第2章 2月(3)
星杜学園1年 波原小春 168㎝ 60㎏。 けっこう大食い!」の続編となっていますので、当小説で直接的にはわからないエピソードなども出てきます。ご容赦下さいませ~。
麻莉子にも振られた私は、今日は一人での学食ランチデー。でも、そんな事は波原小春にとっちゃ全然問題じゃない。なんでも一人で行動できるのが、大人ってものなのですよ。
そういえば……。
麻莉子が、今日のお昼休みは用があるからごめんねーと言ってきた今朝の事を思い出す。私が軽い感じで「友哉も一緒なの?」って聞き返したら、麻莉子の瞳が一瞬泳いだように見えたのは、私の見間違いだったんだろうか。
まぁ何か隠しているにしても、それはそれなりの理由があるからで、必要な時にはちゃんと麻莉子も友哉も、私に話してくれるだろうと確信しているので、別にどうってこともない。仲良しの友達に隠し事をされて哀しいとか、仲良しの友達から仲間はずれにされて寂しいとか、そんな風には思わないのが波原小春のいいところでもあるわけで。
さて、場所は学食。今日もいつもと変わらぬ盛況ぶりだ。
私が今、手に持っている「学食1年間フリーパス券」も、もうすぐ期限が来る。この券には、ずいぶんとお世話になったものだ。食べ盛り、大食い(自分では言いたくない)の私の胃袋を、どれほど満たしてくれたことだろう。ありがたや、ありがたや。
「小春ちゃん、相変わらず元気そうだねぇ。おや、今日は一人なのかい?」
学食のおばさんに声を掛けられる。大食いで名高い私は、学食のおばさん達を喜ばせてもいるようだ。
「こんにちは! はい、今日は一人なんですよー」
「そうかい、そうかい。今日もたくさん食べられそうかい?」
「もちろんです!」
学食のおばさんは、大きく頷くと
「よし、わかったよー。それじゃ今日もおばさん特製の小春ちゃん定食にしようかねぇ」
「お願いしまーす」
そんなやりとりを交わした後で、おばさんからトレーを受け取ると、座る席を探して学食内を歩き出す。
と。すれ違う生徒から、声を掛けられた。
「波原さーん、こんちはー」
「えっ、あ、はい。こ、こんにちは」
今のは知らない上級生の男子。
「波原ー、今日は久遠と一緒じゃないの?」
「うん、今日は一人」
今のは、隣のクラスの男子だっけ?
「波原さん、今日もたくさん食べるのねぇ」
「はい、今日も食べるんです」
これは、2年生の女子生徒。
(うーん……なんだろ、この感じ?)
いつから、こんなふうに知らない人から、ひんぱんに声を掛けられるようになったんだっけ?
「波原さん、こっち、こっちー。一人なら一緒に食べようよー」
「波原、ここも席空いてるぞー」
「おっ、1年の波原小春だな。こっち来いや」
(な、な、な、な、なんだ、なんだ、なんだ!?)
私は、とても困った。波原小春の人生の中で、こんな経験は今までにはない。いったいどのテーブルに行けばいいのかとても迷っていた時だった。私の内側に向けて気が一気に流れ込んでくるのを感じる。
(この感じは、桐生)
私が気の流れをたどった先には、やはり桐生が座っていた。窓際に向かって並ぶカウンター式の席に座り、上半身を後ろに捻って片手を上げて手招きしているのが見える。
(あたしを、呼んだわけね)
続いて桐生は、自分の隣の席を指し示した。
(あー、はいはい)
私は仕方なく、窓際に座る桐生の席に向かった。
「桐生、あんた、今、例の力使って私を呼んだでしょ?」
隣の席につくや否や、まずは桐生に確認する。
「あぁ、まぁな」
「生徒会長から、むやみに使っちゃいけないってあれ程言われているのに、なんで使うかなぁ!?」
「いや、この程度なら使ったうちには入らんだろ。それとも何か、このざわついてる中で、おまえの耳に届くくらい大きな声で、『小春』って名前を呼んだ方が良かったのか?」
「そっ、それとこれとは……」
「小さい事は気にするな。別に悪い事に力を使ったわけじゃないんだし」
「桐生ね、言っとくけど、小さい事から、大それた事が起こるんだよ!?」
「わかったから、そうキーキー言うな」
「キーキーってどういう事よ!?」
「まぁいい」
「なによ、まぁいいって」
「それより、今も見てたんだが、波原小春はずいぶんと人気があるようじゃないか」
「……へっ!?」
――「ねぇ、見て。あれ、桐生君と波原さんよ」
――「ホントだ。あの2人って、映画の中での設定じゃなかったの?」
――「桐生のヤツ、波原の事、マジで好きなんじゃないか?」
――「2人とも、背が高いし目立つよね。お似合いなんじゃない?」
――「おれ、波原みたいな女子、良いと思うんだけどな」
「おまえ、最近、声を掛けられる機会が増えただろ?」
「んーーーー、そう言われれば……そうかなぁ」
「そうかなぁ、って、小春、おまえなぁ、ちゃんと自分の今の立場を認識しておいた方がいいぞ」
「今の立場?」
めずらしく眼鏡の奥で、桐生の瞳が笑っている。
「映画撮影も無事に終了して、波原小春という人間がとうとう解禁になったからな。映画の中での波原小春の活躍は、星杜の生徒たちに響いていたようだし」
「なによ?解禁ってのは。でも映画って言えば……」
そうだった。桐生には聞きたい事が山ほどあったはずなのだ。
「おまえの男らしい行動に魅了された生徒の数はうなぎ昇り、今や、波原小春は星杜学園のアイドルといっても過言じゃないな。だいたいおまえ、創立記念前夜祭でのミス星杜を決める投票でも、かなりの票を獲得していたじゃないか」
「それは……」
4月に入学してきてからの事って、いったいどこまでが本当で、どこからが虚構だったんだろう。
「あぁーーーーっ!!」
いきなり思い出したくない事を思い出してしまいそうになって一瞬身体が硬直してしまう。
創立記念前夜祭の12月24日、全てが明かされた後で最後まで生徒会室に残っていた私と桐生。その時に、桐生は私を……、私は桐生に……。
いやいやいや、思い出すまい!
