第2章 2月(5)
「星杜学園1年 波原小春 168㎝ 60㎏。 けっこう大食い!」の続編なので、当小説内で直接的にはわからないエピソードも出てきますが、ご容赦を。
小春、少し様子がおかしいです(笑。
翌日のお昼休み。いつものように、友哉が紙袋を持ってそそくさと教室を出て行く後ろ姿を見送ると、私と麻莉子は購買で買ったパンを食べるために席を移動させる。
と、麻莉子が。
「えぇ~~~~っ!? こっ、小春ちゃん、どうしたのぉぉ!?」
いつもよりも麻莉子の話すスピードが早い……という事は、本当に驚いているんだろう。
「えっ? 麻莉子、なんなの急に。驚かせないでよ」
麻莉子が目を白黒させて、私が購買で買ったパンを凝視している。
「だっ、だって、だって、だってさぁ。麻莉子、始めてみたんだもぉん」
「あっ、このパンの事? 私も始めて見つけたから思わず買っちゃったよ。でも、それで麻莉子がこんなに驚くとは思わなかったわ」
「違う、違う、小春ちゃん。麻莉子はそんな事を言ってるんじゃないよぅ」
「え?」
「だって小春ちゃん。いつもはパンの数は5個じゃなぁい」
「ま、まぁそうだけど」
「なのに、なのにぃ、なんで、なんで今日はパン1個なのぉ!?」
「え……、あっ、あ、そうだね。そっか……そこだったか……。うん、その、なんか今朝から、あんまり食欲がわかないっていうかさ」
「えっ、ええ~~~~~~~~! 小春ちゃんっ!!」
麻莉子が目をまんまるに見開いて、私を見ている。
「それは間違いなく、どこか病気だよぅ!? 小春ちゃんが食欲ないなんてぇ、ありえないでっしょぉ!?」
「そんな事ないよ、麻莉子。どこも調子悪くないし、痛いところだってないし」
でも確かに考えてみれば、今までに食欲があまりないなんて事はこれまでは皆無だったかもしれない。
とりあえず、私はパンを食べ始める。
(そう言われれば……おかしいかも……?)
と、そこへ桐生がつかつかと近寄ってきて、私に声を掛けてくる。
「小春、久遠の声が教室に響いていたが……おまえがパン1個というのは、いったいどういうわけなんだ?」
気がつくと、麻莉子の教室に響いた声と、桐生がそばに来たことで、私は教室内に残っていた他の生徒からも注目を浴びてしまっていた。
「ふっ、2人して嫌だなぁ。別に私、いつもと同じだよ?」
そう言ってパンを元気よく食べてみせる。
(でも、たしかにあんまりおいしくないような……)
「そっ、それにね。私、じ、実は昼休みに用があって、早く食べ終わりたいのもあってさ」
麻莉子と桐生が、一瞬顔を見合わせる。これ以上、私の食欲不振について2人に追及されるのも億劫な気がしてきて、私はそそくさとパンを食べ終わると
「麻莉子、桐生。心配してくれてありがとね。そういうワケなんで、私、ちょっと行ってくるね!」
いつもと同じように元気な感じで受け答えをして、元気よく席から立ち上がった。
「えーーーっ、どこ行くのぉ? 小春ちゃぁぁ~~~~ん、麻莉子も一緒に連れてってよぅ」
さっきの言葉はとっさのいいわけで、用なんて最初からなかった私は、背後から呼び止める麻莉子の声も聞こえないフリをして、一気に教室を飛び出した。
「びっくりしたぁ~」
私は、五角形の中庭を囲む廊下までたどり着くと、ようやく足をゆるめた。
「パンの数くらいで、あんな風におおげさにしなくたって」
一人ブツブツとつぶやく。
「あたしがパン1個なのが、どこがおかしいわけ? だいたい麻莉子だって、いつもパンは1個か2個だし、他の女子生徒だってそんなもんじゃない」
ゆっくりと歩きながら独り言を続ける。
「あたしだって、多少は食べたくない時だって……。あれ……そんなこと、今までって無かった……かな?」
これまでの自分を振り返る。
「あたしが食欲のない時」
そう言われれば、確かに思い出そうとしても思い出せない。風邪くらいしか病気らしい病気なんてした事がないし、それに風邪くらいで食欲が落ちることもなかったはずだ。両親が亡くなった時は、さすがに食欲は無くなったんだろうけど、思い出さないようにしているので、その辺りの記憶は曖昧で。
「あたし……麻莉子や桐生がいうように……何か変……なのかな……?」
思い出すと、昨日寮に帰ってからくらいから、あまり食欲がなくなっている。お腹がすかないわけではないんだけれど、食べたいと思う以上に心の中を、よくわからない何かが占めているとでもいうか。
そんな事を考えるともなく考えながら歩いていると、頭の中に浮かび上がってくるものがあった。
「あ、盆栽……」
私の口からそのキーワードが漏れ出るのと、私の足がピタリと止まるのが同時だった。廊下の向こうから歩いてくる一人の男子学生が、目に飛び込んでくる。
なんと、その男子学生の姿を見た途端に、私の意に反するかのように心臓が早鐘を打ち始めた。
(えっ!? なっ、なっ、なんで、あたし、急に心臓がドキドキ!?)
