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社交界へ・3

 ジェフェリーは顕微鏡の操作は分かっているので、グレアムと二人で見たいものを見て貰う事にした。スーは最初の十五分かそこらで、興味を失ったようだったので、ルチアを呼んで三人でピアノを弾いたり歌ったりすると、スーの表情も明るく楽しげなものに変わった。


「ルチアちゃんの声、可愛いわあ。天使の声ってこう言う感じなのかしら」

「ピアノが無くてもルチアの歌は音程がぶれないのよね。音感が良いんだと思うわ」

「マギーって言うことが先生ぽいのね」

「え? そうかしら。社交界向けじゃないのよねきっと」

「んー、色んな人がいるから合う人と付き合えばいいのよ。マギーってドレスやお買い物の話で盛り上がれない珍しい人だから」

「自分を上手く演出するためにドレスに対する配慮は色々必要なのは認めるけど……キッチンで何か作ったり、子供と一緒にいる方が楽しいって感じちゃうの」

「でも、今日のドレスも素敵よ。これも面倒だって思って選んだの?」

「このドレスはきちんとしたデイドレスだけど、締め付けが少なくても格好良く見えるし、腕が動かしやすいし、着心地が良いの。生地の断ち方やら裏地やらに色々秘密が有るようよ。うちのリジーはドレスメーカーで王室に関わる仕事もした事もある腕前とセンスなの。だから、私の希望を言って、後はお任せよ。着心地が良くて、着て行く目的に適っていて、私の体型の欠点を目立たなく出来ればそれ以上はどうでもよいから」

「はああ……それで、お任せなの」

「そうよ。参考にならなくてごめんなさい」

「出来る人に任せるって、なんかマギーらしいかもね。普通はドレスの色や形について色々考えるのが楽しいんだけども……それで、ルチアちゃんには専門の音楽教育を受けさせるの?」

「趣味の範囲なら良いんだけど……専門家となると……微妙よね」

 

 美しく才能あふれた女性のオペラ歌手の場合、王侯貴族をパトロンとする者が多い。そのパトロンが純粋な芸術の庇護者というのは稀だろう。大半は金銭の絡む愛人関係だ。ヨーロッパ中の上流社会で、そのように見なされていると言って良いだろう。女の歌手は比較的簡単に貴族のパトロンを捕まえる事は出来るが、良い夫を見つけるのは難しい。そのあたりの機微について考えてから、万事実行すべきだろう。そうマギーは考えている。


「女の歌手だって、本当は純粋に芸術家として評価されたいでしょうに……特に美人だと、どうしても誰かの愛人に違いないって最初から色眼鏡で見られちゃうのよね」

 スーの言うとおりだとマギーも思う。

「美人すぎる家庭教師が家庭争議のもと、なんていうのと同じような発想なのよね。何だか腹立たしいけれど、現実かしら」

「今朝の新聞広告で『容姿端麗ならざる家庭教師を求む』って言うのを見たわ。ほんと女の現実って厳しい」

 お茶のテーブルの前にルチアを座らせて、小さな焼き菓子を食べさせてやる。

「毎日の暮らしが精いっぱいな女の人にそんな話をしても、鼻で笑われちゃうでしょうけど」

「マギーってホントにキッチンで料理人やってたの?」

「やったわよ。ロバートに見つかっちゃったから、短い期間だけど」

「ヨーロッパの病院で看護の仕事も手伝ったんでしょう?」

「でも、本当に手伝いね。無給なのよ。お金の問題より、評価されていないって事で気がめいったわ。気負って色々勉強したけど、何も役に立たなかったの」

「なんで?」

「病院の看護にも専門性が必要だと思うのだけど、そうは思わない医師が多いのよ。女は理屈を言わず自分の言う通りにすればいい、みたいな現実なの。そうじゃなきゃ尼さんの修行と奉仕の場所かしら……それでも断固たる意志を持って頑張っている知人もいるには居るの。今も彼女たちを応援しているけど、私自身が彼女たちと一緒に活動し続けるのは無理だって、思い知ったの」

