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ミドルベリー村にて・1

 領地の管理や運営が昔とは比べ物にならないくらい複雑で専門的な知識を必要とするようになってから、貴族たちは専門家を雇って領地運営の助けとしたが、当然ながら土地差配人にもそうした専門知識が必要な時代になっている。


 昔ならただ、小作人から借地料を取り立てるだけであったのだろうが、今の土地差配人は領地の作物の栽培や土地の有効活用といった事柄に対して、計画立案し実行させる責任者でもあるのだ。ただ、全ての土地差配人がその能力で任命されたわけでは無いので、中には無能な者も混じっている。それが現実だ。


 ロバートが調査させている「ニューカッスルで高価なドレスを多数注文した」土地差配人J・クラムは、差配している土地が侯爵家のものとなる以前の地主の曾孫だ。隣接する地所を下賜されたキーネス侯爵家が、困窮している地主から土地を買い、元の所有者を土地差配人としてやったのだ。元の地主はそのまま同じ場所に住むことが出来るし、目に見えない「土地所有権」と引き換えに、安定した生活を得る事が出来たという訳なのだ。キーネス侯爵家は元の地主であったクラム家に温情を施した事になり、クラム家は長い歴史を持つ地主として農民たちから一定の敬意と親愛の情も持たれていた訳なのだから、そうした措置を定めた当時は、確かに地代を得るにも一番現実的で効果的な方法だったのだろう。


 現金収入に乏しい田舎の地主が、息子を大学にいれたり娘の嫁入り支度を多少気張った事が引き金になって、借財を背負い、膨らんだ利子を処理できなくなるという事は良くある話だ。

 少なくとも問題になっている土地の最初の差配人は、J・クラムの曾祖父で、単に貨幣経済にうまく馴染めなかった程度の老人であって、浪費家というわけでも無かったようだ。クラム家は曾祖父も祖父も父も有能では無くても土地に愛着を持って仕事に真面目に励んできたという訳だ。


「最近ロバートが取り立てた有能な差配人は、元は家具職人でしたっけ」

「ああ、そうだ。あと、借地人の息子で青果市場で働いていた男は、クラム家が管理している土地と隣接した地域の差配人だが、良く働いている……土地の収益性という意味では、そうでもないが、地域の農民に信頼されているのは確かなようだ」

 ロバートとマギーは「領民に対する責任」こそが重要だと考えている。領地を単に収益を上げる資産としてしか見てない貴族なら、ただ地域の農民から強引に地代を取り立てるだけの差配人でも気にしないだろうが、ロバートとマギーの理想と信条を形にするには、有能な土地差配人が必要なのだ。世襲の差配人全てが無能というわけでも無いが、代替わりを機に、有能な人材に差し替えざるを得ない土地もある。

「J・クラムをどうするかなあ」

「不正の証拠が出てこれば良いのですが」

「派手に金を使っている証拠は有るが……」

「探偵の報告書ですと、ドレスの他に新型の小型馬車なんかも買ったようですが、何の目的ですの?」

「女性への贈り物らしい。ロンドンから移り住んだ美人の後家さんらしいよ」

「その未亡人の気を引きたいって訳ね。でも、ミスター・クラムは独身なの?」

「奴も奥さんに死なれて、一人しかいない息子とは大ゲンカしたそうだ。今、息子は新大陸で暮らしているらしい。つい先ごろ娘も結婚して家を出た。他には子供はいないようだ」

「今までは真面目に地味に暮らしていたの?」

「見栄っ張りな性格らしいが、一応真面目にやっていたようだ」

「その美人さんは、何をしている人?」

「音楽教師らしい。ニューカッスル界隈じゃピアノを指導できる人間が少ないんだろう。田舎の多少余裕がある程度の家でも、最近は娘にピアノを習わせるのが流行らしい。需要は多いんだろうよ。もともとはその未亡人が娘にピアノを教えに来ていたのを、J・クラムが見染めたようだな」

