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広がる家族・2

 ロバートはスコットランドのゴードン・マケイン牧師との間で幾度か手紙をやり取りし、例の探偵を何度も派遣してリズモア侯爵の相続人であるはずの男児のこれからの取り扱いについて色々相談した模様だ。レディ・バーバラの方からもイアン・マケイン牧師を通じて働きかけが有り、子供を父親と引きあわせる計画が密かに進行していた。

 ゴードン・マケイン牧師が子供を連れて、ロンドンに出てくる事に同意すると、すぐにリズモア侯爵、つまりトマスから丁寧な礼状とまとまった礼金、更には十分な旅費と迎えの人員がスコットランドへ送り込まれたのだった。事がそのように円滑に運ぶようになるまでは、ロバートの働きが随分大きかった。

 ゴードン・マケイン牧師と子供はリズモア侯爵邸に入った。子供はすぐに実の父親に馴染み、父であるトマスは息子が可愛くてしょうがないと言うありさまであったので、ゴードン・マケイン牧師も子供は父親の庇護のもとで育てられるべきだと感じたようであった。


 トマスの邸でアフトン公爵とレディ・バーバラ、そしてロバートも参加して内輪の茶会が開かれた。ゴードン・マケイン牧師はトマスの親族にあたるこれらの人々の存在が、若い夫婦の大きな助けになるとも感じたのだった。


「後は夫婦のよりが戻れば言う事なしなのだけどねえ……上手くいかなければこの子もトマスも不幸せだわ」

 レディ・バーバラのつぶやきは、その場の全員の一番の気がかりでもあった。

「事がこじれてしまったのは、トマスの言葉が足ら無かった事も原因なのだろう。更に言えば、貴族では無い者が貴族に組み入れられる不安や戸惑いについて、もっと配慮も必要だったのだろう。まあ、トマスも色々、苦しんだ中で学んだはずだ。それにしても、ロバート君がマギーと結婚したからこそ、解決の糸口が見えてきたのだから、私としても感謝してもしきれないと言う気持ちだ」 

 

 アフトン公爵がトマスを思う深い気持ちは言葉の端々から感じられる。ロバートは思わず自分なら不倫の子をこのように思う事が出来るだろうかと、自問自答したのだった。


 一方で産後のマギーは全く外出もしないし人にも会わなかったのだが、いよいよ床上げの日を迎えた。そしてその翌日に、家庭教師と面談する事になった。案の定、家庭教師はマギーの顔を見て、一瞬ではあったが驚いた表情になった。邸に来たばかりのときの挨拶の際は、マギーはベッドの中からその挨拶を受けただけであったので、恐らく彼女はマギーの顔をそれほどちゃんとは見ていなかっただろう。そもそも家庭教師が奥様の顔を凝視するなど、有り得ない事なのだし。恐らく、初めて彼女はマギーの顔を意識したのだ。その一瞬の変化をマギーは見落とさなかった。


「ルチアはあなたを大好きみたいで、本当に良かったと思っているの。もう少ししたら、サミュエルのピアノの指導もお願いできるかしら?」

「ロード・フレットンは、どうやらピアノがお好きなようです」

 サミュエルは相続人であるロバートの長男なので、儀礼称号としてフレットン子爵を名乗る事になる。

「ねえ、お願いがあるの。眼鏡を取って見せて頂戴」

「奥様、それは……困ります。周りが見えませんので」

 だが、それが嘘であることは、グラスゴーの眼鏡屋の言葉で明らかなのだ。眼鏡屋はレンズではなく、ただのガラス板を眼鏡枠に入れたとロバートが派遣した探偵に向って言ったらしい。

「ちょっとだけだから、お願い」

「はい」

「今日は私の母がお客様を連れてくるの。母にあなたの話をしたら、ぜひ会いたいって」


 マギーは家庭教師の黒縁眼鏡を取った顔を見て、やはり間違いなくトマス叔父の妻だと確信した。リジーと今年から採用したマギーの寝室周りの掃除と服装の世話を補助するチェインバー・メイド二人も呼んで、貴婦人らしいディドレスに着替えさせた。ランドリー・メイドが洗濯をしておいた家庭教師のドレスからサイズを割り出して、仕立てさせたのだ。トマスが妻が一番好み、一番似合うと言った淡いオレンジ色のシルクタフタ製だ。


「あの、このように立派なドレスは」

「いいのいいの。あなたにお似合いだと思ったから」

「はあ」

 三人がかりの連携で、またたく間に身支度が出来た。仕上げにドレスと色合いを合わせた髪飾りを付け、手袋をはめると、完全なレディの出来上がりだ。

「腕の振るい甲斐がございましたよ。いかがですか?」

 リジーは満足げに言った。

「素晴らしいわ。きっと母もそう思うでしょう。ありがとうリジー」


 マギーが労うと、リジーはニコニコして他のメイド二人を連れ、部屋を退出した。


「さ、行きましょう」


 マギーは家庭教師の腕を取った。どうやらひどく戸惑っているらしい。マギーは構わず階段を下りて、サルーンと呼ばれる大広間を抜け、親しい人々をもてなすドローイング・ルームに入った。美しい白いピアノの前に幼い男の子を隣に座らせたレディー・バーバラがいて、子供のための歌を弾き、歌っていた。男の子は実に嬉しそうな顔で一緒に口ずさんでいる。そしてそれを見守っている黒いキャソックと呼ばれる聖職者用の祭服を着た白髪の紳士は、二人を見ると丁寧な礼をした。