(普通に歩かなきゃ、こんなところで立ち止まってたら、おかしいと思われるかもしれないし)
(ちょ、ちょっと待て、波原小春。なんで他人の目なんか気にしてる? )
そんな事を自問自答しているうちにも、男子学生はだんだんとこちらへ近付いてくる。
(話した事もないのに、向こうはあたしの事なんか知らないんだから、小春、落ち着け! なんで、あの先輩に過剰反応してる!?)
少し膝が震えていたかもしれない。でも私は、なんとか歩き始めた。
(身体がスムーズに動かない)
私の歩いてる姿を見た人は、きっとロボット歩きに見えたことだろう。それでも、うつむき加減で歩き、なんとかすれ違おうとしたその瞬間。
「こんにちは、波原さん」
その男子生徒に声を掛けられて、一瞬私は、心臓が喉から飛び出すかと思うほど驚く。
「は、はいっ!」
思わす声が裏返ってしまった。
(この、あたしの反応はなんだ!?)
自分で自分がよく理解できない。
「波原さん、昨日、説明会に参加してくれてたでしょ? 最後まで熱心に聞いていてくれたから嬉しかったんだよね」
気さくに声を掛けてきてくれた盆栽部の及川先輩は、そう言うとにっこりと笑ってくれた。
「あっ、あの、あたしの名前……なんで知ってるんですか?」
始めて言葉を交わすのに、このセリフはおかしくなかっただろうか?
「なぁに星杜学園の生徒なら、みな知ってるさ。なんたって、波原さんは、星杜学園をクローン人間から救うために立ちあがってくれた正義のヒロインなんだからね!」
入学してから否応なく巻き込まれた、学園全体での映画撮影のことを及川先輩は言った。
「そ、そうなんですか。えっと、あの、その……ぼ、盆栽って、間近で見たのは昨日が始めてで、その、見ていると心が穏やかになるっていうか、そ、その、及川先輩の説明もわかりやすくて、なんていうか……」
ちゃんと日本語を話せているのかどうか不安だった。
「ありがとう、そう言って貰えると、僕も嬉しいな」
「そっ、それでですね。あ、あたし……実は、こっ、これから、盆栽の本を探そうと思って……図書室へ行こうと思っていたところで」
とっさのウソだった。いや、強ちウソとも言い切れないだろう。及川先輩に会わなかったとしても、さっき盆栽というキーワードが飛び出した後で、たぶん私は図書室へ行こうと思っただろうから。
そして、私のそんな言葉を聞いた及川先輩は、とても嬉しそうな顔をした(ように私には見えた)。
「そうなんだ! 波原さんが、そんなに盆栽に興味を持ってくれるとは思わなかったよ。よし、わかった! それじゃ特に用もないし、これから僕も一緒に図書室に行って、盆栽の本を探してあげるよ。波原さん、構わないかな?」
残念ながら、それからどうやって図書室へ向かったのかも、図書室で何を話したのかも、私はよく覚えていない。私が覚えているのは、本当に最後の会話くらいだ。
「うん。まずは盆栽の基本を知ることから入るといいから、この2冊がオススメかな」
及川先輩はそう言うって、何冊の盆栽関係の本の中から、私の手に本を2冊置いてくれた。
「この図書室にある盆栽関係の本はね、代々の盆栽部の先輩たちのリクエストで少しずつ揃えられてきたものなんだよね」
「そ、そう言われれば……こ、高校の図書室にしては、盆栽の本がた、たくさんありますよね。びっくりしました」
「だろう?」
及川先輩は、とても嬉しそうに書棚にならんでいる、盆栽関係の背表紙を眺めていた。
「あ、そうだ。波原さん」
「は、はい?」
「もし特に予定が入っていないんなら、今日の放課後もぜひ説明会に来てよ。もっともっと盆栽の魅力を波原さんには知ってもらいたいな」
「えっ……。あ……ハ、ハイっ! 必ず行きます!」
「うん、良かった。それじゃまた後でね」
そう言って踵を返すした及川先輩は、背中を向けたまま片手を上げて挨拶を残すと図書室から出ていった。扉が閉められて、及川先輩の姿が見えなくなった途端、私の緊張の糸が一気に緩む。
「ふぅ~~~~~~~~~」
そんなはずはないのに、図書室の酸素濃度が薄く感じられて息苦しかった私は、まずは大きく深呼吸をする。
(なんだろ、この緊張感。顔が熱いよ)
自分の頬が熱を持ってるのを感じて、めんくらう。始めての経験だった。
『盆栽の魅力~緑のアート~』
『ようこそ盆栽の世界へ』
及川先輩の選んでくれた二冊の本のタイトルに、何度も目を走らせる。
「よぉぉぉぉーーーーーーし! 波原小春、目指すは盆栽職人っ!」
本の貸し出し手続きを終了すると、やる気に満ち満ちて、私は図書室を出た。