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出会い・5

「今日の茶色いドレスはさして目新しくも無い。だがグレーの帽子はシックだ。あれはいいな」


 ロバートは双眼鏡を手渡して、ラドストックにも見るように促した。外出時に帽子を被るのは「堅気の女性」なら当然であって、如何なる帽子を被るかで、その女性の品性なりセンスなりがはっきりするのだ。


「ボンネットでもキャプリーンでもありませんね。初めて見る形の帽子ですが」

「オーストリアあたりの男物で、あれに近い形の帽子を見たことが有るが、あれほど優美では無かったな」

 

「頭にぴったりしている感じですから、しかるべき帽子屋にオーダーした品物でしょうな。上質のフエルト製でしょうか。帽子の横についている……同じフェルトで作ったらしい花飾りが派手すぎず、良い感じですね……ですが、帽子よりも私はあの、革製らしいケースが気になります」


 ロバートは双眼鏡をひったくった。確かに赤い革製らしい四角い箱を、両手で胸元に抱え込むような感じで持っている。


「何だろうな。あまり大きくは無いから、宝石か化粧品でも入れているのかな?」

「両手で大切そうに持っていましたから、貴重品なんでしょうなあ」

「何なのか知りたいもんだ」

「本人にお尋ねになれば、すぐにわかるでしょう」

「それじゃあ、つまらない。密かに探り当てたことだけで推理するのが楽しいんだ」


 ラドストックはまだ主人があの謎めいたマギーと、どの様に付き合うのか決めかねている、あるいは自分の感情も掴みかねているのだと感じた。


 ロバートはそれからは新聞を読んだり、自分あての手紙に返事を書いたりして夕食までの時間を過ごした。以前なら日曜の午後は誰かの邸を訪問しているか、この季節なら狩猟に出掛けて週末はずっと留守、というのが普通だったはずだ。


「何だろうな。妙に美味そうな、でも、風変りな香りがしないか?」


 主人の言う微妙な香りの正体は、ラドストックにも見当がつかなかったが、夕食時の最初の一皿を見て、なるほどと納得した。あの箱は、この料理のためのスパイス類だったのではないかと思われた。 


「おお、これは美しいし、しゃれている」


 老侯爵も思わず歓声を上げたその料理は、繊細なフィタージュというかフランス風の折込パイで作った六角形のケースにインド風のミックススパイスを使ったソースで仕上げた海老とキノコが詰められていた。添えられている蓋にはパイ生地の星がついているのも、しゃれている。小ぶりで美しい。


「実にうまい。ちょっと風変わりなこの香りが、何ともまた癖になるな。このパイで作った入れ物が魔法の箱めいていて、良いねえ」


 前菜としては適切な量なのだろうが、もっと食べたいとロバートは思った。


「これは客人が来た時に、お出しすべき料理だな」


 確かに老侯爵の言うように、斬新で気が利いていて美味い。ロバートはさっそくマギーを呼んで、料理の説明を求めた。あの瓶の中身はラドストックの推理通り、上等なスパイス類だったようだ。


「このお邸には良いオーブンが有りますので、このようなパイも綺麗に焼けます。フランス風のガレット・デ・ロワなども簡単に出来ましょう」

「是非、そのうちその綺麗なパイを食べさせてほしいな。ああ……菓子はハーグリーブス夫人の許可がいるか。えっと……」


 伝統的に菓子類は家政婦が取り仕切る物で、料理人の守備範囲を超えている。ともかく家政婦の顔をつぶす格好になるのはまずい。それに家政婦に取って旨味の多いはずの菓子に関する業務を、有能とは言え料理人に任せて本当にいいのかロバートは気になり、従僕の一人にハーグリーブス夫人を急いで呼ばせた。


「幾つかの斬新な御菓子類のレシピも持っているようですから、いっその事、このお邸の御菓子の件は、ホワイトに御一任なさいましたらいかがでしょうか? 奥様御主催のお茶会のために私が使って参りました御菓子に関わるメイド達も、キッチンの方に付ける方が良さそうです」


 お茶会を取り仕切る女主人であるはずの母は、あの状態なのだから、お茶会も当分は関係無いわけだ。


「君たち二人で相談してやりやすいようにしてくれれば良い。僕は美味い菓子が食えるなら文句は無いよ」

「調理人は家政婦の私に従う必要は無いのですが、互いが細かな点まで承知しておりました方がお邸の皆もやりやすいでしょう」

「はい。では、細かな点はハーグリーブス夫人の御指示に従います」


 マギーはどこまでも低姿勢だ。ハーグリーブス夫人は程なく部屋を出たが「では、後程」とマギーに耳打ちしたようであった。親密な雰囲気が有って、通常の上流家庭にありがちな料理人と家政婦の利権を巡る争いなどは心配する必要は無い、とロバートは感じた。 

 

「ガレット・デ・ロワとは、どんなものかな? 直訳すれば王の焼き菓子とでもいうようなものらしいが」


 老侯爵は家政上のいざこざの回避などまるで興味はなく、ただただ美味い物が食べたいだけなのだろう。呑気なものだとロバートは思うが、こうしたおおようなというか、いい加減な方が本来の貴族の気質なのだと思う。そもそもあまり勉強が出来たり、事業で金を儲けたりするのは最上流の貴族には相応しくないのだとロバートは感じている。少なくともロバートは父のように、優雅に堂々と無駄遣いは出来ない。母方を通じて、商人の血が混じったせいばかりではない。自分で稼ぐ大変さを知ってしまえば、おいそれと無駄遣いは出来なくなるのだ。だが、それでも妥当な価格、妥当な対価を支払うのはためらわないが。だから、マギーには、相場の倍ぐらいまでなら年俸を払う心づもりは、すでにしている。