「子供たちがいなくなったから、女性と付き合うって言うのはわかるけど、問題は金額よね?」

「J・クラムには別に相続財産が有るって訳じゃないらしいし、やっぱり変だ。それにロンドンへの送金は不作を理由に減額しているのに借地人は例年通り払っているんだよ。差額はやっぱり彼が取り込んだとしか思えないよな」

「何と言うか、ずいぶんわかりやすい素朴な手口ね」

「まあ、余り優秀な人材じゃないからな。犯罪行為も単純なんだろう。だが、気になるのはその音楽教師だな。単純素朴な男を煽って破滅させるような女が領地内に住みつくのは、困る。どうやら他にもカモにされている男がいるらしいんだ。そっちはウチの領地の者じゃないようだが」

「お隣の? リズモア侯爵領なの? それとも別の人の領地?」

「どこかの陸軍大佐だと思うな。売りに出ていた小ぶりな荘園を買った」

「へえええ。その人も奥さんがいないの?」

「詳しく調べてないが、おそらくそうだよ。その大佐は荘園の中にあるコテージに住んでいるはずだ」


 そんな会話をして更に夏が近づいたある日、新たな調査結果が入った。


「ミドルベリー村内の土地とコテージを買って住んでいる退役した大佐は、南アフリカで負傷して右足が少し不自由になっているらしい。どうやらウチとは反対側の隣の地所の治安判事と親戚みたいだ。何だかそのあたりで、去年からボヤ騒ぎだの羊が殺されたりだの、変な事件が続いているようだ」

「羊が死んでいるのは、どこなのかしら?」

「その大佐と治安判事の所だね」

「ウチの使い込みをしていそうな差配人が、その女性がらみで何かやっているとか?」

「明らかに犯罪行為だぞ。まあ、使い込みも犯罪だが」

「やっぱり、私達で直接差配人を調べましょうよ。炭田もティンハム・コートも気になりますし」

「あの邸は僕もほとんど行った事がない。父の兄、つまり先々代のキーネス侯爵が気に入っていて金をつぎ込んで改装した邸だから、色々金目の物も残ってはいるはずなんだがね。確かに僕らが行かないと目も行き届かないし、今の邸の使用人たちは信用できるとは思うが、何しろ人数が少ないし、J・クラムが我が物顔で何か勝手に持ち出したりしていても、気が付かないかもしれん。」 

「でしょう? 私、絶対現地に赴くべきだと思います。夏の休暇は今年はスコットランドじゃなくて、J・クラムを調べるのに都合が良いテインハム・コートで過ごしましょうよ。ケーパビリティ・ブラウンが設計した見事な庭園って言うのもまだ見ていないし」


 ランスロット・ブラウンは生涯で百七十以上の庭園を造ったとされるすぐれた庭師だが「改良の可能性(Capability)がある」という口癖から一般には「ケーパビリティ・ブラウン」と呼ばれた。近頃の新大陸から来た成金たちの中には、ランスロット・ブラウンの作った庭に憧れを抱く者も多いようだ。


「先々代が前後見境なくあの庭に金を掛けたんで、財政バランスが無茶苦茶になったんだ。傑作なんだろうが、何か腹が立つんだよな。その事を考えると。それに父も母もティンハム・コートには何か嫌な思い出が有るらしくて、爵位を継いでこの方、ほとんど行ってないはずだよ」

「まあ……でも、それが監督が緩くなった原因では無いかしら」

「……それもそうだな」

「でもただ邸に移るだけでは、真相を探りにくいかもしれませんわ」


 それから六月になり、ティンハム・コートが有るミドルベリー村のTavernタヴァーン・赤ひげ亭に、ロンドンから来た親戚の女料理人が手伝いに来るようになって、店で出る料理の味が格段に良くなったと噂に上るようになった。


