リチャード・コープのラジオ
オカルト雑誌の記者であるフレディ・スールがその家を訪ねたのは、夏の暑さが未だ残る九月の頭のことだった。
その村は都心からかなり離れた所に位置しており、周囲に見える農場や田園が、近代化の波から一人取り残されたかのような牧歌的な雰囲気を漂わせていた。舗装された道路も無く、ここで科学的なものと言ったら、トラクターと方々に張り巡らされていた送電線くらいのものであった。
不規則に点在する家々も、都心にある鉄筋コンクリートの高層ビルではなく、レンガ造りの前時代的なものが殆どであった。そしてフレディがドアをたたいた家も、この例にもれず赤焦げた外観をしていた。ただその家の周りの畑は枯れ果て、死にかけていた。
二、三ノックをした後、錆付いた金具が悲鳴を上げながら、億劫そうにゆっくりと木製の扉が開いた。
「どちらさんで?」
壁とドアの間の闇から声がする。湿った粘り気のある声に内心冷や汗をかきながら、フレディが答えた。
「ショーン・マイクスさんですね?私はPA通信社のフレディと申します。お話を聞きたいのですが…」
沈黙する闇の中に向けて、フレディが付け加えた。
「ラジオの件で」
その言葉が効いたのか、ショーンと呼ばれた男が闇の中からぬっと顔を出した。頭は禿げあがって頬は痩せこけ、異常なまでにギラついた瞳だけが生気を放っていた。
「帰んな。お前も物笑いに来たんだろ」
「いや、私は」
「帰んな」
地獄の遠吠えのような野太く底冷えする声にフレディは竦み上がってしまったが、勇気を振り絞って言った。
「ショーンさん、私も仕事で来てるんです。ここまで来て帰れませんよ」
反応がない。もう一押しとばかりにフレディが言った。
「それに私、こういう話には個人的に興味もありまして、ぜひとも聞かせていただきたいんです。絶対に笑ったり、けなしたりは致しませんから」
「…好きにしな」
認めたというより諦めたようにショーンが言い、扉が軋みながらゆっくりと開いた。フレディはやれやれと言わんばかりに額の汗を拭きながら、泥のような闇の中に足を踏み入れた。
ショーン宅を一言で言い表すなら混沌だった。フレディはそう思った。室内は散らかり放題で、長らく掃除のしていない床には埃がたまっている。窓は閉め切られていて、その割に中の空気は霧吹きを使ったように湿気がすごく、下水のヘドロよりも強烈な、鼻が曲がりそうなほどの悪臭に満ちていた。それは家主だけではなく、家そのものが生きていることを放棄したかのような有様だった。その中で、フレディとショーンは向かい合ってボロボロの椅子に座った。
「はじめまして、私はこういう者です」
フレディはしかしそういった悪感情をおくびにも出さず、表面上はにこやかにショーンに名刺を渡した。ショーンは骨太な手でフレディが手渡した名刺を受取ってしばし覗き込む。その姿をフレディはじっと見つめて、ショーンの人となりを観察した。
ショーンは肩幅が広く、筋骨隆々の人間だった。顎には髭を蓄え、薄い顔の皮には皺が刻まれていた。日焼けした腕や顔、そして壁に掛けてある半ば朽ちた鍬から、かつては農作業に没頭していたのだろうことが想像できた。
そうしているうちにショーンが名刺を机の上に放り投げていった。
「で、何がききたいんだ?」
「最初にお話しした通り、例の事件について教えていただきたいのです。どんな些細なことでもかまいませんので」
「いいよ」
まず断ると思っていたフレディは、ショーンの即決にある意味驚いた。これからフレディが聞こうと思っていた話は、今まで彼が聞いてきたのと同様に普通の人間からすれば狂人の妄言だと思われてもおかしくないもので、自分の体面を考えて話そうとしない物と思っていたからだ。
「本当によろしいのですか?」
「ああ。もうこの話をして笑われるのにも慣れたし、今じゃそんなことどうでもいいからな。今の俺は、いてもいなくても同じなのさ」
投げやり気味にそう言うショーンに憐れみの混じった視線を向けながら、フレディが言った。
「他はどうか知りませんが、私は絶対に笑ったりなどしません。そういった話は何度も聞いてきているので」
「そうかい」どうでもいいようにショーンが言った。
「じゃあ話すが、いいかい」
「どうぞ」フレディがメモ帳を取りだした。
「あれは今から二カ月ほど前のことだった」ショーンが低い声で話し始めた。
