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出会い・3

 使用人の休みは日曜の午後四時までとなっており、それまでに邸に戻っている規則なのだが、中には遅刻の常習犯もいる。メイドが恋人やら夫やらとイチャイチャべたべたしている場面も、時折見受けられるが、よほど悪質でない限りは大目に見てやるべきだとロバートは思っている。メイドの恋人の職種は同じ使用人の仲間か他家の使用人、将校ではない兵士や巡査、小商いの商人と言った所が多い。

 以前はこの邸にも主人に露骨に色目を使うメイドが若干いたのだが、最近はハーグリーブス夫人の監督が厳しいせいか、そうした場面にロバートも遭遇しない。好ましい反面、少々残念でもあり、勝手ではあるが正直言って痛しかゆしという所だ。出かけた先で、貴族の未亡人やら令嬢にねっとりした視線を向けられて迷惑に感じた事は多々有るが。少なくとも父の侯爵のように「可愛いメイドと楽しい秘密を持つ」などと言う経験は出来そうに無い。ハーグリーブス夫人が意識的に美人過ぎるメイドは雇い入れないようにしている節も有る。事業家としての自分の手腕や見識に対してハーグリーブス夫人が敬意を示してくれているのがわかるだけに、若かったころの父のように「メイドは美人の方がいい」などとは、口が裂けても言えないのが、今のロバートの状況だ。


「御当家を財政的に立て直されたのは若旦那様ですが、この御邸に限って申しますとハーグリーブス夫人のおかげで、どうにか持っているのだと思います」

「確かに、僕もそう思うよ」

「ハーグリーブス夫人は、時折、先祖代々お仕えしてきた家系の方と勘違いしそうになるほど、この御邸にしっくりなじんでおいでですね」

「そうだな。そういえばハーグリーブス夫人は、ここに来てまだ十年も経ってないのか。前職は何だったのかな?」

「はい。アフトン公爵家で長らく務めていたと聞いています。リズモア侯爵家御出身の……もう離婚なさいましたが、当時奥様だった方に解雇されたようですね」

「んーっと、リズモア侯爵家の……レディ・ハリエットか。ふーん、なるほどね。確かに合いそうもないな」


 ロバートは親子ほど年の離れたアフトン公爵と結婚していた金髪の婦人を思い返していた。気が強い軽はずみな令嬢が、そのまま歳を重ねたような人で、いまだに色々な男との不倫を重ねているらしい。ロバート自身も、かつてレディ・ハリエットと際どい雰囲気になった事も有った。あれは明らかに「嵌められた」だけで、さっさと逃げ出したのが、やはり正解だったと思う。


「ああいうレディは観賞用には悪くないが、あまり深くお付き合いしたくない人種だな」

「実の御子息にも、見限られておいでのようですからね」


 離婚の際、アフトン公爵家に残してきた息子トマスは、公爵の実子では無いというのは、知る人ぞ知る事実であるようだ。


「トマス君は、確かに全然アフトン公爵とも二人の兄とも顔が似てないな」 

「ですが彼の方は慎ましやかで、良く出来た方だと、皆がお人柄を褒めますな。レディ・バーバラの御薫陶の賜物でしょう」


 ラドストックによれば、トマスは名家の一人娘である母親の相続人の立場だが「不倫で生まれた自分に爵位は相応しくない」と言って、時折悩むらしい。

 先のリズモア侯爵には子供が娘のハリエットしかおらず、爵位は一旦絶えた。だが先代の王は名家が完全に途絶えるのを惜しみ、「ハリエットの直系男系男子」に新たなリズモア侯爵位を授ける形で名跡を継がせる事にしたのだ。ハリエット自身は爵位継承から弾かれているという一事を見ても、王もトマスの出生の事情は御存知だったという事だろうし、父親が誰であれ、数少ないリズモア侯爵の血筋では有るのだから悩む必要も無さそうだが、確かにこの国の爵位は、正式の婚姻で生じた嫡出の男子に受け継がれるのが一応原則だなのだ。トマスはその「嫡出の男子」では無い事が気になるようだ。


「自分が悪いんじゃないんだし、リズモア侯爵の一人きりの孫なんだから、気にしなくたって良いのにな」

「レディ・バーバラはそうおっしゃっておいでのようですけどね」

「レディ・バーバラは……アフトン公爵の、一番最初の御子だよな」

「はい。実の母上がああいう方ですから、トマス卿を幼いころから天塩にかけて育てられたのは姉上にあたるレデイ・バーバラです。ハーグリーブス夫人はレディ・バーバラのお書きになった推薦状を持って、こちらの御邸に採用されたと聞いています」


