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落し物、贈り物・2

 ロバートがやっとの思いで難行を終え、無事に戻った時には既に夜九時を過ぎていた。母は当然ながら眠ってしまっていたが、昼間、マギーが特別なチョコレート入りのとても柔らかなデザートを出したとかで、それが非常に気に入ったらしい。母付きのノーマ・シンクレアも同じものを食べたと言う。


「何といいますか、柔らかでふわふわで、口に入れたとたんに溶けてしまう不思議なお菓子です。卵を泡立てた物を使っているのだと聞きました。チョコレート風味で幾つでも食べたくなるような美味しさでした。表面に粉砂糖で『メリークリスマス』と書かれておりまして、奥様はそれを大層お喜びでした」


 母は幾度も「クリスマスね、良いわね」と繰り返して、ニコニコしていたと言う。


 父は午後はずっと大広間にいると言うので、行ってみると、ピアノが聞こえ、威勢の良い拍手が聞こえる。口笛を吹きながら、皆で歌っているのだ。「藁の中の七面鳥」と言う曲らしい。若いメイドと御者見習いが一緒になって、陽気にちょっと滑稽な身振りで踊っている。終わるとヤンヤの拍手だ。ロバートに気が付いたものは礼をするが、酒に夢中な者、ピアノに気を取られている者もいる。こうした日は無礼講で、主人一家の誰かが来ても、かしこまらなくても構わないと言う事になっている。


「盛り上がってますね」

「うむ。皆、良い気分で食って飲んでおるよ」


 ロバートが父の隣に座ると、年かさのキッチンメイド……確かマギーのすぐ後に来たメイドだが、彼女がお茶かエールかと聞いたので、エールをもらう。


「ちょっとなんか食える?」


 そう言うとすぐに、コテージパイと呼ぶ挽き肉とマッシュポテトの料理で、田舎の宿屋や飲み屋にも有りそうなものが出てきた。正直言ってちょっとがっかりしたが、食べて仰天した。


「何だ、これ、なんでこんなに美味いんだろう」


 普段はワインの父も、今は皆と合わせてエールを機嫌よく飲んでいる。


「皆で驚いておった所だ。見た目は普通のコテージパイだが、素晴らしくうまいからな。また実にエールに良く合う。普通に見えたアイリッシュシチューも普通じゃない美味さでな。作り方次第でこうも味が違う物かと驚いていたよ。ゲテモノだと思っておったハギスも、マギーが作ると乙な味でな。美味いのだ。不思議だ」

「ハギスってヒツジの内臓に色々詰めて作ったプディングみたいなもんですよね」

「昔、スコットランド貴族の邸で食わされた時は、その異臭と不味さに閉口したものだったが、こいつは美味いぞ。これがスコッチ・ウイスキーに実に良く合う。田舎臭い酒だと思っておったが、御愛飲なさったジョージ四世陛下は先見の明がお有りになったのだな。これならばフランスのブランデーに負けておらん」

「そう言えば、蒸留機や熟成のさせ方が急激に進歩したようですよ。エジンバラやグラスゴーあたりには羽振りの良くなった醸造業者がかなりいるようです。僕も友達の家で飲まされました。でもあれは、そんなにうまくなかったな」

「マギーが言うには、この業者の品が一番うまいと言う事じゃった。ほれ、見てみろ、もうすぐ空になるぞ」


 ロバートは慌てて、テーブルの上の残り少ない瓶を取ってきて、手酌で注いでみた。するとさっきの年かさのキッチンメイドが急いで来たので、そのハギスを一切れとローストポテトを取って来させた。ハギスはロバートも悪評ばかり聞いていたが、良く出来たレバーペーストとソーセージが一緒になった様な味で、悪くない。いや、美味い。見た目が黒っぽくてブツブツしていて無愛想では有るけれど。


「いかんですよ、これはいかんですよー」


 ウィスキーの瓶を抱え込んでべそをかいて独り言を言っているのは、泣き上戸の庭師だ。


「ボイド、何を泣いておるんじゃ」

「はい、旦那様、ハギスが美味すぎます。おかしいですよ、こんなの。おっかさんのハギスが一番うまいって、言えなくなっちゃうじゃないですか……困っちゃうな……」


 そこへマギーがやってきた。手にはスープを入れたカップを持っている。ピアノは若いメイド二人が弄っていて、どこかで聞いたような歌の一部や、讃美歌の一部を片手だけでかわるがわる弾いている。騒音と言う程ではないが、無い方が良い。だが、何か言うとしらけるだろうから、ロバートは黙っていた。


「ああ、ボイドさん、ごめんなさい。お宅のおっかさんから教えて頂いたのだけど、勝手に色々変えてしまったから、これはちょっとインチキよね。このスープ、どうぞ。明日は何か、おっかさんに届けるんでしょう?」

「そう、そうなんです。おっかさんにプレゼントをね」


 そういえば庭師のボイドは、スコットランドの出身だ。老母は下町の親戚がやっている宿屋で働いているらしい。音を立ててスープを飲み始めると、気分が良くなったらしい。トロンとしていた眼がまともな状態に戻ったようだ。スープを飲み終ると、老侯爵とロバートに深々と礼をして、部屋を出て行った。


「やはり、色々変えたのか。本当にこれはハギスにしては美味すぎる」

「恐れ入ります」

「さっき母の所に寄って様子を見てきた。チョコレートを使った柔らかい菓子を大層喜んでいたみたいだよ。ありがとう」

「私の仕事ですから」


 金縁眼鏡姿で地味なドレスのマギーは、ちょっと見たところは田舎の牧師かなんかの娘のように見える。だが昨日までと違うのは、眼鏡をかけてはいるが、はっきりロバートの顔を見ている点だ。怒ってはいないようだが、嬉しそうでも無い。


