ウォーラム・アベイにて・1
「うん、実に綺麗な花嫁さんだ」
ロバートの手放しの賛辞に、マギーにしては珍しく無言で顔を赤らめた。
マギーのすっきりとした立ち姿は、古風なレイストン・ハウス内部の礼拝堂で際立って見えた。堂々たる貴婦人らしさだとロバートは思った。ドレスの生地はカーネーション模様の白いシルクジャガードでマルクスフィールド産、レースのベールはホニトン産と言う具合で、国内産業の活性化に寄与しようと言う配慮も好ましい。
署名やら型どおりの儀式もそれなりに重要ではあったが、すっかりぼけてしまっていたはずの母が、マギーのドレス姿を見て「とっても綺麗よ、マギー。ロバートをよろしくお願いね」とやけにしっかりした口調で言ったのが驚きであり、うれしいハプニングでもあった。
「小さいが良い式だった。マギーもそう思わない?」
「本気でお祝いしてくれている方だけが出席して下さった事は分かるけど、結婚式って、行った事がないから実は分からないわ。でも、ロバートは素敵な花婿さんだけど」
「昨日はちゃーんとこの国一番の理髪店で髭を剃ったし、爪も磨いたしね」
「ラドストックさん、ええ……ラドストックが剃るのと違う?」
「何というか、持ちが違うかな。結局、朝一番にもう一度ラドストックに剃らせたけど」
「彼はロンドンでお留守番でしょ? その間髭は?」
「自分で剃るよ。それともマギーが手伝ってくれる?」
「あ、やろうかしら」
「んー、良いよ。自分でやる。ね……髭も剃らない顔でキスしたら、怒る?」
「多分怒らないわ」
「じゃ、予行演習」
ロンドンの隣り合わせの二つの大邸宅の使用人たちが、祝い酒で大いに盛り上がっている頃、ロバートとマギーはウォーラム・アベィの邸宅にたどり着いた。さほど大きくは無い邸だが、緩やかな丘の頂上に立っており、遠くには海が見える。
「ニースほど暖かい訳じゃないが、ロンドンより寒くない。ブライトンほど賑やかじゃないのも良いだろう?」
邸の使用人一同が出迎える中、先ずはお茶の時間という事になるのだろうが……
「その旅行用のブルーのドレスも似合うのに、お茶の時間となるとそれに相応しく着替えて、またディナーにふさわしく着替えて、って事になると面倒だ」
「じゃあディナーじゃなくて、軽く食べる?」
「僕が言いたいのは……早く二人きりになりたいって事」
「三時間馬車って、ちょっと疲れたわね」
「じゃあ風呂にでも入って、ベッドに行こう」
「今から?」
「構わないだろう?」
「その温室が気になるんだけど、見ていい?」
「その後、風呂でベッドなら」
「はいはい。わかりました」
ロバートはちょっと心配になってマギーの顔を凝視した。
「なあに?」
「本当に分かった?」
「たぶん」
「ならいいけど……ほら、こっちからだよ。イチゴなんかも生っているんだ」
ロバートはかなり大きな温室を作らせて、年中瑞々しい野菜類が手に入るようにさせていた。マギーは色とりどりのベリー類に歓声を上げた。
「まあ、美味しそう」
「君の方がおいしそう」
「ロバート……」
「早くこのじゃまっけなコルセットを取ってほしいな」
「そんなにせっぱつまっているの?」
「ああ、そうだよ」
耳を唇で愛撫されると、マギーの体に未知の感覚が走ったようだった。後は、何が何だったのか良くわからなかったが、気が付くと大きな四柱式ベッドの有る部屋にもつれ込んでいた。
「ねえ、互いに脱がせっこしよう」
マギーは熱に浮かされたようになっていて、返事が出来なかったが、がくがくと頷き、ロバートがボタンを外すのを手伝い、自分のドレスを脱がそうとするロバートに協力した。
「お風呂に入ってないけれど……」
「僕は平気だけどな。だって、朝早く起きてピカピカに磨きたてたろう?」
確かに朝の八時には入浴して、メイド達の手も借りて隅々まで洗い、磨き立ててはいるが、馬車の中で幾度もキスをされたり愛撫される内に、多少の汗をかいたようなので、少し気にはなるのだ。その後、マギーが予想していたよりもずっと大きな痛みと大きな快感を味わい、ぐったりとして夫の腕の中に抱かれている頃には、完全に日が暮れた。
「下まで行くのは辛いだろう? 上に何か持って来させるよ」
