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落し物、贈り物・1

 クリスマスの当日、実家が遠い、あるいは身寄りが無い使用人は、当然邸でクリスマスの祭日を過ごす事になる。

 例年ならキーネス侯爵家でもクリスマスパーティーを開いていたため、使用人たちは普段よりは豪華な食事を食べるものの、恐ろしく忙しい日を過ごしていたのだ。だが、今年は何の催しも無いため、クリスマスイブの夜には教会に行っていた者も多かった。ロバートはイブの二日前に全ての使用人に小遣いをやった。恐らくあの小遣いなど無用のマギーにも、ハーグリーブス夫人を通じて渡ったはずだ。「プレゼントはまた別にある」というと、若い従僕やメイドは大いに喜んだのだった。

 

 ロバート自身は今日は親しい友人の邸を訪問し、幾つかの社交的な訪問もこなすので、忙しい。しかし老いた父もいるのだし、母も寝込んでいるのだから、あまり遅くまでは出歩くつもりはない。両親には自分以外の子供もいないのだから。去年までなら朝まで乱痴気騒ぎか、御婦人と意気投合するかであったのだから、変われば変わるものだ。


「お前はどうするんだ、ラドストック」


 いつも真面目な彼に、休みらしい休みは無いのだ。夏の休暇はしっかり取らせようとは思うが。


「例年通り、こちらのお邸にいる皆と過ごすことになりましょう。午前中に一度、以前のお住いの状況を確かめて参りましょう。あちらの三人は、あそこで静かにのんびり過ごすようです」


 兄の亡くなるまでロバートが住んでいた小さな邸は、老姉妹のメイドと彼女らの甥の三人が守っている。甥はもともとはロバート専用の御者だったが、今はロンドンに有る全部の厩と馬車の監督責任者を務めている。


 ラドストックの両親は既に他界しているので、ロンドンで過ごすならあの小さな邸か、こちらの邸で過ごすしか無いだろう。妹の嫁ぎ先はリーズだ。夫はそこそこ羽振りの良い工場経営者で、二人の子供にも恵まれている。幼い甥や姪にはクリスマスプレゼントとカードは贈るが、会いに行くのは夏の休暇だけのようだ。兄は軍人でパキスタンのクウェッタ方面に配属されているらしいが、折り合いも良くないらしく、手紙のやり取りも無いようだ。それでもロバートが「インドでの利権獲得を目指すロシアは、南下を諦めそうにない。再びアフガニスタンは大変な事になりそうだ」などとタイムズの記事を見て話すと、ラドストックは血相を変える。クウェッタ駐在の部隊はアフガニスタンでの軍事作戦に直接かかわるのは、確実だからだ。


「妹は早く危険な軍隊をやめてほしいと考えているようです」

「一昨年のカブールからの撤退の際の犠牲は、大きかったからな」


 あの折、イギリス軍のカブール駐在部隊は、撤退する際にほぼ全滅した。その妹の心配も当然だろう。


「ですが、兄にもそれなりの事情が有っての事でしょうしね」

「確かに、あの方面で目覚ましい軍功を上げれば、貴族の仲間入りぐらいはしそうだが……」

「どうやら最初は、意中の女性に求婚できる資格を得たいがために軍人になったようですが、その女性が亡くなりましてからは、紛争が起こりそうな外地ばかり志願して働いて来たので……」

「本国にはなじめないかな」

「そのような気が致します」


 それからロバートとラドストックは、しばらくインド方面の憂慮すべき状態について、話した。話しながらもロバートの身支度はきちんと整えられていく。髪を整えるのは、ラドストックの得意技だ。彼に言わせると、ほんのちょっとした事でロバートの男ぶりが上がるらしいのだ。


「休みらしい休みも無くて、お前には済まないと思うよ」 

「当然の事でございますから。どうぞお気になさらずに。今年はあの方が、使用人のために何か特別な食事を調理場の方で用意してくれているようです。エールを片手に、いつもよりのんびり頂けそうです。後はちょっとぐらいはダンスでもしましょうかね」

「誰かピアノを弾いてくれそうか?」


 この邸では毎年一番大きな広間を、二十六日のボクシング・デーに使用人のために解放して来た。広間のピアノもその日は演奏自由なので、使用人達がダンスをするのは、いわば年中行事のようなものだ。

 今年はその期間がクリスマス当日と二十六日の二日間になるわけだが、派手な催しは何も無い。

 これまでは多少ピアノの心得が有る者が幾人かいたが、今年はどうなのだろうか? 母付きのノーマ・シンクレアは少しならピアノを弾けるが、今年は介護についていて、それどころではない。家令のトンプソンも多少心得が有るはずだが、呆けてしまったので、今年はもう無理だろう。ラドストック自身は短い曲を二曲ほどなら弾けるようだが、譜面を読みこなせるわけでは無い。