「その時は今よりも暑くて、畑作業も楽じゃ無かった。言っておくが、その頃の俺は今と違って真面目に畑仕事をやってたんだ。そんなある日、俺の友人のリチャード・コープが不意にやってきたんだ。
リチャードは俺と同じこの村の出身で中も良かったんだが、家業を継いだ俺と違って、一念発起してここから離れた都心に上京したんだ。それ以来音沙汰が無かったんだが、ある時ひょいと、思い出したように俺の前に現れた。
いきなりの再会に俺は驚いたんだが、それ以上に俺はリチャードの見てくれに驚いた。顔は死人のように青ざめていて、顔から冷や汗をダラダラ流していたんだ。俺が驚いていると、奴がこう言ったんだ、『頼むショーン、俺を匿ってくれ』と。
『一体どうしたんだ、リチャード?』リチャードの雰囲気に若干呑まれながら俺がそう聞くと、リチャードはこう言った。『なんでもいい。匿ってくれ』。それを見て俺は不気味に思ったんだよ。都心に言って何年も音沙汰が無かったのに、出てきた途端『匿ってくれ』じゃ、誰だって怪しむもするだろうさ。でもその時の俺は、リチャードの追い詰められたような迫力に押し負けたんだ。結局俺は、あいつを家の中に入れることにした」
そこまで言って、ショーンは机の上にある長方形型のラジオを取って座り直し、膝の上に置いた。
「それはなんですか?」フレディの質問を無視して、ショーンが話を続けた。
「その時リチャードは、このラジオを大事そうに抱えていた。家の中に入ってからも、それを離そうとはしなかった。
『それはなんなんだ?』俺が尋ねると、リチャードは忌々しそうにこう言った。『これかい?これこそが、俺がこんなにも切羽詰まっている原因そのものなのさ』。
話が見えずに俺が首をかしげていると、奴は見下したような笑みを浮かべてこう言った。『ふん、まったく無知と言うものは幸せだな。自分たちの身の上に何が起きているのか知らずに一日を過ごせるんだから』。
『どういう意味だよ?』むっとして俺が答えると、奴がなおも優越感たっぷりに、だが顔に恐怖を貼り付けた表情で言った。『言葉どおりの意味だよ、ショーン。人間は自分たちが思っているほど大きなものではないということさ』。それからこう付け加えた。『時にショーン。君は運命というものを信じるかね?』。意味が分からず『いいや』と俺が答えると、奴はこう言った。
『他の連中は運命は自分で切り開けるとか、この世の出来事は全て必然であるとか偉そうなことを言っているが、実は運命という物はしっかりと存在するんだよ。更に悪いことに、我々の運命はある存在によって掌握されているんだ』。傍から聞けばただの与太話だが、その時の奴の口調には一種異様な熱気が籠っていて、俺は頭ごなしに否定することができなかった。
『ある存在ってどういう奴らなんだ?』。俺が苦し紛れに質問すると、奴は声を顰めていった。『とても言葉では言い表せない、名伏しがたき者どもだ。奴らは子供が砂遊びをするように、俺たちの運命を好きなように組み立て、そして崩すんだ。だが奴らに善悪なんてものはない。奴らにとって俺たちの運命を操るのは、暇つぶし程度のものでしかないんだ』。それから少し間をおいて、奴が続けた。『お前はどうする?自分の人生が、全て誰かの手によって仕組まれたものだとしたら?自分で決めたと思っている新居も結婚相手も、実はどこかの誰かによって決定されているとしたら?』」
そこでショーンが言葉を区切り、ラジオのスイッチを入れた。コンセントも刺さってないラジオからは何も聞こえてこなかった。
「俺は話半分にそこまで聞いて、ふと疑問を持った。そして俺はその疑問を奴にぶつけることにした。『待てリチャード。お前は自分がさも全てを知っているかのような口ぶりで話しているが、お前はその知識をどこで手に入れたんだ?』とな。リチャードは手もとのラジオを叩いてこう言った。『これだよ、ショーン。俺は上京してから、家電製品の会社に勤めてたんだ。その時俺は客からのクレームの処理係として働いてたんだが、その時のクレーマーの一人からこれを回収したんだ。いや、回収って言うのはおかしいな。なにせ俺が電話をもらってその家に行ったら、その男は金は要らないからこれを受け取ってくれ、なんて言うんだ。その場で調べてみたが特に異常も無かった。でもそいつは頻りに持ち帰ってくれと言うから、仕方なく引き取ることにしたんだ』。俺はその男の人相を尋ねたんだが、リチャードも良く分からなかったらしい。帽子を目深にかぶっていて、顔を見せなかったらしいからな。あと特徴としては、やけに肩幅が広かったらしい。