「仕事じゃないのに、ピアノまで、ありがとう」

「久しぶりですから、楽しかったです」

「明日は?」

「明日はずっと弾いて下さる方が、見つかりました」


 ロバートは、がっかりした。マギーのピアノが明日はもう聞けないようだ。


「トンプソンの姪だ。海軍士官の未亡人だったか?」


 老侯爵の言葉で、ロバートも思い出した。思わず顔を顰めていたらしい。家令の姪は無駄に色っぽい女で、ちょっとうるさかった記憶が有る。


「何か、まずいか?」

「いえ、大丈夫でしょう。もうそろそろ、お開きかと思うけれど、最後に一曲、頼めないかな」


 一瞬、マギーの視線が泳いだような気がする。どうすべきか悩んだのかも知れない。


「あまり長いものは、どうか御勘弁願います。皆も眠いでしょうし」


 最後だし、やはり聞きたいものをロバートはねだる事にした。言わずにいて残念がるより、ましだと思ったのだ。自分が好かれているのか嫌われているのか、どうもわからない。眼鏡にランプの灯りが映り込む感じで、余計に表情が読めないのだ。


「じゃあ、最後にマエストロ・メンデルスゾーンの曲を何か、頼めるだろうか?」

「承知いたしました。では無言歌集から『デュエット』をお聞きください」


 ロバートはその曲名を知らない。知っているマギーはどこでその曲を覚えたのだろう? 実家にはマエストロ自身が立ち寄るのだろうか? 昨夜のドレス姿を思い浮かべると、そのぐらいの事が有ってもおかしくない様な気がしてくる。

 ロバートとマギーのやり取りを聞いて、それは何だ、と言う顔つきをするのは男の使用人が多く、メイド達は上流社会で評判の音楽家の曲だと名前ぐらいは知っているようで「聞いてみたかったんですよね」などと言っている。


 演奏が始まったのは静かで流れる様な優しい曲だった。友人たちの所で飲んだワインやらブランデーやら、今飲んだエールやウイスキーの酔いがゆっくり回る感じだ。実際、老人たちは何人か、火の前で居眠りを始めている。だが残念な事に、ほんの三分かそこらで終わってしまった。


「きゃあー、すてきー」と呟いているのは、若いメイド幾人かだ。皆、ピアノを華麗に弾きこなすマギーに、尊敬の念を持ったようだ。

「マギーさんて、何でもお出来になって、すごい方ですね」

「そうそう。フランス語だって、フランス人とフランス語で喧嘩できるぐらいすごいもんね」

「ああ、あの『ドレス事件』ね」

「何だい、それ」

「あのですねえ……」


 メイドはその話をしかけたが、マギーの視線が向けられたのを敏感に感じたようだ。そして、こそこそと部屋を出てしまった。


「あ、ああ。ありがとう。素敵な演奏だったよ。どの料理も素晴らしかったようだね。食べ損ねて何とも残念だが」

「料理は私の仕事ですから、当然です。御用命が有れば、いつでも出来る物ならお作り致しますが……」

「今日はよその家で、あまりうまいものが無くてね。マギーの料理が恋しくてたまらなかった。ありがとう」


 そのあと、奇妙な沈黙が有った。自分だけではなく、マギーも緊張しているのかも知れなかった。


「それでは、片付けもございますので、失礼いたします」

「おやすみ」


 ロバートは手を振ったが、マギーは恭しく礼を返しただけで調理場に行ってしまったようだ。老侯爵とロバートも隣の小部屋に移り、ブランデーを少し飲む事にした


「はあ……」

「どうした。ん? 恋の病と言う奴か?」 

「はあ。おそらく。ですが……彼女にそんな気は全く無さそうです」

「お前が本気を出せば、何とかなろうよ。身分が整わない場合は秘密結婚という方法もあるのだからな」

「父さまは、あの子がお気に召しましたか?」

「地味に作ってはいるが、大層な器量良しじゃないか。それに、何といっても賢い。体も丈夫そうだしな。何はともあれ、良い女は迷わずさっさとモノにすれば良いのだ」

「それではあんまりです」

「御先祖のなさった事を踏襲するだけだ。爵位を貰った最初の御先祖は文盲で、騎士と名乗っていても馬に乗った追剥と言っても仕方がない様な人物で、欲しくなれば人の妻だろうが召使だろうが、お構いなしに引きずり込んで子を産ませてきた。えげつないやり方だが、結果的には賢く美しい女を選んで子を産ませた事になったのだ。おかげで我が一族は整った容貌と均整のとれた肉体に恵まれている。今更、道徳がどうのなんて言っても手遅れだ。気に入った女は必ずものにする、それが我が家の伝統だぞ、ロバート」


 そこでロバートは、思い切って昨夜の顛末を打ち明けた。さすがにキスをどんな風にしたかなどと言う具体的な描写は省いたのだが……


「ほう、ヤドリギの下な。良い手じゃないか」

「ですが、どうなんでしょう。嫌われちゃったかな」

「普段は田舎の地主の娘のようななりをしているが、中身までそんなカチカチの野暮天でもあるまい。だが、どこの令嬢なのかな」

「新大陸にいたと言うのが本当なら、僕が知らないのも不自然ではないですが……ハーグリーブス夫人が何かを隠しているのは確実でしょう」

「マギーは何歳だ?」

「女王陛下と同じ年だと、ハーグリーブス夫人が以前言っていました。嘘でも無さそうですが」

「只今の女王陛下がお生まれになった折、父君であるケント公のお邸にお祝いに伺ったが、その折、どなたかのお孫さんがもうすぐ生まれると言う話が出たがなあ。どなたであったか。うーん」


 その誰かの孫と、マギーが同一人物という可能性は、大いに有り得るとロバートは思った。


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