落し物、贈り物・3
十二月二十六日のボクシングデーは使用人たちの休日で、主人は彼らに贈り物をする必要がある。共に過ごす妻子が在る者は邸を留守にするが、いないものは邸に居残りだ。マギーは「実家に家族はおりますが、年が明けてから一日替わりのお休みを頂ければ十分です」とのことで、もう一日料理を作ってくれる。
「やっぱり自分でプレゼントを渡して来よう」
あれこれ悩んだ末に選んだ赤いモロッコ革製の眼鏡ケースではあったが、喜んでもらえる自信はロバートには無かった。
「たまには眼鏡を外した顔を、見せてください」
そんな言葉を書いた小さなカードを添えたが、かえって不味かっただろうか? マギーに限って言えば、どう思われるのか、あるいはどう思われているのか、さっぱりわからないのだ。
マギーにプレゼントを渡してから、今年最後の挨拶と言うつもりで社交クラブに顔を出した。ここも今日は普段より営業時間が短い。常連の五人が珍しく文学談義らしい。皆、世襲貴族の子息だ。
そのうち三人が既婚者で、三人とも妻は親戚筋の女性だ。ロバートに従姉妹とか親戚を紹介しようと試みた者もいたが、どうもそんな気にはなれなかった。友人たちに言わせると「ロバートは器量好みが過ぎる」「母上が社交界の花形で美女だった方だから要求水準が高すぎる」という事らしい。自分では意識していなかったが、彼らの言うように自分の母親の顔が女性の美醜の基準になっているのかも知れなかった。
お世辞にも美しいとは思えない令嬢と結婚した彼らが、案外幸せそうなので、美醜が全てではないのは分かっているのだが……やはり、自分の基準で「美しい」と思う相手と結婚したいと思ってしまう。
「キーツ、バイロン亡きあと、やっぱり時代はテニスンだ」
「ロード・バイロンと言えば女性との華々しいスキャンダルの数々しか、頭に浮かばんな。詩の良し悪しなんて、僕には分からんさ。かろうじて小説なら、つまらんか面白いかぐらいの区別はつくが。妻には『趣味が良くない』と思われているようだが、知るものか」
「御婦人はロード・バイロンのような美男子が好きだからな。まあ、男も美女の方が好きだから、おあいこだ」
「サッカレーは悪くない。好きかと言うと、そうでもないが」
「ケンブリッジ出身のサッカレーより、いっその事庶民派のディケンズの方がいいな。僕の母などは彼の小説を読んで泣くんだ。お涙頂戴的な俗な部分はあるが、迫力は有る。実体験に基づいているらしいからな」
「君の母上は銀行家の令嬢だからな」
つまり生粋の貴族ではないと、軽く揶揄しているのだろう。「古い家柄だけが誇りというのは流行らない」と自分で言っていたくせに、矛盾した発言をする男だとロバートは感じたが、静かにコーヒーを飲んでいる。しばらくは皆の論議を黙って聞いて、良い所で入ろうと言うわけだ。
「実に全く、難しい世の中だ。昔の貴族は下々の者の感情やら尊厳やら考えずに行動できたのだがな」
「フランス革命やら、奴隷解放やら、色々あったしな。昔のようには行かんさ」
「労働争議も近頃は華やかだ。まあ、僕は工場なんぞ持ってないから、人ごとだがね」
「だが、カリブ海方面のサトウキビ農園は君も関係あるだろう」
「まあ、あちらでは奴隷解放なんて有名無実さ。知性的な黒人なんて僕は知らんし、さほど気も咎めない」
「アメリカには戦闘的な黒人の活動家がいるぞ。知らんのか?」
「ああ、僕も聞いた記憶が有る。『皮膚の色・性別を問わず、人は皆平等の権利を与えられるべきだ』と言って回っているらしいな。ダグラスという男だ。まだ二十代だったと思う。十二分に知性的かどうかは知らんが、投稿やら演説やらは、かなり派手にやっているらしいぞ」
「御婦人が参政権を求めて演説するのだ。黒人の男が演説したって、さほどおかしくないさ」
「女が政治家になるって言うのか?」
「女王陛下は、確かに女性であられるぞ」
「そりゃあそうだが、我々貴族院議員の輔弼を受けておられる」
「ハハハ、陛下はメルボルン子爵しか、いや最近は王配殿下しか、ちょっとはピール首相も当てになさるが、我々はその他大勢という位置づけさ」
「王配殿下は王室内の不合理な冗費を節約されたようだが……」
「少々、しまり屋さんでいらっしゃる……な。ここのクラブの調理長のフランス式の料理はお気に召さなかった様だしな」
「食い物にうるさいロバートは、どう見る?」
カリブ方面の貿易で富を蓄えた家柄の男が、話を振ってきたので、仲間内ではあり、おかしな飛び火もしないと見てマギーの件をそれとなく聞いてみる事にした。
「見栄えの良い華やかな料理と、毎日食いたいものは違うって事だろう……なあ。れっきとした貴族の令嬢がよその家で料理人として仕事をしていると言うのは、何が目的だろうな」
「料理人が、それで務まるのか?」
「腕前は確かだな。他の使用人ともトラブルは無いようだ」
「新しく家庭料理の本を出版するにあたっての、実践と検証。このジャンルは御婦人方に大変人気が有る」