「ようこそレイストン・ハウスへ、マケイン牧師様、お目にかかるのを楽しみにしておりました」

「このたびは、数々の御配慮を頂き、まことにありがとうございます」

「いいえ。こちらこそ。まあ、お歌が上手ねえ」

「この子、この歌が好きみたいね。トマスと一緒だわ」

「あ! おかあさま」

 子供は母親の姿を認めると、すぐに抱きついた。

「奥様、これは……」

 グリーン夫人は自分の子供と会う事など、思いもよらなかった様だ。


 そうこうするうちに、お茶の支度が整った。子供の名前はロジャーと言うようだ。トマスが嫡子に付けようと考えていたとマギーが聞いている名を、ちゃんとつけている事になる。

「この人がロジャー坊やのお母さん。なるほど、マギーと並ぶと実の姉妹みたいね」

 家庭教師のグリーン夫人ではなく、どうやらトマスの妻として見られているとはっきり理解して、子供の母親は顔が青ざめた。

「ねえ、私はあなたとトマスの間に、何か重大な行き違いが有ったのだろうと思うの。私とマギーが写っている写真が何かの引き金になったのかしら? あの人、つまり、その、トマスの実の母親のレディ・ハリエットに言われた事が、何か非常に気になっているのでしょう? マケイン牧師様からお話を伺う限りでは、あなたはこの子が大切だし、いずれはトマスの所に渡す事も考えていたみたいね。トマスは今もあなたを待っているのよ。不器用で馬鹿正直な子なの。口下手だし。あんまり貴族らしくないのは、育てた私の所為でしょう……恐らく色々言葉が足りなかったんでしょうね。後は、直接あの子の言葉を聞いて、あなたが納得すれば良し、納得できなければ……あなたの好きになさい。ともかくも話し合ってみて、ね? 」

「はい……」

 

 ロジャーの母はひどく、戸惑っている。

 レディーバーバラがマギーに向って頷くと、マギーは誰の姿も見えない書棚に向って声をかけた。

「さあ、皆さん、お出で下さい」

 すると、書棚がスルスルと動き、そこから二人の男が現れた。ロバートとトマスだった。ちょうどそこへ、お茶の用意が運ばれた。


「ロジャー、お父さまはお母さまとちょっとお話が有るんだ。ここで皆様と一緒にお菓子を頂いて、待っていておくれ」

「はい!」

 子供の声は嬉しそうだった。

「まあ、まあ、ロジャー、良いお返事ねえ。お父さまも良い子だったけど、ロジャーも本当に良い子ねえ。私はうれしいわ」

 レディー・バーバラはロジャーにマドレーヌを取ってやっていた。


 トマスはやっと見つけた自分の妻の手を握り締めている。放すものかという決意が感じられる表情だった。


「ロード・セルビー、では、あちらの部屋をお借りいたします」

「どうぞ。あちらは我が邸で最もプライバシーの護りやすい客間ですから、内密なお話も大丈夫ですよ」

「御配慮感謝します」


 トマスは隠し戸棚から見える階段を、妻の肩を抱いて上がって行った。トマス達に提供されたのは、かつて何代目かの国王が、愛人であったこの邸の女あるじと密会するための部屋であった。


 小一時間も立った頃、すっかりお茶菓子は無くなり、今度はマギーがピアノを弾いてロジャーは歌っていた。ロバートはマケイン牧師やレディー・バーバラと、トマス夫婦の今後について、話していた。


「どうでしょうかね。上手く仲直り出来たかな」

「トマスはどうも肝心な所で、言葉が足りない傾向が有るみたいね」

「それにしても、リズモア侯爵は、本当にグリーン夫人、いやアデルさんを愛しておられるようですな。こうしてロジャーと言う子供もいるのですから、彼女がリズモア侯爵夫人として暮らすことを受け入れてくれると、万事めでたしめでたし、ですがなあ」


 レディ・バーバラの推理したように、このゴードン・マケイン牧師は、ロジャーの両親は今でも互いを想っており、母親の方が家出をしてしまったのは何らかの誤解の所為ではないかとかねてから考えていたようだ。和解して夫婦が元のさやに納まるのも可能ではないかと、牧師も考えているらしい。マケイン一族の情報網のおかげで、牧師はトマスが貴族としては珍しく、裏表のない誠実な人物である事、実母のレディ・ハリエットがなかなかに厄介な存在であるらしい事、トマスの養い親で腹違いの姉であるレディ・バーバラは恐らく夫婦の和解を望むであろう事を知っていた。だからこそトマスが寄越した迎えの者に従って、ロジャーを連れてロンドンまではるばる出てきたのだろう。ともかくも従兄弟同士の二人のマケイン牧師の存在が無ければ、こうも話は上手い具合に進まなかったと思われた。