「フランス人が新年に食べますアーモンドクリーム入りのパイでございます」

「あー、思い出した。中にソラマメを一個だけ入れてあるんじゃなかったかい? ちょうど我が国の十二夜のケーキと同様に」

「おっしゃる通りです」


 ロバートは父に、クリスマスから数えて十二日目の東方の三博士がキリスト誕生の祝いに訪れたとされる一月六日に、イングランドの国教会の信者なら砂糖衣をかけた「十二夜ケーキ」と呼ばれるフルーツケーキを食べるところであるが、フランスの旧教徒達はその「ガレット・デ・ロア」を家族で切り分けて食べる事、ソラマメの入った部分が割り当てられた者は幸運が一年間継続するといわれる点は「十二夜ケーキ」とほぼ同じだということを説明した。


「所変われば品変わると言う訳じゃな」

「ねえ、僕の説明、合格かい?」


 ロバートはじっとマギーを見詰めた。例によって金縁眼鏡で武装している。本当に近眼なのかどうか、調べてみたい気もするが……実行は出来ない。マギーは視線を合わさないのだ。恭しいともいえるが、やはり気を許していない、そういう事だろう。


「恐れ多い事でございます。全くおっしゃる通りかと存じます」


 恭しいことこの上ない言葉にも、雇い主に対する使用人としての距離感が現れていて、ロバートは何だか少々寂しいと感じる。だが、このインドのスパイスを使ったソースで、何か皆のためのクリスマスの御馳走を考えてくれてはいるようだ。その話になると、ちょっと嬉しそうな顔つきになってくれたので、ロバートもホッとした。だが「次の料理がございますので」と言われて、マギーに食堂を出て行かれてしまうと、やはりちょっと残念な気分になった。


 父親はその顔を見て、オヤと言う顔つきになり、それから一瞬ニヤッと笑った。

 

「おやおや。何か気に入らないか? 熱いものは熱く、冷たいものは冷たいというロシア式サービスが、やはり良い。そうは思わんか、ロバート?」


 順を追って一皿ずつ出す料理の供し方を「ロシア式サービス」と呼ぶのは、1800年代に入って初めの頃にパリに赴任したロシア大使のクラーキンと言う人物がロシア式に一皿ずつ料理を出して、熱い料理は熱く食べようと提唱したのがそもそもの始まりだからだ。


 スープは翡翠を思わせる様な美しい色合いの滑らかなポタージュだった。

「何というか、もっと大きな器でがぶがぶ行きたい味だ。美味い。美味すぎるな」

 ロバートも父の意見に賛成だ。魚料理はムニエルのようであったが……

「これは、何だ。マスか? ううむ。松の実入りの、このソースが堪えられん」

「よそでバリバリに焼けてしまったマスを食べさせられましが、これは絶妙な火加減だ。添え物のカブもうまいですねえ」

 続いて出てきた肉料理は仔ウシ肉を柔らかく煮込んで、赤ワイン風味のソースで仕上げたもののようだ。

「ううむ。とろける様な舌触り。たまらん」


 老侯爵の目はうっとりしている。肉の次はサラダの位置づけだろう。カボチャを玉ねぎと合わせて調理したものにカリッと香ばしい角切りベーコン、みずみずしいスプラウトをマスタードの効いたヴィネグレットソースであえ、上にポーチドエッグが乗った彩り豊かな一皿が出た。


「スプラウトなんぞ、船員か兵士の食う物かと思っていたが、これは美味い」

「スプラウトは体には良いと聞きますが、どうすると美味く食べられるのか、知恵が不足していたんですな、これまでは」


 スプラウトと呼ばれるモヤシの類は、寒冷地でも簡単に室内で栽培できるが、一般に美味しいものだとも上品な食材だとも思われていない。


「色々食ったのに、胃がもたれていない」


 父が腹のあたりを押さえてそう言った言葉通り、ロバートも胃もたれを感じなかった。


「昔、あの『料理人の帝王』と呼ばれたアントナン・カレームの料理を食べた事も有るが、豪華絢爛と言うか、こけおどかしと言うか、見ていて胸がいっぱいになる様な具合で、確かに食べてみれば美味いが、毎日食べたいというものでも無かったな。見栄を張って見せつけるような料理では、胸焼けしても当然か」


 食べる人間の事を一番に考えたこんな料理が、これからも毎日食べたいものだが……どうすればマギーがずっとこの邸に居続けていてくれるだろうか? 相場の倍の年俸でも、留まってくれる保証は無いのだ。料理人は普通、より良い条件の職場を求めて、移動して行くものなのだから。マギーがいなくなって、焼きすぎてぱさぱさのローストや、グダグダ煮過ぎた野菜、ピンぼけたドレッシングで和えたサラダなんかを食べる毎日……ごめんだ。絶対嫌だとロバートは思った。


十月二十九日、十二夜ケーキの説明追加しました。

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