招かれざる客・2
ロバートはウォーラム・アベイでの休日を切り上げたくは無かった。だが、ビジネスの方は待ったなしであるわけだし、レイフ・ボーダナムがレイストン・ハウスにまで押しかけてきたと言うのも気になる。マギーはマギーでバージルが心配らしい。
「僕よりもバージルを心配するなんて、なんか妬けるな」
「ロバートは大人だし、何か有ってもどうにか上手くやれそうだし、こうしてすぐ傍に居るけど、バージルはまだ大人じゃないし、何か困った事に巻き込まれていないか心配なの」
「困った事?」
「そうねえ、まずは使用人たちとの間で何か不愉快な目に会ってないかとか、気になるわ」
「ラドストックもミリーもハーグリーブス夫人もいるさ」
「ラドストックとミリーは最初の経緯が有るから、親近感は持っていると思うけど……バージルの身内というか味方と言う程でもないでしょう? 」
「三人を味方にできるかどうかは、バージル次第だ」
「……厳しいのね。ロバートは味方にならないの?」
「大学卒業までは面倒を見るんだ。それ以上何をどうしろと」
「学費と食費と住居の心配がとりあえず無いのは大切な事でしょうけど……父親として、何か有ると思わない? あなたもこの国の貴族にありがちな子供はほったらかし、で十分だと思うの? 私が子供を産んでも使用人たちに押しつけて、何日も顔を見なくても気にしない……そんな感じになっちゃうのかしら? 私は……もし子供が生まれたら、ある程度は自分でも育てたいわ」
この国の貴族の家庭では子供は子供部屋で乳母と暮らし、両親は指定された時間に身なりを正して「御挨拶する」気の張る相手である、と言うのが珍しくない。マギーのように母親の手で育てられた、と言うのは上流階級の子女としては非常に珍しい。ロバートのように成人してから毎日のように父親と食事を一緒にする息子と言うのも、実は相当に珍しいのだが。
そうした冷え切った親子関係は、貴族の夫婦は有名無実で、互いに「体面を穢さない範囲で」愛人を持つのが当たり前だと言う事実と背中合わせだ。子供は家の存続に必要なだけで、愛情の対象では無い事が多い。
「マギーは僕の大切な奥様で、マギーが生んでくれる子は無論僕の宝物だ。……バージルは、悪い子じゃないし、マギーの言うように賢いんだろう。でも、なんか、あの子の父親だって実感が無いんだ。あの子の所為じゃないんだが」
「バージルは新大陸から一人で父親を捜しに来るぐらいですもの。賢いし、年よりもしっかりして強いけど、まだ大人じゃないわ。私に子供が生まれたら、バージルの弟か妹なのだし、もっとその……」
「もっと、何が必要だっていうんだ?」
「もっと、ちゃんとバージルを見てあげてほしいの。それだけでも随分違うと思うの。そしてロバートの中の『父親らしさ』が育てば、きっと全部が良い具合になると思うのよ」
「バージルは庶子だ。マギーが生む子は嫡子で、息子なら僕の跡取りだ。未来のキーネス侯爵なんだ。立場が違う。それをバージルはわきまえるべきだ」
「わきまえていると思うわ。ロバートだっていかにも貴族らしい冷たい家族は嫌なんでしょ? バージルは爵位や領地の継承は出来ないけれど、あなたの息子よ? もっと家族として扱うべきだわ」
初夜から三日の間は何の言い争いも無かったが、四日目以降ロンドンに戻ってからの事を話しはじめると、少し事情は違ってきた。ロンドンに戻ってから、誰と食事をするべきかで、ロバートとマギーは幾度か気まずい言い争いになりかけた。
「バージルと毎日食事をするべきだっていうのか?」
「せめて毎日顔を合わせた方が良いと思うの。それ以外の事は私が皆と話し合ってどうにかするから」
「そうしないとマギーが怒るなら、我慢するよ」
「おかしな理由ね。でもまあ、深く追求するのはやめておきましょう」
「そうしてくれ。それとベッドルームは続き部屋と言うのは譲らないからね」
「なんか気恥ずかしいけど」
「一番プライバシーの確保に気を遣ったんだから、大丈夫」
どうやらロバートはマギーとの時間を邪魔されるのを嫌ったようだった。最初ロバートは自分の独身時代の住まいにバージルを移そうと考えたようだったが、それにはマギーが反対した。せめて大学に入る時期になるまで待った方が良いと言う意見であったのだ。