「あの人はどうなのかなと、皆噂していますが、どうでしょうねえ」

「マギーかい?」

「ええ」

「恐らく、間違いなく弾けるだろうな。これはマギーの落としものだ。昨夜ドレスを着ていたマギーは、どこからどう見ても完璧な貴婦人だったよ」

「これはまた随分と立派な品物でございますね」


 ラドストックは極上のロシアンセーブルのショールを手にして、驚いていた。


「ドレスもネックレスも見事なものだった」

「実際のドレス姿をご覧になったのですね」


 さすがにキス云々は恥ずかしいので、内緒にした。相変わらず踏みつけられた部分は痛む。


「この落し物をどうやって返そうか」

「この程度の埃は私でも落とせましょう……箱におさめて、クリスマスカードの一枚も添えられますか?」

「そうだな。そうしよう」

「それにしても……昨夜王宮においでになったレディのおひとりなら、なぜ他家で料理人などなさるのでしょうな。全くもって、不可解です」


 ラドストックの家は先祖代々キーネス侯爵家の森番を務めてきた。今はラドストックの伯父がその役目を果たしている。自分の身分の上昇のために、必死になる人間は多い。ラドストックの兄が命がけの軍役についたそもそもの理由も、使用人の階級からの脱出を目指しての事だったのだろう。


「自分の身分や階級を引き上げる必要を、全く感じていないって事かな」

「でしたら、よほど御身分のある御令嬢の……風変りな御趣味とか、何がしかの研究とか、でしょうか?」


 ラドストックの「研究」という言葉は、良い所をついているのかも知れないと言う気が、ロバートはする。


「昨夜、ああしてドレスアップしていたからには、家族は奇妙な行動を容認しているという事だろう」

「どちらの御令嬢か存じませんが、風変りなおうちの方ですね。ですが……あの方の素性に関しては当分の間は内密に、という事でございますね?」

「目的が分からないしな。なあ、ハーグリーブス夫人は何か事情を知っていると思わんか?」

「怪しいです。確かに」

「だが、マギーの作る料理は美味いからなあ。へそを曲げて、いきなり出て行かれても、困ってしまう」

「ハーグリーブス夫人には実の娘が一人おりまして、その娘の夫はそこそこ上手くやった海軍士官らしいのですが、先ごろ購入した邸宅の譲渡やら土地の境界やらで、元の持ち主の郷士と深刻に揉めているようです。その郷士と言うのが、大旦那様が良く御存知の人物だと思われます」


 ロバートはその頑固そうな老いた郷士には以前会った記憶が有る。身分意識ばかりが滑稽な程強く、古い家柄の貴族の言う事は盲目的に有り難がるのだ。相手が自身の身分より下と判断した場合は、理屈も何も無視して、横暴で高圧的な態度に出るとも聞いた記憶が有る。


「お前、そのネタをどこで拾ったんだ?」

「奥様の介護にあたっているシンクレア夫人の弁護士になられた御子息が、大旦那様におっしゃっていたのです。双方がこちらのお邸の関係者だが、何かするべきだろうかと言うお話でした。大旦那様は自分は関与する気は無いと仰せでしたので、法の裁き通り、双方痛み分けのような形に落ち着きそうですが……」

「じゃあ、僕があの居丈高になる郷士の爺さんをなだめて、なおかつ経済的な損失って奴を、何かで補ってやって、ハーグリーブス夫人の娘婿が気持ちよく暮らせるようにしてやれば……」

「ハーグリーブス夫人に恩を売った事になりましょう」

「だよな」


 ちょうど話の切れ目で、ロバートの身支度が整った。ラドストックが差し出した五種類のクリスマスカードから、少し悩んでロバートはヤドリギを描いたものを選び、短いメッセージを書いて封筒に入れ、手渡した。

 ラドストックは赤く美しい帽子用と思われる箱と、白い地模様入りの薄い紙に緑のリボンを持ってきた。彼に任せれば、趣あるプレゼントのように包装してくれるだろう。


 後の事は任せて、ロバートは出かけた。調理場のあたりは美味しそうな匂いと賑やかな声で充ちているのが、馬車の窓越しにも伺えた。


「きゃっ! マギーさん、凄いわっ、楽しみっ!」


 若いメイドの嬉しげな声が、響いた。ハーグリーブス夫人はしきたりどおり「ホワイト夫人」と呼べと、メイド達に命じているようだが、若いメイド達はついつい「マギーさん」と呼んでしまうようだ。だが、それはマギーがメイド達の信頼を得ているからでもあって、ロバートは構わない様な気がする。


 それにしても、あんなに嬉しそうにはしゃぐからには、若いメイドや従僕達の期待を裏切らない、ちょっとしゃれた美味しいものが色々出されるのだろうと、ロバートは思った。そして、彼らが羨ましかった。訪問予定の家々で、マギーの料理のような美味しいものは全く期待できないのは確実だったからだ。


「はあ。これから不味いローストビーフやプディングを、美味そうに食わなくちゃいかんのだな」


 友人の新婚の妻が懸命に作ったディナーをけなす事など、出来るはずもない。これも浮世の義理、友達甲斐というものだろう。それだけではない。その友人は判事で、先ほど聞いたハーグリーブス夫人の婿の邸の件で、確実に力になってくれそうな人物なのだ。彼も彼の妻も平民の出であって、贅沢とは無縁な家で育ってきた。彼らの気持ちの良い温かい人柄は大好きなのだが、食べ物のセンスは絶望的なのだ。


「彼女なら、どう言うんだろうな」


 友情を俗事で穢す……と非難するだろうか? そう言うタイプでも無さそうだが、どこか俗世間の通常の価値観からはズレているのも確かだろう。


 帰宅したら、何か美味い夜食でも食べさせてもらいたいが……無理だろうか?

 ロバートは、これから食べる事になりそうな不味いものを思い浮かべて、ため息をついた。

 

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