これ以上は決して思い出しちゃいけない……ような気がする。
私は、喉まで出かかっているものを無理やり飲み込んで、目の前にある、おいしそうな特製小春ちゃん定食を食べることに方向転換した。
「とっ、とりあえず桐生、まずはお昼ご飯を食べようよ。お先に、いっただきまーす!」
私は迷わず箸を手にとった。
「ん~~~~~~~~、おいしーーーーーーー」
気がつけば、あっという間においしいご飯を食べる事に熱中する私がいた。空腹感が少しずつ充たされるに従い、少しずつ周りに気を配る余裕も出てきたところで。
と、隣で食べているはずの桐生が、私を眺めている事に気付いた。
「なによ、桐生。女性が食べてるところをそんなふうに見てるのって、エチケット違反だよ?」
桐生を睨む。
「すまん、すまん。あんまり小春がうまそうに食ってるもんだから、すっかり見惚れてた」
桐生は、冗談とも本気ともつかぬ口調で、ぬけぬけとそんな事を言う。
「はいはい、分かりましたよ。分かったから、もうあっち向いて」
私は顔をしゃくって、向こうを向くように合図をする。
「それにしても、小春」
「まだなんかあんの?」
桐生は、いっそうマジマジと私を眺める。
「なによ、あらたまって」
「おまえ、冬休み前までよっぽど苦しかったんだな」
「えっ……? いきなり何の話かと思えば……そんなの当たり前でしょ!? この星杜学園を、クローン人間の悪の企てから救う使命を与えられて、あたしは一人で立ち向かおうとしてたんだよ。どんだけ辛かったと思うのさ」
「確かにそうだよな。小春だけが、映画と知らされずに関わっていたわけだし」
「そうだよ。マジでありえないわ」
桐生が視線を外して床に落とすと、しみじみと気の毒そうに言葉を続ける。
「だから、なんだな」
「なにがよ」
桐生の表情が、ふっと哀しげに変わる(変わったように私には見えた)。
「小春……おまえ、冬休みの間、どれだけ気が緩んだ?」
「緩んで、何が悪いっての?」
「おおかた気が緩んで、食っちゃ寝、食っちゃ寝ばかりの生活をしてたんだろ」
「へっ?」
そして桐生の次の言葉は、私の心臓を突き刺した。
「おまえ、明らかに太ったぞ。体重、何キロ増えたんだ?」
マンガで表現するならば、私の顔に、さーっと縦線が入った瞬間だった。
「な、な、な、なっ……!!!」
こいつは、こいつは、こいつはっ!!!
体重が増えた事を、ひそかに気にしている私に向かって、こんなにもハッキリとっ!!!
怒りで膨張したこめかみの血管が、ぶち切れそうになる。
「あ、あ、あっ、あたしの体重がどれだけ増えたって、あんたには全然関係ない事でしょ! なんか迷惑でもかかるわけ!?」
確かに体重は増えた。あっと言う間に4㎏も増えていた。
でも、だからって、だからって、物事には言っていい事と悪い事がある。私だって、一応は女の子なのだ。
「あ、あ、あんたの、そのデリカシーのなさったら!」
私の怒りが頂点に達しようとした、その時。
「まぁまぁそんなに怒るな、小春」
「怒るな、って、怒らせてるのは桐生でしょう!? なんで、いつもいつも、そんな事ばっか言っては私を怒らせるわけ?」
私の噛みつきそうな勢いに動じる事もなく、桐生はこう言い放った。
「どうして、って聞くのか」
私の鼻息がどんどん荒くなっていった。
「まぁ、そうだな」
言葉を区切った桐生が、意味ありげな視線で私の表情をとらえると、臆面もなく言った。
「小春。おまえがかわいい、からかな」
ぴしっ、と。
私の身体全体にクモの巣状にヒビが走った瞬間だった。
「かっ、かっ、かわ……?」
「はははは」
桐生は、腹の底から楽しそうな笑い声を上げると
「俺は食べ終わったんで、先に出るぞ」
そう言って、さっさと学食から出て行った。
その後ろ姿を見ながら「なんなの? 今の桐生の発言はっ!!」
私のこの憤りを、いったいどこへぶちまけたらいいというのか。
そんな興奮冷めやらぬまま頭に血が上っている私に向かって、臆することなく話し掛けてくる女子生徒がいた。
「あのー、波原さん。ここの席、空いたんなら、座ってもいい?」
1年生だけど、知らない顔だ。
「え? あぁ、うん、どうぞ」
他の人と会話をしたお陰で、私はちょっとだけクールダウンする。
――「あぁーーーーっ!! 久美ったら、本当に波原さんの隣に座っちゃったよ!」
――「いいなぁー。私が声掛ければ良かった」
――「隣って桐生くんが座ってた席だもんねー」
「座るのはいいけど、桐生のバカ菌が移っても、あたしは知らないからね」
「もう、波原さんったら何言ってるんだか。私は、2人にあずかりたいくらいの気持ちなのに」
「……は???」
今のように、私は時々日本語の意味が理解できなくなる事がある。
それでもあまり深くは考えず、いや、何も考えないようにして、私は残っていたおかずをガツガツと口の中に掻き込んだ。