その言葉を聞いたとたん、マギーの腹が鳴って、二人は噴き出した。ロバートは呼び鈴を鳴らして、すぐに三種類のサンドイッチとスープ、ハムとソーセージの盛り合わせ、果物類そして熱い紅茶と言った物を続きの小部屋に運ばせた。上手い具合にそこにマギーが着る分の温かい部屋着が用意されていた。贅沢な猫足の寝椅子にマギーが座り、ロバートは背の付いたゆったりした革張りの椅子に座って食べるだけ食べると、またベッドに戻った。マギーはもう風呂の事は忘れていた。
夜通しかけてロバートが言う所の「集中レッスン・第一回目」が終了すると、もう夜明けが近いようだった。
「まあ、本当にポツポツと生えてくるのね」
マギーはゆっくりと手を動かして夫の顔を指先でなぞりながら、驚きの声を上げていた。
「君のここは極上のベルベットのように柔らかで、絹のように滑らかなのにな」
乳房は白くやわらかだが小さな頂点は堅く尖りそそり立っている。
「あなたはここにもお髭が生えているわねえ」
無邪気なタッチで胸毛をなぞられると、ロバートはまた、兆してきた。
「夜が明ける前に一眠りするつもりなら、あちこち撫で回さない方が安全だよ」
「撫で回したい気分なの」
ロバートは唸った。
「何ていけない子なんだ」
一瞬の動きでロバートはマギーを仰向けにさせて体を重ねた。
「だって、先生の教え方が上手過ぎて……」
「よし。嫌でも眠くなるように、今からみっちりと仕上げだよ」
その言葉通り、ひとしきりレッスンの仕上げを終えると、二人とも深い眠りに入った。そして起きた時は、もう昼だった。二人ともゆっくり風呂に入り、お茶をゆっくり飲んでから、食堂に降りて、昨日食べ損ねたこの邸の女料理人の自信作らしいシチューと立派なガチョウのローストを食べた。シチューの方はヒップバスぐらい有りそうな大鍋いっぱいに出来ていて、古風なデザインの暖炉の火でグツグツ煮えていた。田舎風の素朴な料理だが、手抜きをせず丁寧に作られていて、マギーが素材の取り合わせの良さと香辛料の使い方を褒めると、料理人も満更でもなさそうだった。
「温かみが有って、いい感じの部屋ねえ」
「古い農家って感じだけど、リラックスできるだろ?」
マギーは例のコルセットもクリノリンも無しのドレスを着ていて、ロバートもラウンジスーツという肩の凝らない格好だ。
「うーん、髭がちょっと剃り残しが有るかな」
「見ただけじゃ分からないわ」
「ほら触って見て。チョッとざらついてるだろう」
「あら、まあ、ホントね」
フォーマルな食事なら考えられない気安さ親密さだ。給仕役の従僕は見て見ないふりをしている。クラレット一本を二人で開けて、食後のお茶を飲んだ。ラドストックはロンドンの留守宅を仕切っているので、上手にコーヒーを淹れる人間がいないから、ロバートはお茶で我慢するらしい。
「庭を散歩しようか」
「着替えた方が良い?」
「庭から出ないならコートを着るだけで良いんじゃないか?」
散歩用のドレスと言う物も有るのだが、食事用に着替えた服の上にコートを着てボンネットを被った。
「巨大なクリノリンが無くて、むしろ僕はこういう方が好きなぐらいだ。そのドレス可愛いし」
「こういうちょっと人に会っても体裁が悪くないコルセットもクリノリンも要らない服、流行るってリジーが言うんだけど」
リジーはロバートやマギーと別の馬車に乗って、この邸に到着していた。
「リジーってミリーの妹なのか?」
「そうなの。顔も似てるわよね」
「なんかこの邸の連中と、もう馴染んでたみたいで驚いちゃったよ」
「亡くなった旦那さんの実家の小間物屋さんを、繁盛する店に育て上げた人だから、やり手なのよ。結婚前はドレスメーカーで御針子をやっていたから残り布を使って、ドレスとおそろいの小物を作ったり、ちょっとした修理をしたりも得意なの。頼りになるわ」
今日も入浴後、最新流行の化粧品を抜かりなくそろえて、マギーの化粧の手助けをした。といっても保湿とか美白とかが主で、おしろいは殆ど無しだが。口紅もごく薄くに留め、それでも顔映りのよい色を選び、眉の描き方一つにこだわることで随分顔の印象を変えることが出来ると丁寧に教えてくれた。
「何もなさらなくてもお綺麗ですが、こう致しますと朗らかで優しい感じになりますよ」と言われた通りになった。
「ちょっぴりお化粧したんだね。なんかいつもとちょっと雰囲気が違って、ドキドキするな」
「まあ、本当?」
「名実ともに僕の奥様になったせいかも知れないが」
