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困惑・1

「マギーは明らかに上流家庭、それも恐らくは最上流に近い家の令嬢だと思われるけれど、一体どこの誰なのか、知っているのだろう? 雇い主にはちゃんと教えてくれるべきじゃないか?」


 そうロバートが切り出すと、ハーグリーブス夫人は表情を硬くして、こう言った。


「申し訳ございません。私の口からは細かい事は何も申せません。ただ奥様が大層信頼なさっている方のお嬢様だとしか、申し上げられません。夕方から少し外出しておりますが、夜の九時までには戻る約束です。戻り次第、直接お話なさって頂ければと存じます」

「こんな時間に外出って、どうしたんだ?」

「ちょっと近場での用足し、だとは思いますが」

「聞いていないのか?」

「はい。家政婦の私は……取り締まる立場ではございませんので」


 それは確かに正論なのだ。だがマギーを雇う決定を下した母は、その後、急に呆けてしまったので、それはちょっと違うのではないかとロバートが言おうとしたところ、マギーが帰宅したらしい。従僕にすぐにこちらに呼ぶように命じる。


「それでは、私は下がらせていただきますので、後は直接お確かめください」


 そう言うと、ハーグリーブス夫人はその場から居なくなってしまった。すると老侯爵までが「後はお前に任せる。ま、仲良くやってくれ。な」などと奇妙な事を言って、出て行ってしまった。そのすぐ後に、マギーが部屋にやってきた。やっぱり眼鏡を掛けていて、地味なグレーのドレスを着ている。


「遅くなりました。失礼いたします」

「まあ、いいよ、そんな固い挨拶は。ともかくそこにかけて……」


 ロバートは普段なら客を座らせる椅子に座るように促した。どう話を切り出したものか、正直、困惑していた。だが、本当の事を言うのがこうした場合、結局は一番早いのだと思い直し、率直にハーグリーブス夫人を呼び出して、マギーの身の上について聞こうとしたら、拒否されたと伝えた。


「それにしたって、よくもまあ、僕の母が住みこみを認めたね」

「侯爵夫人から私の母にお話を頂いた時には、亡くなられたお兄様の御健康に少しでも良いものを食べて頂きたい、そんな御事情のようでした」

「君のお母様はどなたかな? 恐らく僕も名前ぐらいは存じ上げている方だろうが」

「バーバラ・リードです」

「……って、あれ? アフトン公爵の一番上のお嬢様の? ええ? そうなんだ。と言うと、君はあの亡くなられた、作家のサー・アイザックのお嬢さん?」

「そうです。マーガレット・リードが本名です」

「レディ・マーガレット・ウィルモア・リードって言うべきじゃないのかな?」

「母はサーの称号を得た父アイザック・リードの未亡人ですからレディ・リードですし、アフトン公爵である祖父オーガスタス・ウィルモアの娘ですからレディ・バーバラでもあるわけで、二重の意味でレディと呼ばれるべきでしょうが、私自身には何の爵位も称号も有りません」

「ああ……確かに、決まり通りだとそうなるんだな。でも、君よりレディらしくないレディなんて、掃いてすてるほど居るよ。そんな連中でもレディって名乗ったり、呼ばせたりしている。アフトン公爵には幾度もお目にかかっているが、お孫さんは全員男だとばかり思い込んでいたよ」

「そう言えば侯爵様は?」

「マギーの事は全部僕に任せるってさ。眠かったのかも知れない」

「それは、遅くなりまして……申し訳ございませんでした」


 今まで何をしていたのか知りたいのはやまやまだが、れっきとした公爵の孫娘である事がはっきりした相手に、主人面して問いただすのも不躾だろうとロバートは思った。


「ねえ。新大陸に居たって言っていたね」

「ええ。アメリカに四年おりまして、それからヨーロッパの数か所で寄り道を」

「ひょっとしてアメリカの女性のための大学へ? 」

「ええ」

「なぜまた料理人を?」

「侯爵夫人から私の母に対して、亡くなられたお兄様の御健康を回復するにはどうすればよいだろうか、という御相談を頂いたのがきっかけでした」


 最初は通いで病人の体に良さそうな物を持ってきてもらうという事だったらしい。財政的な問題も有り、兄の病の事も有り、フランス人の料理人モアブルは「自分に相応しい華やかな宴」が催されなくなったのが不満でならなかった様だ。それでも父の食べる物はどうにか作っていたらしいが……