「何で無理だったの?」

「何というか、食べ物が不味くてもみんな耐えられるんだけど、私は無理だったの。食べ物の美味い不味いを考える事自体、悪徳だって言う感じで、どうもうまくなじめなかったのよね。活動は立派なんだけど」

「ふーん、それで料理人?」

「美味しい食事で、健康になるって言うことを目指したかったのよ」

「マギーの料理のおかげで、侯爵夫人はかなりお元気になられたんじゃなくて?」

「だと良いけど」

「今も何か社会的な活動を目指しているのかしら?」

「気持ちは有るんだけど……思いがけず責任の重い立場になって、ちょっと今は様子見ね」

「色々厄介なの?」

「家族の問題は、今は特に無いけれど、領地で何やら色々有りそうなの。非常に貧しい集落も抱えているし。貴族としての責任をちゃんと果たすだけでも精一杯だわ」

「でもお宅は実業界で成功した珍しい例よね」

「その資金をある程度領地の経営に充てることが出来るという点で、我が家は恵まれているわ。これもロバートが良く働くおかげよ。貴族が働くなんておかしいって言う人もいるけど、これからの貴族は事業家としてのセンスがないとやって行けないと思うわ。ロバートは時代の先端を行く、新時代の貴族だと思うの」


 マギーはスーとの話に気を取られていたのだが、いつの間にかグレアムとジェフェリーが、メイドに注がれた紅茶のカップを持って座っていた。眠くなり始めたルチアは、リジーがそっと抱きかかえて行った。


「そうかあ。マギーさんはそんな風に伯爵の事を思っているんですね」

「ええ。事業家としての才能に恵まれているし、勤勉だし、家庭を大切にするし、何というかこの国の貴族と言うより、アメリカの実業家みたいですけどね」

「家庭を大切にって言うより、マギーさんを愛しているだけかも知れないけど」

「夫婦が円満なのは認めますわよ」

「あー、不躾でした。すみません。ついこの前までマギーさんは独身だったのに、もうお子さんがいらっしゃると言う状態に、僕はまだどこか戸惑っているんです。たぶん。僕も結婚しなくちゃいけないのは確かなんですが……」


 確かにロンドンで一番大きな弁護士事務所の跡取りでもあり、自身も弁護士になったのだから、ジェフェリーの両親は結婚を待ちくたびれている事だろう。特にジェフェリーの母は一向に結婚してくれそうにない息子にしびれを切らし、近頃は嫁さがしに動き出したとマギーは聞いている。


「気に入った方がいらっしゃらないの?」

「気になる人はいますが……でも、気になる程度なのだと思いますから……」

「祖父はジェフェリーを身内の一人に加えたいと思っているのじゃないかと、私は感じているのだけど……でもエセルは最近、色々な夜会に顔を出しているようね」

「レディ・エセルってマギーの年下の叔母様にあたる方よね?」

「ええ。祖父のアフトン公爵の末娘なの」

「可愛らしい方よね。ジェフェリーにはお似合いだと思うけど」


 積極的に社交に励むスーは、幾度もエセルの顔を見ているらしい。


「スーもそう思う? ねえ、ジェフェリー、あなたはエセルをどう思うの?」

「それがはっきりしないって、このジェフェリーはぬけぬけと言うのです。僕には『何事も問題点を整理してはっきりさせないと片付かない』とかすぐに言うくせにね。僕の個人的な意見ですが、双方大いに脈ありだと思うんだけどな。どちらも名前を耳にすると、大いに意識している表情になりますからねえ」


 グレアムが苦笑いして言う。スーが頷いている所を見ると、脈は有るのだろう。


「まさにそれだわ。ジェフェリー」

「え?」

「まずはエセルを好きなのか、それほどでもないのか、そこから整理しないと」

「そこから整理、ですか?」

「ええ。エセルが他の男性と踊っているのを見て、あなたはどう感じるの?」

「僕は最近、その手の夜会には行きませんから」

「そうなんですよ。お袋さんがうるさいって、男ばっかり集まる社交クラブやらコーヒーハウスで、普通選挙とか救貧法改正の話なんか熱く語ってるんですよ」

「レディ・エセルと救貧法なんて、全然結びつかないでしょう? マギーさんなら色々関心をお持ちでしょうけど……僕の目指す先に、レディ・エセルにふさわしい暮らしなんて無いんですから」