手と手を取り合って、緩やかな坂になって広がる広大な庭園をゆっくり降りて行く。冬の事で花は見当たらないが綺麗に丸く刈り込まれた常緑樹の垣根が続く。途中にギリシャ風や中国風のあずまやが有る。その中国風のあずまやの周りには、黄色い小さな花を一杯咲かせた樹が植えられている。
「ここは冬でも咲く花が集まっていて、なかなか良いだろう」
「まあ、この黄色い花、沢山元気に咲いているのね。ジャスミンの仲間かしら?」
「ああ、そうなのかな。僕は分からないが、ここの庭師なら知っているよ多分。東洋の花らしい。こっちのビブルナム・ティヌス は僕も名前を知っている」
「私はヴァイバーナム・タイナスって言うふうに聞いた事が有ったんだけど、どっちにしてもラテン系なのね。地中海の方のものかしら? 白い花が丸く集まって、綺麗ねえ」
「ほら、眺めも良いし」
他にも名前のわからないピンクや紫の花、紫色の実のなる樹なども植えられていて、冬でも彩豊かだ。
「すてき! この道って、海まで続くの?」
「ああ、続くよ。庭は途中で終わるが」
「ちょっと見てみたいかな、海が」
「今から、行くかい? 馬車で外の道伝いに出た方が簡単で早いだろうが」
「今日はいいわ。散歩服を着てこなかったし」
「リジーに怒られるか。馬でも行けるよ。何なら、明日行ってみようか。そこの植え込みの影に500年以上前の修道院の跡が残っているんだ。そこに嘘か本当か知らないが、妖精が出るって言うんだけど、僕は見た事が無いな。亡くなった兄は見たようなんだが」
「どんな妖精なのか、おっしゃっていた?」
「白い羽の生えた小人らしいよ」
「その妖精は人間と話をするかしら?」
「ここの邸の者達に、後で聞いてみるかい?」
その瞬間、ゴーッと強い音がして海からの風が吹き抜けた。
「な、何か妖精の仕業かしら、強い風が一瞬吹いたわね。ちょっと寒いわ」
「じゃあ、邸に戻ろう。ベッドで温めてあげるから」
「な、なんて、返事をすればいいの?」
「黙って一緒においで」
今までマギーは気が付かなかったが寝室から直接外に出られるテラスが庭と続いていた。そこから使用人たちの居る辺りを通らずに、ベッドに戻ることが出来た。すっかりシーツは取り替えられたわけだったが、マギーの初めての印も使用人たちは目にしただろう。それに気が付くと、マギーは急に恥ずかしくなった。
「さ、一杯」
ブランデーを小さなグラスで差し出されて、マギーはそれを飲みほした。体温が急に上がったようだった。気が付くとロバートに抱え込まれていて、あっという間に胸は露わになり、ドレスとペチコートをかき分けて、太腿の内側を撫でさすられていた。
「この服は君に似合うし、脱がせやすいし、実に良いぞ」
ロバートが胸の頂きを口に含む頃には、マギーも悩ましい小さな呻き声を上げ始めていた。
「良いねえ、素敵だ。マギーと僕は体の相性も抜群みたいだよ。ほら、わかるかい?」
マギーは言葉にならない声を上げ、首を振って肯定した。この分なら皆の期待の跡取りを授かる日も、そう遠くは無いのかも知れない……そんなことが、マギーの意識によぎったが、後はもう、何が何だか分からない程に翻弄されてしまった。こうした行為にあまりに夢中になるのははしたないとか、あのレディ・キャロライン・ラムのようにふしだらだとか……そんな事を母が言っていたのではなかったか?
「こんな、こんなにふしだらでも……いいのかしら?」
ロバートは最初意味が分からなかったが、その言葉を口にした理由がわかるとこうささやいた。
「馬鹿だなあ。正式に結婚した夫婦同士で夢中になったって『野暮だ』とか言われるかもしれないが、ふしだらとは言われないさ。それとも何か? お互い別々に愛人を持つ方が良いの?」
「いやよ、そんなの」
「じゃあ、全然気にしなくていいんだ」
「そうなの?」
「そうだよ」
変な所が生真面目で古風で、その癖情熱的な反応をする妻が、ロバートは愛しくてならなかった。
安心してロバートにマギーが応じた結果、事が果てると二人はまた、より添って眠りこけてしまった。
ディナーの時間になっても一向に食堂に来る気配のない主人夫婦の様子を、そっとリジーが見に来たが、ベッドで一塊になっているらしき寝具の高まりを見て、すぐに部屋を出た。そして今夜はディナーを取りやめて、軽い夜食かいっその事しっかりした朝食を準備しておいた方が良いと、調理場に伝えに行ったのだった。