「お兄様の御病気に一番詳しい医師は外国よりむしろロンドンに多くて、転地療養なさっても適切な治療を受けられる見込みも無かったですから、自然このお邸で寝ておられる訳で……侯爵夫人としてはロンドンで出来そうな事は何でもして差し上げたい。そういう一心でいらしたのでしょう」


 侯爵夫人がモアブルに病人食を作るように依頼すると「自分はそんなものを作りにここまで来たんじゃない」とかなんとか言って不機嫌になり、飲んだくれて暴れたらしい。その件に関してはロバートも、母付きのノーマ・シンクレアから聞いてはいた。

 

「侯爵夫人が私の作った物の味を気に入られて、どうせならこのお邸で作って欲しいとおっしゃったのです」

「それで、君はその……僕の母の非常識な依頼を、受けたの?」

「非常識とはおっしゃいますけど、御病人の事を考えましたら合理的です。私、ドイツやイタリアで介護や医療と食事と言うテーマについて、自分なりに学んだり考えた事も有ったものですから」

「へええ、そんな勉強もしてたの」

「中途半端でお恥ずかしい限りですが、それでも食事と健康について学問的な見方が多少は出来るようになったと思います」

「ふーん」

「採用試験と言うようなつもりで、祖父の邸で私の作りましたコース料理を侯爵夫人に召し上がって頂いて以降、調理場をお任せいただくと言う話が出まして、私としては経験を積みたいという気持ちが有りましたから、即座に御受けしました。実際の交代に関してはいささかムッシュー・モアブルと揉めましたが」

「前、メイドが言っていたフランス語のけんかとか……ドレス事件とか? その辺の事情なのかな」


 どうやら完全にヤル気を失くしていたモアブルは、領地から届いた野鳥類をいい加減に扱っていたらしい。


「猟銃の弾や骨折したりした部分の切除もしてませんし、内臓の抜き取りも不徹底で、実にいい加減でした。小娘に何がわかると言われましたので、自前の包丁を持ち出してドレス……つまり解体したのです」


 するとオートキュイジーヌ(正式な作法に則った高級フランス料理)の何たるかもわからんド素人は、田舎臭いゲームパイ(野生の鳥獣の肉を使ったパイ)でも焼くのがせいぜいだ。アントナン・カレームの料理を見た事も無い奴に、何が分かるかとモアブルが言ったらしい


「私はムッシュー・カレームに直接の御指導を頂いた経験が有る、と言い返してやりました。本当は祖父がムッシュー・カレームと古くからの知り合いでしたので、子供時分にムッシューの働く調理場に幾度か入り込んで、お手伝いした程度の事なのですが」

「良く、つまみ出されなかったね」

「物心ついてからずっと、キッチンメイドの仕事を手伝っていましたから。子供でしたが、まともに鍋を洗い、野菜の皮を剥くこと程度は出来たのです。普通の貴族の家庭では、そうした事はさせてもらえないのでしょうけれど、祖父は興味が有る事は犯罪行為ではない限りは何でも、納得のいくまでやってみれば良いと言うのが教育方針でして……そんなわけで調理の様子をムッシュ・カレームは幾度か見学させてくれました」

「へええ、で、モアブルとのやり取りは、ずっとフランス語だったんだね」

「ええ。その後、その野鳥類をどう処理して、どう料理するか私の考えを聞かせろと言うので、思ったままを申しましたら、ムッシュー・モアブルが……調理場を明け渡しました」


