがあるから、食材の買い物ではここをよく使うよ」
自国の食品の販売はどちらかというと市場であったこともあり、このスーパーという感覚は私には目新しかった。
「俺は平日は昼は基本学食を利用しているけど、それ以外は基本自炊だよ。週末は実家が多いんだけどね」
私は彼の家族構成を思い出し、少し申し訳なくなった。
「気にしなくていいって。うちの親は、週末に親とだけ過ごすのは不健康とか言うし。それに、俺自身の自己満足だったりするのも正直あるからさ」
「それなら良いのだけど」
「でも、やっぱり注目は浴びるね」
ふと周りを見ると、視線が私たちを、正確には私に向けられている。
「伊井御さんの容姿のせいかな。美人だしやっぱり目立つんだと思うよ」
「そう?んー、この髪が目立つなら、茶か黒にしようかしら?」
髪に手をやる私に、美咲君は目を見開いて驚いた顔をした。
「駄目だよそんなの、せっかくそんなに綺麗な赤い髪なのに、もったいないよ」
わたしの母譲りの赤い髪を褒めて貰えたことに、私は少し着分が良くなる。
この髪は、私の、真祖としての代名詞となっている。でも、私個人をさす言葉とは少し違う。個人として評価された発言は、やはり嬉しいのだ。
「ありがとう」
私は感謝の言葉を口にする。
昼近くになり、二人でファーストフード店に入った。
休日のせいか人が多かったが、美咲君が二人分の席を取ってくれる。
メニューはスマートフォンのアプリで確認し、彼が注文しに行ってくれた。一人になった私は、手持ち無沙汰になり軽く足をパタパタと振る。
そんな私に声がかけられた。知らない顔の二人組だ。何というか、余り知性の高くなさそうな20代の男性。彼らは何やら私に話してくる。日本語分かる?今日暇?遊びに行こうよ?等と、相手の意志を汲むことなく話し続ける。
この国の男性の中には、どう見ても相手にする年齢よりも低い少女にアプローチする趣向を持ったものがいるらしい。
それは自分への自信の無さか、力で押さえつけられる相手だけを選ぶのか、どちらにしても褒められたものではない。
私は関心がないことを伝えるが、相手はそれを理解する頭もないらしい。
さてどうしたものかと私は悩む。この姿でも人間を地べたに這いつくばせることは容易だが、そんな目立ち方をするのは本意ではない。
その時、トレーを持った美咲君が帰ってきた。
彼は二人に対して私が自分の連れであることを伝えるが、それを理解する頭のない二人は感情だけを高ぶらせる。美咲君は、困った表情をする私を一度見ると、携帯を片手に二人の写真を撮影すると電話をいじり話し出した。
「はい、おかしな二人組に絡まれて助けてほしいのですが。ええ、彼女と二人で。はい、相手の写真も撮っています。直ぐに着て貰えませんか。ハイ、お願いします」
彼は話し終えると、二人に携帯の画面を見せた。そこには"110"と表示されている。
二人組はそれを見ると、何も言うことなくすごい勢いで立ち去った。
「それ、番号入力しただけで、ダイヤルしていないよね?」
「そっ、伊井御さんほど冷静に判断する相手じゃなかったから効果あったよ。俺は腕っ節は強くないから、君を守るために今俺が出来る最善がこれだったんだ」
彼は笑った。
私を守ると言って笑った。
私は真祖として世に出てから、初めて守られたのだ。
「あ、、ありがと、、」
私の戸惑いの理由は彼には理解できないだろう。でも、気持ちは伝わったらしく、さあ食べようとバーガーセットをテーブルに起き、私にドリンクを差し出す。
私はそれを受け取り、上目遣いで飲みながら美咲君の顔を見た。まだ少年と青年の狭間にあるような顔がそこにある。
私は真祖だ。責任があり、守るべきものも多くある。でも私は守ることになれていたが、守られることには慣れていなかった。
「伊井御さん、落ち着いた?朝と比べて大分固さが無くなったみたいで良かったよ」
私は自然体にしていたつもりだったけど、違ったらしい。
彼は私の様子に安堵していた。
食後は、書店に入りコンピューター系の書籍を見たり、携帯ショップで最新機種の相談をしたり、百円ショップに入ったり等して過ごす。
私の興味をひいたカラオケ屋に二人入ったときは、私は懐かしめのロック系の洋楽を歌い、彼の拍手を恥ずかしいながら受けた。美咲君は邦楽だけを歌い、私も知らない国の音楽に対して拍手で応えた。
そんな今だけの日常を私は楽しんだのだ。
夕方、美咲君は私をホテルまで送ってくれ、寮に荷物を運ぶときは手伝うよと言ってくれた。
「ありがとう、じゃそのときまた連絡するよ。今日は一日楽しかったわ」
彼は少し照れた顔をして帰って行く。
私は前より自然に、ありがとうと言えた自分を感じていた。
三月の半ばになり、私は寮へと引っ越しの準備をする。美咲君は約束通り、連絡すると手伝いに着てくれた。
最初、彼は私の泊まっている部屋を見てかなり驚いたが、それもわずかな時間で、手荷物の整理を手伝ってくれる。
当初は近くに滞在する眷属の手を借りることも考えたが、私は彼との約束を優先する事にしたのだ。
私の荷物は大きなトランク二つにまとめられ、それをホテルのロビーまで移動する。私はチェックアウトの手続きを行いつつ、タクシーの手配をお願いした。
美咲君と二人ロビーで雑談していると、頼んでいたタクシーが来た。荷物を後ろのトランクに入れてもらい、二人後部座席に座る。
「ホテル住まいもやっと終わりだわっ」
「でも、寮はあの部屋よりずいぶん狭いけど平気なの?」
持て余していたから、と私は彼に苦笑して答えた。
寮に着くと、私は寮長への挨拶と、美咲君が手伝ってくれることを伝え、彼が女子寮へはいることの許可をお願いする。寮長は二十代後半のきつい目をした女性だ。
しかしやたら大きな笑い声をするさっぱりとした女性という印象で、彼を見ると二つ返事で彼の手伝いを許可した。
「美咲ー、変な気だけは起こすなよ」
寮長のその言葉とあわせて。
エレベーターのない寮に、大きなトランクを運ぶのは通常は大変だ。
私ならそんな苦にはならないが、美咲君は男として頑張ってくれているので、今はその気持ちを素直に受け取る。
私の部屋は浴室のないワンルームという感じだ。キッチンは一口のコンロで、どうにか自炊も出来るだろう。
浴室は共同浴場が一階にあるということだ。入る時間は決まっているが、そんなに問題はない。また多くの生徒と一緒に入るらしく、古代ローマのイメージを思い浮かべる。
この寮は海沿いにあり、窓を開けると広い海と潮風が飛び込んでくる。私はそれを全身で受け止めた。
ここで始めることに美咲君はどう感じるだろう?
私はこれから彼に嘘をつくことになる。
それを彼は良しとはしないはずだ。
だから、私は彼に嘘をつき続けないといけない。なのに私はまだついていない嘘に対して不安で仕方がない。
私はこの部屋にいる彼に、今後も自然に接する事が出来るのか、今はそれだけを考えていた。