「んー、それって、あなたの決めつけだと思うわ、ジェフェリー」

「そうですか?」

「だって、あなた、エセルに自分の理想やら生涯をかけても取り組みたい課題について、話した事が有りますの? エセルは、あなたの理想が理解できると思いますよ。エセル自身は上流階級らしい暮らしを守ることに、それほどの重きを置いているとは思えませんし」


 エセルを絵に描いたような公爵令嬢にしたいと強く願ったのは、エセルの実母シルビア夫人のはずだ。エセル自身の希望は、また違っているのではないかとマギーは思う。この邸で喜々として顕微鏡をのぞき、時事問題や経済について交わされる会話を明らかに喜んでいたし、幾度か母のレディ・バーバラの所で自分は男たちに頭が空っぽのペットのように見られがちだと、嘆いてもいたからだ。


「ですが、僕と一緒にスラムでの活動なんて、無理でしょう。あの妖精のような華やかな方に」

「髪が華やかなブロンドで目が紫だと、それだけで知性的ではないと言うような偏見を持って自分を見る男性が多いって、エセル自身が嘆いていた事が有りますの。見かけはああですけど、案外芯はしっかりしていますよ。本人は大学に行きたかったようですけど、母親の考えでお嬢様学校に入れられてしまったんです。まあ、その方が男性に敬遠されにくいだろうと言う親心からでしょうが。でもエセルも自分の学校では首席だったんですよ。ああ見えて、学ぶことも嫌いじゃないですし、努力もできると思います」

「アフトン公爵が『エセルはそれなりに気骨もあるし、なかなか面白い子だと思う』とおっしゃったのは、その事かなあ」

「少なくとも自分をペットか何かのように扱う男性とは、結婚したくないのでしょう。でも、社交界で出くわす方は、そんなタイプの男性ばかりみたいで……私の母の所で顔を合わすと、嘆いてますもの」


 レディ・バーバラはエセルをけしかけて、大学に行かせたりしたら母親のシルビア夫人に恨まれそうなので、静観しているが、今のままで納まるとも思えないとは言っている。


 シルビア夫人はシルビア夫人で、娘と顔を合わさない時にレディー・バーバラに愚痴をこぼしに来るらしい。良い条件の男性に求婚されても何が気に入らないのか、エセルは断ってばかりいると。レディー・バーバラがやんわりとエセルの気持ちについて話すと、「殿方に大切にされる事の何が良くないのでしょう? エセルは我がままなんですわ」と言って、気を悪くしたらしい。シルビア夫人は貧しい家庭で苦労して育ったせいか、名門貴族や大富豪に弱いようなのだ。そうした「地位も名誉も有る立派な方の奥様になれば、エセルの幸せは保障されたようなもの」だと思ってしまうらしい。レディー・バーバラがそれは違うのではないかと言っても、聞く耳を持たないようだ。


「ジェフェリーみたいに女が学んだり社会的な活動をしたりする事に理解が有る人の方が、エセルは幸せになると私は思いますが、でもまあ、ジェフェリー自身がエセルと結婚なんて有り得ないと思うなら、無いんでしょうね。それとも、はっきりしないって事は……有り得ないって訳でもないの?」

「……そうなりますかね」

 やはりジェフェリーには多少の気持ちは有りそうだ。エセルの気持ちがどの程度ジェフェリーに向いているのかどうかマギーには分からないが、スーとグレアムは脈が有ると見ているのだ。それにマギーの見る限り、少なくともエセル自身は『絵に描いたような貴族の暮らし』なんかに魅力を感じていないのは確かなのだ。