「家庭内使用人の実態調査」
「女性の自立に向けての技術の追求」
「貴族の令嬢って言ったって、色々ランクが有るだろう。頭の中で男の年収ばっかり考えているようなのも、珍しくないぞ」
「僕の奥様に言わせれば、それは女子に公平な教育の機会が与えられていないためなんだとさ。彼女が妙な政治活動でもおっぱじめないか、ちょっと心配だ」
「君の奥さんは筋金入りのお姫さまじゃないか。労働者階級の不潔さ加減を見たら、恐れをなすだろうさ。大丈夫だ」
「工場主の嫁やら、娘やらに、過激なのがいるようだな。中には婦人参政権のためなら、破壊活動も辞さない物騒な女もいると聞くぞ」
「選挙権を女に寄越せ、女も大学に入れろ……そんな事を言う女は残念ながら増えているな」
「アメリカには女の大学が出来たそうだが、我が母校はそんな流れに追随しないで欲しいものだ」
「アメリカの女の大学なんて、大学なのか? 私塾がデカくなっただけじゃないのか?」
「ちゃーんと、学士号が授与されるそうだぞ」
「へっ。まあ、植民地レベルじゃあ、まともな大学のはずもないよな」
そう言った男はつい先日「アメリカ東部の幾つかの大学の学問的なレベルは低くない」と自分で言っていたのに、忘れたのだろうか、とロバートは思った。確かに元植民地を一段低く見たい感情はわかる。生意気な事に「1812年戦争」だの「第二次独立戦争」だのと呼ばれる争いまで、起こしたのだ。1814年にベルギーで講和条約が結ばれたとはいえ、その時イギリス側が感じた強烈な不快感を身近な大人たちから聞かされてロバートも育った。あのナポレオンを相手にしないで済めば、絶対にイギリスの方が勝った争いだったらしい。
ともかく五人が五人とも「アメリカの女の大学」に対して否定的な反応を示した。だが、本当に大学らしい大学だとしたら、どうなのだろうか? 勉強しすぎた女は頭でっかちで、鬱陶しい存在だとこれまでは信じて来たが、それだけでは無い、何か新しい時代の変化を反映しているのだろうか、ともロバートは思った。
クラブで、王配殿下から女王陛下直属の料理長兼給仕長をクビになったシェフの料理を食べた。ホタテガイの貝殻にホワイトソースで和えた魚介類を盛り、表面に焦げ目をつけた料理は目新しく美しかったが……
「美味いな。やっぱり。堪えられん」
「さすがはアントナン・カレームの弟子だ」
友人達は絶賛したが、ロバートにはそれほどとは思えなかった。どうにもマギーの料理より不味い。
「ロバートの所は父上が美食家だから、定めし良い料理人がいるんだろうな」
「あ? まあ、な」
まだ、マギーの話を皆にするのは早いと言う気がする。少なくともどこのだれかぐらいは突き止めてからにするべきだろう。それにデートの約束一つ、出来ていないのだ。父が何も思い出せていなかったら、多少強引にでもハーグリーブス夫人に捻じ込むしかない。そう思い定めて帰宅すると、父と二人で夕食になった。
ロバートと父の夕食の給仕はラドストックがした。使用人と同じメニューで構わないと伝え、ラドストックに適当に取り分けて持って来させた。
ロシア風の赤いシチュー、フランス風の鶏のローストに栗を詰めたのやら、スウェーデン風だと言う肉団子やら、ポルトガル風だとか言うタラとジャガイモの揚げたのやら、中国風のローストポークと言うのも風変りだが美味かった。デザートのマドレーヌまで、何もかもうまかった。
「マギーの方が、カレームの直弟子より美味いですね」
「おお、昼はあのクラブに行ったのだったな」
貴族の令嬢が料理人をしている場合の動機と目的について、友人たちの言う料理技術の検証やら、研究やら調査やらと言う可能性は有るかもしれないと言う話を、ロバートはした。
「食う人間の健康を向上させねばいかんと考えているようだぞ。だから、オフィーリアの介護の食事も丁寧に作ってくれるんだろう。マギーの素性についてはオフィーリアが良く承知していたようだが、今のあの状態では、何も聞きだせんであろうな」
キーネス侯爵夫人オフィーリア・カルバートン・ボーダナムと言えば長年社交界の花形であった。だがその母も兄に死なれた後、すっかり幼児のようになってしまって、社交界のあれやこれやなど完全に忘れただろう。マギーの雇い入れに関しては、母とハーグリーブス夫人が相談して決めたようだが、あの家政婦はどこまで秘密を知っているのだろうか?
「オフィーリアは、身分の軽い者はほとんど無視するという所が有ったが、あれほど呆けた頭でマギー、マギーと言うのだ。同格の身分と見ていたのだろうよ」
「ますます、ハーグリーブス夫人の話を聞かなくてはいけないって気がしてきました」
「食事も済んだし、一緒に聞くか、マギーの事を」
ひっそり自分の部屋で読書でもしていたらしい家政婦が呼ばれたのは、そのすぐ後だった。広間では昨日よりも賑やかにピアノが鳴り、使用人たちのはしゃぐ声がしている。