 しっかり者の先妻の娘が不倫三昧の後妻の子を育てた、そういう事なのだ。そして、そのしっかり者のアフトン公爵の令嬢が、ハーグリーブス夫人の推薦状を書いたのなら……


「僕の知らない内に、この邸の人間はレディ・バーバラに支配されていたのだな」

「まさか。そのような事は……」

「だって、推薦状を書いてもらったハーグリーブス夫人が褒めるのはわかるが、お前までがレディ・バーバラの『御見識』やら『お人柄』を褒めるじゃないか」

「はあ。ですが、本当に御立派な方なのです。私はアフトン公爵家の家令とは縁続きですし、色々と相談事なども致します仲ですが、そんな使用人の親戚にすぎない私にも、細やかにお心配りなさる方です」

「細やか過ぎて、公爵家のお姫様らしくないな」

「何しろ父君のアフトン公爵が異色の経歴の方ですから。それに、あの文豪の夫人でいらしたのです。そりゃあ、ただお美しいだけの姫君のはずが無いでしょう」


 バーバラはパン屋の息子で当時名が売れ始めたばかりの作家・リード氏と意気投合して、結婚した。それをあっさり父親の公爵が許したのも異例だが、そのパン屋の息子が『文豪』としてサーの称号を賜る様な人物となったのも、皆を驚かせた。病気がちの夫に尽くし、国家に貢献する立派な息子を二人育てただけでもすごいのに、何と亡き夫の実家のパン屋の商売を大きくするために力を貸したらしい。海外の製法や技術の導入を助け、街のパン屋の品質向上に貢献したのだ。そんなわけでバーバラは、パンの業界でも一目置かれる特別な貴婦人らしいのだ。


「定めし、あのマギーもレディ・バーバラの勢力圏内の人間なんだろうな」

「ああ、確かに……ハーグリーブス夫人が元の雇い主である公爵家に、相談されたかも知れませんな」

「アフトン公爵は真の美食家だと、もっぱらの噂だもんな。その筋をたどれば、良い料理人も見つかりやすいか……」


 あれから気になって、あの女料理人の身辺調査をさせてみたのだが、仕入れや帳簿関係も、近隣の商店との関係も特にまずい事は何も無かった。何も無いから逆に怪しいともいえる。料理人がワインや肉類その他を勝手に横流しして不正な利益にあずかるのは、ある程度、常識と見なされているものだが。ハーグリーブス夫人に問いただした方が話は早いのかも知れないが、それならば警戒されてしまい、マギーがこの邸を退職してしまう可能性もある。


「あの料理は確かに美味いからなあ」


 何しろ本当に料理が美味くて、勤務態度が真面目な料理人など、めったにいないのだ。

 気が付くと、ロバートにとってマギーは、かなり気になる存在になっていた。自然と気を付けて観察するようになったわけだが、観察している内に気が付いた事が有る。どうやら、あの眼鏡は一種の変装用の仮面のようなものらしい。双眼鏡越しに一度、眼鏡を取った状態を確認した所、どうしてどうして、襟ぐりの大きな華やかなドレスを着せたらさぞかし映えるだろうと思われる器量だ。料理人らしく肌の露出をうんと抑えた尼僧を思わせる様な禁欲的な身なりは、恐らく意識的な物だろうが、何とも惜しい。無粋な眼鏡と飾りのほとんど無いドレスの覆い隠している物に気が付いて以来、ロバートはマギーの料理をますます美味く感じている。料理人が美人だろうが不美人だろうが、食事の味が変わるはずもないが、あの白くて小さくて器用そうな手の事を思うと、肉のひとかけら、スープの一滴に至るまで、特別なものに思われてくる。

 ましてやボケている母が、あのマギーの作ったスープを欲しがるのだ。彼女にはこの邸で機嫌良く働き、大いに腕を振るってもらわねば困る。それに、もうすぐクリスマスなのだ。美味い料理の作り手には大いに活躍してほしい、と言うのがロバートの正直な感想だ。三度に一度程度の割合でマギーを呼んでもらって、父の侯爵とロバートが大いに満足している事を伝えているが、微妙に迷惑がられている節も有る。少なくとも「高い身分の方に目をかけて頂いた」と言った喜び方はされていないのではないかと思うのだ。社交界の令嬢方はロバートが笑いかけるともっと色々反応するのに、いつもマギーは直立不動の姿勢を取り、目を伏せている。


 毎週日曜、恐らくもうすぐ帰宅時間だと思う頃に、双眼鏡でマギーを観察するのがロバートの密かな楽しみになりつつある。今もあの謎めいた二頭立ての四輪馬車が止まるのを、コーヒーを飲みながら待っている所だ。今日もきっとまた、何か面白いネタが見つかるだろう。ロバートはそんな気がしている。



トマスの爵位継承に関して、

イギリス貴族っぽい設定になおせたでしょうか?

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