「ロンドンじゃあ、こういう場所もパブリックハウスだのパブだの言う呼び方が流行らしいが、やっぱり昔ながらにタヴァーンと呼ばないとしっくりこない」

「パブなんていうと、でてくるエールの味まで胡散臭く感じる」

「全くだ」


 そんな事を言うなじみ客は地元の男たちが多いが、中には街道筋を行きかう商人や運送業者などの定期的に立ち寄る旅人もいる。


「ティンハム・コートにロンドンから侯爵様の御家族がお着きになったようだね」

「侯爵様と言うより、跡取りの伯爵様の奥様とお子様方だな」

「ロンドンの煤煙はひどいから、小さい御子たちを空気のきれいな田舎でお育てになろうということかな」

「だけど侯爵様のロンドンのお邸は一等地の、公園よりも広い地所に建つ大邸宅だ。土地の値段が高いあのロンドンで広々したお庭も有るんだし、煤煙なんてあまり関係なさそうだけどな」

「それでも気になさるんじゃないか? コレラ騒ぎも有るしなあ」

「伯爵様はお仕事でお大忙しらしい。それで御家族だけ先にいらっしゃったようだ」

「貴族が働くって、珍しいと思うが、伯爵様は金儲けがお上手らしいな」

「他の貴族とはめった取引しない欧州の大銀行家が、うちの伯爵様にだけは金を貸しても良いと言ったとか言わんとか聞くが、なかなかのもんなんじゃないのか?」

「鉄道王より実は鉄道で儲けておいでとか、聞くな」

「ふーん、なら、地代なんて割り引きして下さらないかな」

「それが、おかしなことがあるそうなんだ」


 地元の農民らしい男が声を落として、ヒソヒソ話を始めた。それを聞いて周りの男たちは「ほう」「それが本当なら、犯罪じゃないか」「ロンドンの方では御存知無いのか?」などと言っている。ヒソヒソの内容は上手く聞き取れなかったが、おそらく土地差配人の噂だろうと調理場にいるマギーにも見当がついた。

 ほとんど飾りのない襟のつまったグレーのドレスに白いエプロン、結い上げた髪には何の飾りも無く、黒縁眼鏡をかけている姿を見てセルビー伯爵夫人だとは、よほど親しい人間でもない限り、誰も思わないだろう。赤ひげ亭のおかみさんは一人娘の初めてのお産の面倒を見るために店を留守にしている。その娘は元はレイストン・ハウスのキッチンメイドだったが、出入りの青果商の息子と結婚してロンドンで所帯を持ったのだ。マギーがその時、色々力になってやったので、主人夫妻はマギーの奇妙な依頼もすぐに受け入れたと言う訳なのだった。

 表向きは親戚の者というふれこみでマギーと腰元役のリジーは店を手伝っている。調理はもっぱらマギーで、店の主人は下ごしらえと酒の係、リジーは後片付けと会計を主にこなしている。普段はおかみさんが調理をしていたらしい。


「Toad In The Hole、一丁あがり」


 マギーがカウンター越しに渡すと、リジーはきびきびと運ぶ。孫がいる年頃だが実に良く働く。

 トッド・イン・ザ・ホールつまり穴の中のヒキガエルと言う名前の料理は、ソーセージとヨークシャープディングが合わさった物だが、アツアツのハーブ風味のイングランド風のソーセージと表面がパリッ,中がトロふわのプディングの生地が意外な程良く合って、なかなかに美味い。名前は変だが。隠し味に玉ねぎとマッシュルームとフレッシュなタイムを少々使うのがマギー流だ。


「何てこともねえ料理なのに、美味いよなあ、ここのは」

「ほんと。ミセス・ホワイトが料理するようになって、めちゃくちゃ美味くなった」

「あのさ、ミセス・ホワイトってフランスで生まれて育ったんだって?」

「ええ、そうですよ」

「旦那さんは?」

「船乗りさんなんです。今は中国まで行ってるらしいです」

「大きなお邸の料理人だったのかい? リジーさんも同じ邸に居たの?」

「ええそうです。あたしはそこでキッチン・メイドやってました」


 リジーは客あしらいが上手く、計算が早い。常連の男たちもリジーと話すのを楽しみにするようになったようだ。何というか、親戚のおばさんと話をしているような気分になるらしかった。

