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逃避行

作者: 梅花希紀

この物語は物語ではありません。


この物語に夢はありません。

この物語に希望はありません。

この物語に未来はありません。

この物語に救済はありません。


この物語は皆様の気分を大いに乱す可能性があります。

この物語を明日を夢見る善良な市民の皆様は読まないようにして下さい。


この物語をそれでも読みたいという酔狂な方は、どうぞお進み下さい。







 列車の窓から外の景色を眺めた。

 暗い夜の闇の中、流れていく街並み。ビルの窓から漏れた光は、流星のように軌跡を描きながら私の視界を横切っていく。二列に並んだ車たちの赤いテールランプも、瞬きの間に過ぎ去っていった。慣れ親しんだ故郷の姿をこの目に焼き付けようと、小さな窓から外の世界を凝視した私は、目前に広がる暗闇の中に空虚な己の顔を見つけ思わず目を閉じた。

 私は生まれた故郷を離れ、単身都会に向かおうとしている。

 新たな生活には希望に満ち溢れ、輝かしい未来が待ち受けているに違いない。そんな極当たり前の期待と喜びを胸に抱いてはいたが、しかし今の私の心を支配しているのは後悔であった。

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 一体私はどこで間違ってしまったのか。一体私はいつ間違ってしまったのか。一体私は何を間違ってしまったのか。先に立つのは後悔ばかり。そもそも私は間違ってしまったのか。それすらも、私にはわからない。

 私は努力した。

 精一杯努力した。これ以上ない程努力した。死に物狂いで努力した。信じられない程努力した。想像を絶する程努力した。

 結論から言えば、私の努力は何一つ実を結ばなかった。全てを懸けて努力したが、成果は一切出なかった。

 今、私は思う。努力すれば夢は叶う、などというのは幻想でしかない。努力して夢が叶う人間は、初めから「努力すれば夢が叶う」ように作られているのだ、と。初めから努力しても夢が叶わないように出来ている人間――例えばこの私のような人間――は、どれだけ努力しても決して、絶対に、永遠に夢が叶うことはないのだ、と。

 そうでも思わないと、私は私が赦せない。

 私の人生とは何だったのか。この十数年間、一体私は何を為し、何を得たのかというのか。何も為せず、何も得られなかったのではないか。そうだ、その通りだ。きっと私の人生とは何でもなかったのだ。何にもなれなかったのだ。そんなことは分かりきっていた。考えるまでもなく。

 私の全ては与えられた物だった。

 与えられた身分、与えられた立場、与えられた役割、与えられた未来。誰かの望み通りになるように生きて、そして誰かの望み通り死ぬのだ。そう思っていた。しかし私は、知らず知らずの内にレールを外れ、そうしてこんな惨めな今を生きようとしている――いや、それには語弊がある。惨めなのは今に始まった事ではない。思い返せば生まれた時から、いついかなる時も私は惨めだった。惨めで悲惨な人間であった。それでも誇りはあったのだ。与えられた人生を生きることにも誇りがあった。しかし今はどうだ。そんな誇りも失い、私の手にあるのは後悔だけだ。

 私は故郷を捨てたのだ。

 故郷の家族も、親も兄弟も親戚も、友人も知人も、愛した人も、私が持っていたありとあらゆるつながりを捨て、故郷を捨てて生きるのだ。そうしなければならない。最早、私にはそれ以外の選択肢はない。既に運命付けられている。いや違う、その運命は私自ら選び取ったものだ。自らの手で運命付けた運命だ。それを捨てることは出来ない。つながりを捨てても運命は捨てられぬ。

 家族との温かな団欒も、最早遠い過去の物。既にこの手から失われた儚き幻想。空想、夢想。友人との楽しい日常も、恋人との甘いひと時も、二度と味わうことは出来ない。もう二度と味わうことの出来ぬように、徹底的に捨て去らなければならない。