リチャードは事のありさまを上司に伝え、また同時にこのラジオを一度自分で調べてみてもいいかと言ったらしい。本人はただの好奇心から言ったようだが、上司は快諾して、結局リチャードは自分の家にそれを持って帰って調べることにしたんだ。
『それから調べてみたんだが、ラジオ自体は問題無かったんだが、コンセントを差し込んでスイッチを入れてもうんともすんとも言わない。何がどうなってるのかわからなかったよ』。あの時呆れ果てたようにリチャードが言ったんだ」
この時フレディは、ショーンの語り口に熱がこもり始めてきているのをぼんやりとだが感じていた。目をぎらつかせてショーンが言った。
「『その時だ』。リチャードは低く叫ぶように俺に言った。『今まで何の反応も無かったラジオからいきなり音楽が流れ始めてきたんだ。驚いたことに、コンセントは刺さって無かった。その音楽は低くも高くも無く、熱くも冷たくも無く、じわじわと脳の中を侵食していくような不気味な響きがあった。そして実際に俺の脳は、その音楽によって激しく揺さぶられ、やがて脳髄を通して目の前に不思議な光景が現れてきたんだ』。リチャードは顰めていた声を段々と荒げながら言ったんだ」
ショーンの声のトーンが次第に上がっていく。フレディもその異様な雰囲気を前に相槌も打てず、固唾を呑んで聞くしかなかった。
「『その時見えた光景を、俺はうまく言い表すことができない。いや、ひょっとしたら何も見てはいないのかもしれない。いきなり大量の情報が頭の中に流れ込んで、その影響で視界に何らかの景色が映っただけかもしれない。だが、その時俺は、確かにこの世の道理を肌で知ったんだ』。こんな風に、リチャードは鬼気迫る表情で俺に言った。そしてさらにこう言ったんだ。
『俺の目の前には靄が出ていた。漆黒の背景に白く輝いていて、粘り気のある動きをしていた。そしてその靄の中で、微かに動く影が見えたんだ。そして俺は、その横にある物を見て危うく叫びそうになった。円形のガラスのような半透明の台の上に、人間の脳が丸ごと載っていたんだ!一個じゃない、何個も山盛りになってたんだ!』リチャードは話してる途中でそいつを思い出したようで、今にも発狂しそうだったよ。
『その影は決まった形を取らずに絶えず蠢いていたんだが、不意に人の腕に似た物がにゅうっと、その黒い塊から生えてきたんだ。そしてそいつは、いきなりその脳の一つに、針みたいに細い指を一斉に突っこんだんだ!その時俺は泣き叫びたくなると同時に悟ったんだ。奴らはああやって、人間の行動を左右しているに違いないってね。これがさっき言ったことの意味さ。俺たちの動きは奴らの手でコントロールされてるんだ』。
あんたは笑うかもしれないが、あの時の俺にはそんなことは出来なかった。あいつの地獄を覗いて来たような顔を見てたら、俺にまでその恐怖が移って来たんだよ。リチャードは全身汗だくでガタガタ震えてたが、話すことを止めなかった。『だがショーン、俺はこうも思ったんだ。奴のやっていることは、ひょっとしたら俺にも出来るんじゃないか、ってね。俺はあの影の正体を探るよりもそっちの方に興味を持ち、暫くして靄から解放された後も、仕事から帰ってはそのラジオをずっと調べるようになった。上司には直せるかもしれないからもう少し時間をくれと嘘をついた。お前の前だから言えるが、あそこの会社の連中はどいつもこいつも田舎出身の俺を下に見ていやがった。そいつらの人生を好きなようにいじれると思うと、俺は俄然やる気がわいて、ラジオの調査に没頭したんだ』。あいつは吐き捨てるように言ったよ」
そこでショーンが項垂れ、膝元のラジオをじっと見下ろしながら言った。
「そこまで来て、リチャードは突然声の調子を落とした。最初に会った時のように、死人みたいに青ざめた顔で言ったんだ。『だがなショーン、俺はあのラジオを調べているうちに、もう一つの真実も知ったんだ。俺はラジオを調べていくうちに、そいつの使い方を殆どマスターしたんだ。どの時間帯に、どの周波数に合わせればあの光景に意識を飛ばせるかを俺は殆ど把握できるようになった。最初に俺が見たのはほんの表層に過ぎなかったんだが、回数を重ねるごとに精度も増し、より深い領域にまで意識を飛ばすことも出来るようになった。そこで見た物についてはうまく言えないし思い出したくもない。しかし俺は俺の精神が本能的に拒絶する物の巣窟の中で、だが一歩も退かずに探索を続けたんだ。しかしある日、いつものように靄の深奥に意識を飛ばしていると、不意に違和感を感じた。それは最初はほんの小さなものだったんだが、まるで沖から来る津波のように大きさを増して、俺を飲み込むほどにまで高まっていったんだ。