 だが、最終的な夫婦の結論は、まだ出ていないのかも知れなかった。

 やがて、再び、隠し部屋への扉である書棚が動いた。ロバートが予想した様に、トマスに手を引かれた侯爵夫人は少し髪が乱れ、ほおはバラ色、目は潤んでいるといった具合だった。行きと大きく違うのは、夫婦が自然に寄り添うような姿勢で立っている事だった。


「誤解は解けたと思います」

 トマスが言うとリズモア侯爵夫人は無言で頷き、こう続けた。

「思い違いをして、皆さまを大変お騒がせいたしまして、申し訳ありません」

 その後は自然な流れで、トマスと家出していた妻、息子のロジャーの三人で馬車に乗り込み、共に自分たちの邸に引き上げて行った。


 その夜……マギーとロバートは久しぶりに同じベッドに居た。

「君の叔父様はどうやって家出した妻を、説得したと思う?」

「自分の気持ちを包み隠さず伝えたのでしょう」

「そりゃあ、そうだが、それだけじゃないね。あの少し乱れた髪に薔薇色の頬……ベッドを使ったかどうかは不明だが……」

「もう、ロバートったら」


 ロバートはリズモア侯爵が家出していた妻に、具体的に何をして説得したのか考えたが、どう考えても官能的な刺激を与えたのだとしか思えないのだった。だが、それをはっきり口にするとマギーに嫌がられそうなので、それ以上は口にするのを止めたのだった。


「あー、家庭教師を雇い直さなくっちゃいかんなあ」

「母が良い方を見つけたようです。年配の人ですけど、経験豊富で音楽の造詣も深い人だそうです。その人は私の亡くなった父親の従姉妹にあたるのですって」

「何だ。それなら最初から君の母上に御相談すれば良かったね」

「でも先月までは、その人も前の生徒の所に住み込んでいて、都合がつかなかったそうなんです。それに、私達があの人を雇い入れなければ、今度の和解はそもそも無かったんですもの。良かったのですわ」

「それもそうか。でもまあ、今度からは、やっぱり君の母上に一言、御相談することにしよう。交際の広い方だから、色々な所に人脈が広がっているみたいだからね」

「あんまり私の母にあれこれ頼むのは、ロバートがお嫌なんだろうなと、私は思って遠慮していたのですが」

「普通の妻の母親なら敬遠するところだろうが、君の母上はやっぱりすごい方だ。あの方のお話を伺ううちに、僕の人脈が金に関する事で繋がっている物に偏りすぎている事にも気が付いた」

「でも、ロバートは事業家なんですもの。母とは立場が違いますわ」

「それでも、やっぱり君の母上はすごい方だ。ねえ……」

「え?」

「叔父様の実母のレディ・ハリエットは、いったい何を言ってあの侯爵夫人に衝撃を与えたのだろう。どうにも気になるなあ」

「どうせ不愉快極まりない事なのでしょうよ」

「あー、それは恐らく、その通りだな」


 レディ・ハリエットはトマスが姉や姪と不適切ないかがわしい関係にあるかのような事を、におわせたのだろう。トマスの中にもそうした行為に対する願望は、全く無かったわけでも無さそうだ。だが、トマスが養い親であるレディ・バーバラを深く敬愛しているために、そうした不適切な関係は生じなかったのだ。


「君の母上が牧師さんたちと仲良しなんて、ちょっと意外だったが、実に有り難かった。おかげで問題が一挙に解決したんだからな」

「ロジャーが良い子に育ったのは、牧師さんのおかげですね」

「そうだね」

「そういえば、学校のお話をしてましたけれど?」

「牧師の教区の慈善学校の設備を増設する事と、出来の良い生徒が上級の学校に進学するのを助ける奨学金を与える事を決めるんだ、近いうちに」

「まあ、それは良い事ですね」

「マギーなら、そういうと思った。結構大変は大変なんだ。宗教色をどの程度残すか、なんていう点も含めて、色々デリケートな面も含むからね」

「ロバートが本気になれば、すぐ片付くでしょう。頑張ってくださいね」

「うん。わかった。頑張るから、マギーに元気づけてほしいな」

「どうやって?」

「つまりは……こうやって……医者の許可は出たよね」

「出ましたけど……」

「気が進まない?」

「……何だか、気恥ずかしいんですの」

「うわ。マギー、真っ赤だ。そんなに恥ずかしいの? 触れているのは夫である僕なのに?」

「キスして下さい。そうしたら、きっと大丈夫ですから」

「何だか可愛いね。新婚のころに戻ったみたい」


 またすぐに三人目が生まれる事になりそうだと、ロバートはチラッと思ったのだった。

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