 しかも、私が捨てたつながりは、後に必ず拾い直さなければならないのだ。どれだけ手酷く縁を切ったとしても、いずれ、そう遠くない未来に必ず結び直さなくてはならないのだ。離れた故郷に舞い戻り、彼らと再び顔を合わせなくてはならない。己が見捨てた者たちの恨み辛みを、この身に受けなければならない。そのように結び直す、拾い直すとわかっていながら、それでも捨てなければならない。出来る限り悲惨に、可能な限り凄惨に。酷く惨く、手に入れることなど二度と出来ないように破棄しなければならない。そうしなければ立ち行かぬ。しかしどれだけ悲惨に凄惨に徹底的に捨てたとしても、後に必ず拾わなければならない。どれだけ傷ついても、どれだけ恨まれても、どれだけ疎まれても、どれだけ貶められても、それでも絶対に拾わなければならない。拾い直したつながりが、もう、過去の物とは異なるとしても。

 反対に、手にした未来は実に取るに足りない物だ。

 こんな小さな未来を掴むために生きてきたのではない。こんな小さな未来を手にするために他の全てを捨てたのではない。だが私の手の内に残ったのはこんな小さな未来だけだった。望み薄き未来。後悔に満ちたちっぽけな未来。魅力など欠片も感じない。それでも今の私は、それに縋って生きていくしかない。それしか道は残されていない。いや、それしか道を残さなかった。残していたら捨てたからだ。私は必ずこの未来を捨てたからだ。それだけは絶対に避けなければならなかった。だが、そんな私の決断でさえも、今の私には後悔の種にしかならない。

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 もっと上手くやる事は出来なかったのか。

 もっと上手にやる事は出来なかったのか。

 出来たはずだ。私はもっと上手くやれたはずだ。少なくともそれだけの力はあったはずなのだ。しかしそれでも、今の私はそうなっていない。この私は出来なかったのだ。この世に平行世界という物があるとすれば、きっとこの世界の私だけが上手くやれなかったのだ。他の世界の私は楽々上手くやれたのに、私だけが上手くやれなかったのだ。そう考えると余計に後悔する。何故私は、私だけは上手くやれなかったのか。何故。


 列車は、故郷からかなり離れた土地までやって来ていた。

 窓の外に明かりはなく、一面夜の闇に包まれている。

 ガラスには依然落ち窪んだ私自身の顔が浮かび上がっており、それがまるで私自身を嘲笑っているかのような気がして思わず吐き気がした。

 いや、それは間違っていない。笑え。私を笑え。存分に笑うがいい。その方が、気が楽だ。笑ってくれ。今の私には「お前は大馬鹿者だ」と笑い飛ばしてくれるような者はいない。それが余計に辛い。だから笑え。笑ってくれ。頼む、頼むから。こんな私を嘲笑でも何でもしてくれ。

 こんな下らないことを思う私を無視して、列車はひたすら進んでいく。

 これが社会だ。乗せている人間の意志など無視して、ただひたすらに、ただ一心に進んでいく。途中で止まることも、降りることも赦されていない。それに乗ったが最後、終着駅に辿り着くまで決して止まることは出来ない。降りることは不可能ではないが、飛び降りるしか手段はなく、致命傷は避けられない。最悪の場合即死だってありえるだろう。諦めて乗り続けたとしても、待ち構えている終着駅は惨めな人生の終わりだ。

 私は諦めてしまった。止まるのも、降りるのも、終わるのも。

 努力しても仕方がないのだから、何をしても何も為すことは出来ないのだから、惨めに生き続けるしか道はないのだから、つながりを捨てなければならないのだから、手にしたのはちっぽけな未来だけなのだから、自分自身にも嘲笑われるような私なのだから、そのまま社会に飲み込まれる他ないのだから、抗うことなど出来ないのだから。

 でもこうなったのは私のせいではない。

 私が悪いのではない。私は何も悪くない。私は精一杯努力したし、何かを為そうと必死だったし、どんなに貶められても生き抜こうとしたし、大切なつながりだって捨てたし、ちっぽけな未来だって受け入れたし、自分自身に嘲笑われてもめげなかったし、社会の為に尽くすことに決めたのだから、私は何も悪くない。悪くない悪くない。そうだろう?


 現実から逃げ出した私を乗せて、列車はひたすら現実へと進んでいく。








この物語はフィクションです。

実在する個人、団体とは一切関係ありません。

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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちわ! 読ませていただきました。 何かすごく心に刺さるものがありました。 捨ててきたものでも必ず拾い直さなければならない、 という部分が特にグサッときました。 私はときどき終点がな…
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