「思ったまま」の内容がモアブルの予想より高度だったという事だろう……とロバートは思った。もっとも、退職金が払われる内に貰える物だけでも受け取って帰国した方が賢いと踏んだ、それだけかもしれないが。いずれにしろ、フランス人の気位の高い料理人に場所を譲らせるのは、面倒であったのは間違いない。


「そちらのお祖父様のアフトン公爵は何とおっしゃっているの? マギーがこうやって務めているのは不体裁だとはおっしゃらないの? ああ、無論、うちとしては美味しいマギーの料理が食べられる期間が長い方がうれしいけれど」

「家庭の事情で……しばらく私が祖父の邸を空けた方が良いと言う判断が有ったのですが……どうやら問題が片付いたようで……こちらのお邸に御迷惑がかからない様なキリの良い時期を選んで、戻ったらどうか、とは言われましたが」

「それは、どんな事情?」

「私自身の事でしたら何でも正直に申し上げますが……そうではないので、お教えできません」

「……じゃあ、君自身の事なら、正直に教えてくれるんだね」

「はい」


 ロバートは深呼吸して、一気に一番知りたい事を尋ねた。


「僕の事、好き? それとも嫌い?」


 マギーは大きく目を見開き、唇を半開きにしてロバートの顔を見た。少し頬に赤みが差したように見えたが、すぐに顔を伏せてしまった。膝の上で拳を握り、少しうわずった声を出した。


 

「仕事とは無関係だと思われますが」

「でも、僕にとっては、目下の所、一番気になる事だから……教えて貰えないだろうか」

「正直申し上げて、わかりません」

「男の兄弟がいるよね?」

「一歳年下の双子の弟がおります」

「あー、そうだね。弁護士になった方の人は顔ぐらいは知っているけど、もう一人は役人だった?」

「香港総督のもとで仕事をしています。ずっと東洋に興味が有った様なのです」

「へえ、だから、中国の料理の事なんて知ってるんだね」

「中国人は食べる事にこだわりが有る人たちのようです」

「……中国人の事は、良いんだ。問題は君の気持ちだけど……わからないって……婉曲なノー?」

「未経験な事なので、どう考えるべきなのか、自分でも判断がつかない。そういう事です。それ以上の意味は有りません」

「今夜は、こんな時間まで、何していたのかな?」

「自宅でゆっくりお風呂に入って来ただけです。こちらでも皆さん良くして下さいますけど、自分の好き勝手とは行きませんから」

「うーんと、君さえその気なら、この邸でも好き勝手出来るんだが」

「……困りました」


 マギーは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。自分は随分と不躾で破廉恥な事を言ったと受け止められたのだろうかと、ロバートは狼狽した。だが、聞きたい事は、聞いておかねばいけないとも思い、気を取り直した。


「親御さんが決めた婚約者とか、結婚を前提に付き合う男性は? この前の様子だといないと言う風に受け取れたが……」

「いません。男性とのお付き合いも未経験です」

「じゃあ、経験をしてみたら?」

「え?」

「僕とためしに付き合ってみてくれない? 君を困らせるような事はしないって約束する。僕には現在付き合っている女性は居ないから、その点は安心してくれ。その、仕事に差し支えない時間に……一緒に公園で散歩でもしない?」

「まあ、それでしたら、すぐに噂になってしまうではありませんの」


 確かにそれはその通りだと、ロバートも思った。もっともロバートは噂になっても一向に構わなかったが。


「じゃあ……明日にでも一緒に、君のお祖父様の所に行こう」

「ええ?」

「僕としては、ためしに付き合って欲しいと思っていますって、そう申し上げて来た方が、その、何かと安心なさるんじゃないかな。何か不測の事態に至っても責任は取るし……って、あああっ……何言ってるんだ!」


 ロバートは頭をかきむしった。マギーはその様子をあっけにとられて眺めていた。

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