「どうしても別居と言うなら、すぐ隣だから私の邸にすまわせたら?」とマギーは言ったのだが、それはやはり筋違いだとロバートは反対した。
「お父さまがどうお考えなのかしら?」
「そうだな。確かにどう考えているのか、バージルの件について話した事は無いな」
財政的な事をすべてロバートに任せてしまった負い目のせいか、何によらず老侯爵は自分の意見をあまり口にしなくなった。食べ物の味については相変わらずうるさかったが。バージルの事はロバートが勝手にすれば良いという立場のようだが、確かにマギーの言うように意見を聞いてみるべきなのかも知れなかった。
金のやりくりはめちゃくちゃだったが、他の点ではまあ、人間としても貴族としても、まともな人だと時々ロバートは父を見直すようにもなっていた。
新婚夫婦を迎え入れるように新たに手入れした邸の東翼部分は、かつてロバートの両親が新婚時代を過ごした場所でもあった。部屋の用意が完璧に出来て数日後、ロバートとマギーは夫婦として一緒にレイストン・ハウスに戻ったのだった。
「バージルとはいっしょに夕食を取る事にした。それと早くしかるべき学識のある教師をつけてやらねばいかんぞ」
ロバートは父侯爵がはっきりそう断言したので、驚いた。それがマギーと同じ意見でも有ったので、その夜から夕食は「家族全員そろって」取る事になったのだった。そしてその食事の席で、アフトン公爵と大英博物館に出掛けた折の話が出た。
「なるほど。では、バージルは自然科学の研究者の指導を受けるべきだとおっしゃるのですね?」
「ただの家庭教師なんぞ雇っても、あまり意味は無かろう。気心の知れん他人が一人増えるだけだ。ロバートは忙しいだろうが、私もマギーも色々教えてやれるからな。ドイツ語もフランス語も、ラテン語・ギリシャ語も大丈夫だし、美術鑑賞に音楽も多少は教えてやれるだろう。後は馬術やフェンシングも嗜み程度には必要かのう」
マギーは馬がバージルに懐いた事を話したが、それもロバートは初耳だった。
「バージルは新大陸で馬には乗っていたのでしょ?」
「うん。まあね。何しろ人間が少ない所で、馬がないと、隣の家に行くのも大変だったからさ。銃と弓はそこそこ使うけど、フェンシングは全然やった事がないな」
「そこそこって、何か獲物でも取っていたの?」
「家の周りの畑を荒す鳥を撃ったり、野兎を撃ったという程度だけどね」
どうやら七歳ぐらいから馬に乗り、十歳にならない内に銃と弓を使うようになっていたようだ。
「ほう。森の生活には必要な事だったのじゃな」
「そうです」
バージルの森の生き物や気象に関する話が詳細で生き生きしているので、大英博物館の研究員たちを喜ばせた話を父侯爵がすると、ロバートは驚いた。
「なあ、ロバート。多少食事のマナーが変な事は、目をつぶっても余りある才能がこの子には有ると思うぞ。ドイツ語の覚えも早くてな。おお、そうじゃ、フランス語もかなり読み書きは出来るんじゃよな」
「ちょっと行儀が悪くて、カナダ風に訛ってますけどね」
「じゃが、そこらのぼんくら貴族よりよほどまともに読み書きできるようじゃ」
フンボルト教授の著作をドイツ語で読めるようになりたいので、懸命に勉強しているとバージルが言うのを聞くに及んで、ロバートはバージルの扱いを「家族」とする事に対して、わだかまりを感じなくなった。
それから半月も経たない内に、ロバートは大英博物館の研究員でロンドン大学の教授を兼任する人物数名に話をつけ、日替わりでバージルの個人教師として通ってきてもらうようにした。皆、優れた研究者ではあるが、経済的には恵まれていない人々で、ロバートの支払う俸給は彼らの研究を手助けする結果にもなるのだった。
馬術とフェンシングは老侯爵が「運動不足を解消するため」旧知の名手に、バージルと一緒にレッスンを受ける事にしたようだった。
「お父さまも、楽しそうでいらっしゃるわ」
「血色がよくなって、少し若返った様な気がするよ」
「これでお母さまがお元気になれば、いう事無しなんですけどね」
だが、その母も二階の部屋から椅子駕籠で毎日下に降りてから車椅子に座り直し、マギーと温室で花を見たりお茶を飲んだりするようになって、ボケが薄れたようにもロバートは感じていた。時折すごくまともな受け答えも出来るのだ。