 さて、肝心の情報集めだが、かなりの事が分かってきた。赤ひげ亭の二階は客室が五部屋しかない旅館スペースなのだが、その一部屋にずっとロンドンの探偵がとまり込んでいる。その部屋には、一階の食堂というか飲み屋というかのスペースが見下ろせる窓がついているのだ。酒を飲んで良い気分の常連たちがリジーや主人にする噂話の内、気になる話が有ると、調べに行くのだ。


 週末はロバートがティンハム・コートに泊まるので、マギーも赤ひげ亭の仕事はしない。週末の赤ひげ亭は宿屋の方しかやっていない状態になるわけだ。ロバートとしてはものの弾みでマギーが言い出した「ミセス・ホワイト」として情報集めをする計画に賛成してしまったが、ロンドンから列車と馬車の乗継でティンハム・コートに来ないかぎりマギーに会えないのは、やはり嫌なのだった。こうして久しぶりにベッドを共にしているが、月曜はまた分かれ分かれだと思うと、気が重い。


「赤ひげ亭への行き帰りだけど、あんな馬車で大丈夫かな。誰か腕っ節の強い護衛でも頼もうか」


 今は邸から小さな一頭立ての馬車で、マギー自身が御者となってリジーを乗せて通っている。それまでロバートは知らなかったが、マギーは御者としての腕前もなかなかで、他には射撃も相当できるのだった。用心のために小型のピストルを密かに隠し持っているが、いったいどれだけ実際の危険を回避できるものやら、ロバートには実に心許なく思われる。


「ミスター・ラッシュも気をつけてくれていますが、心配ですか?」


 探偵のポール・ラッシュは目端が利くし、職業がら人の気配にも敏感なので確かに頼りにはなる。


「世の中何かと物騒だからね」

「なら、一人、気も効く人を付けてください」

「そろそろ、『ミセス・ホワイトの探偵ごっこ』、おしまいにしなよ」

「まあ、ごっこだなんって、ひどいわ」

「ごめん。でも、子供たちの事もちゃんと見た方が良いだろう?」

「おかみさんが、あと、三日ほどでこちらに戻るようです。そうしたら『探偵ごっこ』は止めます」

「でも、その、トッド・イン・ザ・ホールをエールを飲みながら食べたいんだけどな」

「なら、月曜にでもいらしたら? 懸案事項は片付いたのでしょう? 会社のオーナーなんだから、休んだって文句は言われませんよね?」

「まあね。それはそうだが……どうしようかな……僕って、中国まで行く船員ってことになっているのか。それらしく出来るかなあ」

「別に私の夫だなんて言わずに、旅の紳士がふらりと立ち寄ったって感じでも良いじゃないですか」

「それもそうか。だが、まあ、確かに随分と色々な事がはっきり見えて来たな」

「ええ。その、治安判事の親戚だっていう足の少し悪い大佐さん、ハンサムで例の美人のピアノ教師の方が夢中みたいですね。J・クラムはドレスや馬車を送っても、上手くいかないようです。ドレスの一部は受け取ったようですが、馬車は受け取らなかったようですから」

「嫉妬したJ・クラムが何かやっている可能性は、ますます強くなったな」

「村の人たちは、少なくともそう見ているようです」

「おかみさんが戻ったら、本当にミセス・ホワイト役は止めるんだね?」

「ええ」


 実を言えば、ロバートはマギーに内緒で赤ひげ亭のおかみさんには「なるべく早く赤ひげ亭に戻ってほしい」と伝えて、迷惑料やら交通費やらという事で二十ポンドほどやり、レイストン・ハウスの娘と仲良しのメイド二人に、おかみさんの代わりに娘の面倒を見てやるように命じておいたのだ。昨日おかみさんは、大いに恐縮して、荷造りを急いで月曜にはどうにか戻るように言っていたのだから、その村で評判の美味そうなトッド・イン・ザ・ホールを食べたら、さっさとマギーを赤ひげ亭から連れ帰る事が出来るかもしれない……ロバートはそんな風に考えていたのだった。


「それにしたって、そんなタヴァーンよりティンハム・コートの調理場をどうにかしてほしい」と、ロバートは思うのだが、口にするとマギーが不機嫌になりそうなので、はっきり言えずにいる。

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