その時俺は自分の状況に気がつき、己の無知におおいに後悔した。俺は奴の領域を観察しているつもりでいたが、俺もまた、奴に観察されていたのだ。どうやら俺は踏み越えてはいけない線を越えてしまったらしいが気付いた時には手遅れだった。周囲の雰囲気が変わって周りの全てが俺に殺意のまなざしを向けてきた。そして形の定まらない深紅の領域の奥から、何百と手をはやした黒い塊が俺目指して突進してきたんだ!俺は全方向からやってくる恐怖に我を忘れ、死に物狂いで逃げようとした。そして奴が俺と言う存在にぶつかる寸前、その深奥の世界から意識を離して現実の世界に帰ることができたんだ』。
そう一息に言い終えた後、ドアや窓を頻りに気にしながらリチャードが俺に言った。『だがなショーン、奴はまだ諦めてなかったんだ。あれから俺は、あの時向けられた殺気に似た物を何度も感じるようになったんだ。仕事をしてる時も家に帰った時も、俺が寝てる時にもだ。しかも俺が警戒している時にはなんの気配も見せないのに、俺が気を抜いた瞬間に体が八つ裂きにされるような感覚に襲われるんだ。だから俺は一時も気が抜けなくなって、夜も満足に眠れなくなった。もう限界だ。だから奴の気が変わるまで、俺を匿ってほしいんだ』。
それでリチャードの話は終わった。信じられないかもしれないが、俺はその時あいつの話を信じきっていた。あいつの巧みで迫真的な語り口もあるが、問題は別のところだ。多分錯覚なのかもしれないが、あいつと話している時に、粘りつくような視線とほんの僅かに身を刺すような殺気を感じたんだ。
結局俺はあいつの頼みを聞き入れ、天井裏で一日泊らせることにした。一度夜中に天井裏を覗いたんだが、誰かが隣にいるのですっかり安心しきったのか、リチャードはあの時言っていたことが嘘のようにぐっすり眠ってたよ。だが朝になって目をさましてみると、その…そこで寝ていたはずのリチャードがすっかり消えてたんだ。
どこを探してもあいつは見つからなかった。寝ている時に物音らしい音は一切しなかったし、ドアも窓も鍵をかけて閉め切ってあった。何かが入ってきた形跡も無かった。残ってたのはあいつが持ってきたラジオだけというわけさ」
そう言ってラジオのつまみをいじるショーンに、フレディが不思議そうに尋ねた。
「では、家の中や畑が荒れ放題なのは、その先ほどお話しした影の仕業ではないと?」
「まあ、そうだな。いや、半分はそれの仕業かもしれん」
首をかしげるフレディに、ショーンが言った。
「リチャードが消えてから、俺は必死にあいつを探した。警察にも知らせたし、村の人間にも聞いて回った。だがあいつは見つからなかった。その内リチャードは人知れず都会に戻ったんだろうという話に落ち着いてきたんだが、俺は納得できなかった。あいつに家の鍵を渡した覚えは無いからな。
だが決着がついたにも関わらず話を蒸し返す俺を周りの連中は疎ましく思って、俺を避け始めたんだ。俺の話を聞くたびに笑い物にする奴もいれば、露骨に嫌がるやつもいた。終いには俺と目すら合わせようとしない。俺は村の中で孤立したんだよ。
そして気付いたら、俺はこのラジオをいじっていた。こいつが危険な物だってことは俺が一番知っているっていうのに、リチャードの言っていた領域と繋がることを期待すらしていた。今も昔も、人間は何より孤独を一番恐れる生き物なのさ。畑仕事も家の掃除もかなぐり捨てて、一日中このラジオと格闘してた。村の奴らは日に日に汚くなる俺と俺の家を目の敵にしていたが、その頃には俺はもう他人のことなんか眼中になかった。ラジオが繋がりさえすればそれで良かったんだ」
「では、なぜ今になって私にそんな話を?」
「さあな、魔が差したのかもしれん。あんたが何も知らないよそ者だったのも理由に入るかもな。まあ俺としては、俺の話を真面目に聞いてくれただけでも非常にありがたい」