「これは是非、レディ・エセルが他の男性と踊っている所を見て、自分の気持ちがどうなのか、はっきり確かめるべきだわ」

「スーの言う通りね。来週、ロバートと私も母とエセルのお供をしてオールマックスに行きます。ちょっとだけ踊れば十分かなとは思うんですけどね。ジェフェリーもいらしたら?」

「えー、僕、ああいう所は苦手ですが」

「御婦人方の言う事に従うべきだ、ジェフェリー。自分の気持ちをキチンと自分自身で整理しないと」

 グレアムは肩を軽くたたいて、ジェフェリーに言い聞かせる。

「まあ、僕やレディ・エセルが結婚相手を探しに行くのも、レディ・バーバラが付き添われるのもわかりますが、マギーさんと御夫君が御一緒というのはどうしてまた?」 

「夫婦で一緒に踊って、社交界と絶縁しているって訳じゃない所をみんなに見せるべきだって、母に言われたんです。必要以上にケチだの変人だの思われない方が良いだろうという事ね」


 マギーの言葉を聞いて、他の三人はニヤニヤと言う感じの笑みを浮かべた。


「レディ・バーバラのおっしゃる通りね」

「あーあ、あそこ古めかしいブリーチズを穿かないと入場禁止ですからねえ」

「良いじゃないか。ジェフェリーは似合うよ」

「なんか堕落した古いタイプの社交界の放蕩者って感じになるんで、嫌なんです」

「ちょっとぐらい堕落した雰囲気が必要よねえ。そうは思わない、マギー」

「私も堕落した雰囲気は、あまり好きじゃないの。でも、ジェフェリーのブリーチズ姿は悪くないんじゃない? 」

「僕も頑張って真っ白けのブリーチズを穿く予定だよ」


 いきなりロバートが現れて、マギーはちょっと驚いた。


「まあ、ロバート! 本当に間に合ったのね」

「サンドイッチがかかっているからね」

「え? サンドイッチがどうしたんですの?」

「マギーのお手製の、この芥子菜とチーズのサンドイッチ、僕は大好物なんです。他にも色々マギーの料理で好きなものは有るけど、紅茶を飲むときはこれが一番好きかな。僕はあのキュウリのサンドイッチも、コールドミートをただ挟んだだけのサンドイッチも、腹が減れば食いますが、実はあまり好きじゃないんです」

「はあ、これ。美味いと思ってましたが、芥子菜なんですか。なるほどね」


 ジェフェリーはしげしげと、手にしたサンドイッチを見つめている。


「この茶がまた、素晴らしいですな」

「サー・グレアム、お分かりになりますか」

「あー、どうか名前だけで呼んでやってください」

「では、僕の事もロバートと呼んでください」

「よろしいので?」


 グレアムには伯爵の称号を名乗る人物を名前だけで呼ぶのは、ちょっとためらいが有ると言う古風な所が有るようだった。


「ええ」

「僕はいかがしましょう?」


 瞬間、ロバートの眉がピクリと動いたのにマギーは気が付いた。


「お互い名前にしましょう。ジェフェリー」

「承知しました。ロバート」

「来週は皆で、オールマックス、ということになるのね。何だか楽しみだわ」

「スーは好きなの? ああいう社交場」

「アメリカに居た頃から、あこがれていたの」

「ふーん」


 グレアムはあまり妻であるスーの気持ちがピンとこない感じだ。ロバートも同様らしい。


「うるさいばあさん連中が仕切っている、不健康な場所だって思うけどな。でもまあ、義理の母上のお召しではあるし、僕としては張り切らねばいけませんからね」

「そうやって、マギーを見せびらかしたいお気持ちなんでしょう?」


 スーがからかうようにロバートに言うと、ロバートは頷いた。


「ええ。セルビー伯爵ロバート・ボーダナムは妻を熱愛しているとせいぜい宣伝に励みますよ」


 するとジェフェリーもグレアムも、良くやるなと言うか、ちょっと負けたなというか、そんな雰囲気の苦笑を漏らしたのだった。

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