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Last rewrite  作者: 蒼了一


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遊行僧[1]

 本州の中央に横たわる信濃は、まるで山々に抱え込まれた巨大な要塞のような国であった。東西南北、十ヶ国と境を接し、陸奥、出羽に次ぐ広さを誇るものの、その実態は険しい山岳に覆われ、耕地はわずかな盆地に点在するばかりである。


 石高四十万石という数字は、国土の広さに比してあまりにも心許ない。山は守りとなる一方で、富と軍勢を育てる土壌にはなり得なかった。


 戦国の世に入り、信濃守護、小笠原氏の権威が失墜すると、国中に散らばる豪族たちは一斉に自立へと舵を切った。しかし彼らが支配できたのは、それぞれが拠る小天地の内側だけである。山を越え、国を束ねる力を持つ者は現れず、信濃は大小の勢力が互いを窺う、割れた鏡のような土地となった。


 その均衡を破ったのが、隣国甲斐に興った武田信玄である。強大な軍事力と明確な主従秩序を前に、信濃の豪族たちは競うように膝を屈し、武田の傘下に身を投じた。生き延びるための選択であり、同時に、山国が初めて一つの力に統合された瞬間でもあった。


 だが、その支配も長くは続かない。天正十年(一五八二年)、武田家は織田信長によって滅ぼされ、信濃の支配権は織田家の手に渡る。ところが同年六月、本能寺の変が起こり、信長は横死する。新たな主を迎える間もなく、信濃は再び宙に浮いた。旗を掲げる者のいない土地は、獲物の匂いを放つ。


 そこへ踏み込んできたのが徳川家康であった。行き場を失った豪族たちは次々と家康に臣従を誓い、信濃は急速に徳川色に染まっていく。だが、小県の一角に拠る真田昌幸だけは違った。表向きは従いながらも、腹の内までは明け渡さない。家康の目にも、その沈黙は不穏な影として映っていた。


 天正十三年(一五八五年)、領地を巡る軋轢をきっかけに、昌幸はついに徳川の支配を振り切り、越後の上杉景勝を後ろ盾に独立を果たす。激怒した家康は大軍を差し向けるが、昌幸はわずかな兵でこれを迎え撃ち、見事に撃退した。


 その戦いは一躍天下の耳目を集め、「真田」の武名は大いに上がる。そして同年、昌幸は豊臣秀吉に臣従し、徳川との対立は一応の幕を下ろした──少なくとも、表向きには。


 再び両家が刃を交えたのは、慶長五年(一六〇〇年)である。上杉征伐に加わりながらも家康に従わず、上田城に籠る昌幸を討つため、家康は後継者、秀忠に三万八千の大軍を与えた。対する昌幸の兵は二千。数だけを見れば勝負にもならない。だが、上田城の土塁と堀は、そして何より城主の頭脳は、秀忠軍を容易には近づけさせなかった。


 翻弄され、疲弊し、体勢を立て直すため秀忠が小諸へ退いたその時、家康から上洛命令が届く。秀忠は歯噛みしながら上田攻略を断念し、東山道を西へ向かった。しかし道中、増水した川が行軍を阻み、軍の進みは鈍る。その遅れが致命傷となり、秀忠軍は関ヶ原本戦に間に合わなかった。


 東軍敗北、そして家康討ち死に──木曽の馬籠宿まで進軍してきた秀忠の元に、その報せが届いたのは、戦いの翌日である。耳を疑うような知らせに、陣中は凍りついた。緊急の軍議が開かれ、秀忠は父の仇を討つため、そのまま上洛を強行すると主張する。だが、榊原康政、本多正信ら重臣は口を揃えて諫めた。いくら三万八千を擁する大軍とは言え、兵は疲弊し、行く手には数倍もの敵が待ち構えている。今、上洛を目指すことは、滅びに向かって歩むに等しい。


 議論は三日間、平行線を辿った。次々と届く敗報が現実を突きつける中、秀忠はついに折れる。東山道を引き返し、江戸へ戻る決断であった。未完とはいえ、江戸城はすでに大坂城に匹敵する城郭を持ち、籠城にも耐えうる。本多正信は、そこで時間を稼ぎ、西軍の綻びを待ちつつ、有利な条件で和睦する構想を描いていた。だが、その三日の停滞が、致命的な隙となることを、彼らはまだ知らなかった。


 関ヶ原の結果を知った昌幸は、迷わなかった。二千の兵を率いて和田峠へ進み、伏兵を敷く。秀忠軍がこの道を通り、江戸へ帰る──それは疑う余地のない帰結だった。間者から届く報告により、敵の動きと陣容は手に取るように把握されている。


 九月二十七日、狭隘な和田峠を進む秀忠軍。その中枢が最も難所に差し掛かった瞬間を見計らい、山肌に潜んでいた兵が一斉に躍り出る。奇襲は完璧だった。徳川秀忠、榊原康政、本多正信らは成す術もなく捕縛され、東軍敗北で士気が下がりきっていた三万八千の軍勢は、ほとんど抵抗することなく崩れ去った。


 軍は四散し、捕らえられた将たちは大坂へ送られた。江戸討伐軍の編成を進めていた三成はこの知らせに歓喜し、真田昌幸の武勇と知略を惜しみなく称えた。


 その功により、真田氏は三万八千石から二十七万石へと、七倍以上の所領が与えられる。上田城こそ召し上げられたが、代わりに完成したばかりの信濃松本城が与えられ、昌幸は安房守から信濃守へと昇った。信濃有数の盆地である松本平で昌幸は今、城下町の整備に力を注いでいる。その胸中に去来するのは、勝利の余韻だけではない。信濃を束ね、富ますという、次なる野望の輪郭が、すでにそこにあった。

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