「いえいえこちらこそ、とても興味深い話を聞かせていただいて感謝しておりますよ。それともう一つ、話を聞いてる途中で気になったんですが――」
そこで言葉を切って、フレディがじっとショーンを見据える。ショーンもその視線に気づいて、ラジオをいじる手を止める。
「――繋がったんですか?」
ショーンがフレディの目を見る。その冷めきった眼の奥にある形容しがたい暗闇を垣間見て、フレディは獣の舌で背骨をなぞられたような、言いようもない気味悪さを感じた。
そんなフレディの反応に気付いたのか、ショーンがフレディから眼をそらし、再びラジオをいじり始めながら言った。
「最初は何がどうなったら動くのか皆目見当もつかなった。あいつの言うように特定の時間に特定の周波数に合わせれば繋がるらしいが、その法則すら俺には理解できなかった。だが何日も何日もこれをいじっている内に、俺にも段々とその詳細が分かるようになっていった」
つまみをいじっていたショーンの手の動きが止まる。その時フレディは閉じ切った部屋の中で、テーブルが小刻みに振動しているのを見た。壁に掛けられていた時計が床に落ちて、派手な音を立てた。
「そして今では、どの時間にどのチャンネルに合わせればいいのか、大体のことが分かるようになった」
自分の身体が椅子を通して振動している。床が壁が天井が、家全体が怯えるようにガタガタ震えていた。
「俺は向こう側に接触する度に、その深さと大きさにすっかり魅せられてしまった…ああそうか、あんたにこの話をした本当の理由が今わかったよ!俺はもうこっち側に未練はない。生きようとも思わない。あそこにこそ、黒い海の中で真白く輝く不定形の肉塊が蠢くあの巣窟にこそ、今の俺の居場所があるんだ!」
ショーンがそう叫んだ時、フレディは己の直感のままに反射的に椅子から飛びあがってドアに駆け込んだ。そして腐りかけたドアに肩からぶち当たって、倒れ込むように外に出た。
その時の衝撃が鍵となったのか、外から見ても解るほどに大きく揺さぶられていた家が、音を立てて崩落した。フレディは急いで立ち上がると、崩れ落ちる煉瓦と立ち上る埃から死に物狂いで逃げた。
そしてその時フレディは、自分の背後を努めて見ないようにした。瓦礫と煙の山の向こうから、この世のものではない何かが空間の壁を越えてこちらをじっと見つめているのではないかという恐怖に駆られたからだった。そして己の強すぎる想像力から生み出された、ある筈のない見えざる大きな手に体をなぞられる錯覚に襲われながらも、フレディは生き延びたい一心でひたすらに走り続けた。
フレディが死に物狂いで都市に帰った翌日、かつてショーンの家だった残骸に警察が調査に訪れた。しかしそこにあるのは瓦礫ばかりで、人間の死体はどこにも見つからなかったという。ただその中から、長方形をしたラジオが無傷のまま発見されただけであった。
その話を聞いた時、ショーンから聞いた話を記事としてまとめていたフレディはそのラジオがどうなるのか少し気になったが、少し考えてから深くこだわらないようにした。
世捨て人が心奪われた『向こう側』。脳の塔。狂った風景。影。海。ショーンが向かっていった向こう側の世界とはどのような場所なのか、実際に言って確かめてみたい。そんな未だ燻る己の好奇心に対して、あまり深入りしてはならないと自分の中の良心が強く訴えているからだった。
あのリチャード・コープのラジオは、人間の想像もつかないほどの宇宙の果てか、ひょっとしたら本当のあの世と繋がっているのかもしれない。そうぼんやりと考えながら自分の想像力を刺激するのが一番平和だ。そう結論付けて、フレディは自分の仕事に戻った。
その数日後、都市の警察署の押収物倉庫で一つの騒動が起きた。そこに保管しておいたはずの物品の一つが影も形もなくなっていたのだった。入り口の鍵はねじ切られる様にして壊され、ドアが半壊状態でこじ開けられていたが、警察署内の各所につけられた監視カメラには警官以外に何の人影も映されていなかった。
マスコミは警察の怠慢とばかりに各紙面でバッシングを始めたが、都市でその後二カ月にも及ぶ連続殺人事件が起きたことと、無くなったのが身元不明人の物一個だけだったこともあって、この話はたちまちなりを潜め、人々の口の端に上ることも無かった。
それがかつて名伏しがたき異界への扉を開いたリチャード・コープのラジオだと知る者は殆どいなかった。