「ねえ、ロバート、マギーは赤ちゃんが出来たのではないかしら? まぶたの所がうっすらピンク色になっているし、何かそんな雰囲気があるのよ」
そんな事を言う老侯爵夫人の表情は呆けた人間のものでは無かった。だがこれが夕方近くになって、夕食を待つ頃になると、幼児に逆戻りする。だが、呆けていても居なくてもマギーを「息子の妻」と認識してはいるらしい。医師に言わせると呆ける以前からマギーの事を家族に迎えたいと思っていたから、であるらしい。
で、肝心なマギーだが、母の言うことはあながち出鱈目でも無かったらしい。その後妊娠していると判明したのだ。
キーネス侯爵家全体が祝賀ムードに包まれ、大騒ぎになった。各領地の差配人や教区牧師からの祝いの品や手紙も引きも切らなかった。夫婦二人で社交的な催しに参加したことがただの一度も無いにもかかわらず、隣り合わせの高位の貴族同士の縁組である為か、ロンドンに邸を持つ貴族全てからの何らかのアプローチが有った。曰く、良い乳母を世話するとか、妊婦向けのドレスを上手く仕立てる者を知っているとか……
「まあ、アメリカの友達からだわ」
マギーのもとにアメリカの大学時代の友人の手紙が届いた。何と最近、遠縁の準男爵と結婚してロンドンに住むようになったらしい。その友人が中心になってマギーのために「ベビー・シャワー」と言う催しを行った。最初はその言いだした友人宅で行おうかと言う話になっていたが、マギーの母であるレディー・バーバラが場所を提供する形になった。
「へええ、アメリカでは妊婦の親友や家族がそういう催しを行うのか」
幾度もアメリカには行っているロバートだが、そうした女性特有の催しは知らなかった。親密な友人と家族で行う祝いの茶会のようなものらしかった。
「ええ。スーは自分の仲良しが妊娠したら絶対ベビー・シャワーをやろうと決めていたみたい」
どうやら妊婦の夫は参加すべきであるようなので、ロバートもこわごわ参加した。そのスーと呼ばれる友人は顔が広いらしく、全部で十名、大学時代の同級生で大西洋を越えてこちらに嫁いだ女性が集結したようだった。イングランドだけでなくスコットランドやウェールズからと言う者もいたようだった。ロバートはもっぱら話の聞き役、ホスト役に徹したが、何ともはや、姦しい。
「マギーって、本当に貴族だったのね。なんかあたしまだ信じられない」
「すんごいお邸ね」
「こちらはご実家で、通りから良く見える大邸宅の方がお嫁入先なの? へええ」
「お母さまもお綺麗~、さすが本物のレディって感じの方ね」
「旦那様、すてき! きっとかわいい赤ちゃんが生まれるわ」
アメリカの女性は物言いが率直で遠慮がない。それがまた美点でもあるが、ロバートは少し苦手だ。
「初めてお父さんになられるお気持ちは?」
「ああ、あのね。ロバートには息子が一人いるの。とっても賢い子なのよ」
「あれ? そうなの? ごめんなさい、私、旦那様も初めて結婚されたってウチの姑から聞いていたから」
「それはそうなのよ」
「え?」
「あの、それって私生児って事?」
「お母さんはねルイーズ・メルダなの」
「えー? あの森の狩人の?」
「熊殺しの?」
「そう」
それからロバートは質問責めにされた。そしてバージルを連れ帰った時から今での状況について、問われるままに答えると、皆は一応納得したものの……
「もう他に私生児なんて作らないで下さいね」
「何だか心配だわ」
ロバートにしてみれば散々な言われようだった。
「みんなが心配してくれるのはわかるけど、ロバートは誠実な立派な旦那様なの。そしてバージルは私にとっても大切な家族よ。だからそんな言い方は止めて。それをわかって下さらない人とは、今後はお友達づきあいは出来ないわ」
マギーはかなり怒っていた。その顔を見て皆、シュンとしてしまった。
「みんな、そんな事じゃ、集まるように声をかけた私がいけないみたいじゃないの」
「スーは悪くないわ。私が変な風に話を持って行ったのがいけなかったのよ」
「マギーがそこまで言うんだから、その男の子もきっと良い子なのね」
最後は淹れ直したお茶と美味しいアップルパイを皆が味わって、穏やかな友好的な雰囲気で終わらせることが出来た。ロバートとしても、やれやれだった。そして、ロバートもマギーもこの時は、あの厄介者のレイフ・ボーダナムの事など、きれいさっぱり忘れていた。




