旅立[4]
賀津は叔父、又蔵の家に居候している。
石田家の正式な家臣となった又蔵は、今では保田信右衛門常典などという、いかにも堅苦しい名を名乗り、妻を迎えて佐和山城下に小ぶりながらも整った屋敷を構えていた。
出立の朝、庭先にはまだ霜が残り、踏みしめるたびに微かな音を立てる。
その庭で、賀津は自分の背丈ほどもある大荷物を背負い、帯を締め直していた。
「お賀津……おめえ、本当に大丈夫か?」
又蔵は腕を組み、眉間に皺を寄せる。
「内匠様を探しに行くのに、そんな大荷物が要るのか?」
「大丈夫だよ、これぐれえ」
賀津は肩越しに振り返り、軽く笑ってみせた。
「俺は、そんなにヤワじゃねえ」
その口調は強がりにも聞こえたが、瞳の奥には迷いよりも決意の色が濃かった。
「危ねえ目に遭ったらな、そんな荷物はほっぽり出して逃げるんだぞ」
「心配ねえよ。連れもいるしさ」
賀津は荷紐を叩きながら言った。
「タクミサマに会えたら、見せてえ物が山ほどあんだ」
又蔵は一瞬、言葉に詰まる。
やがて、探るような視線を向けて、低く問いかけた。
「……おめえ、本気で内匠様がおられると思ってんのか?」
「わかんねえよ」
賀津は即座に首を振った。だが、続く言葉には一切の揺らぎがなかった。
「でもな、タクミサマは死んでねえ。絶対にだ。きっとどこかで、俺を待ってる」
「まったく……おめえって奴は……」
呆れたように言いながらも、又蔵の声はどこか柔らかかった。
又蔵は知っている。
拓真が、あの戦場で“消え去る”瞬間を目撃したのは、他ならぬ自分だからだ。
だからこそ、拓真が生きている──少なくとも、討ち死にしていないことを知っている。
その事実を賀津に打ち明けようと思ったことは、一度や二度ではない。
だが、そのたびに脳裏に浮かぶのは、島左近の厳しい声音だった。
──この件は、誰にも口外するな。
左近が恐れたのは、「工藤内匠頭が石田家を去った」という認識が世に広まることだった。
そんな風説が流れれば、石田三成の威厳は大きく揺らぎ、諸大名の胸に眠る野心を無用に刺激しかねない。
天下における工藤内匠頭の名は、それほどまでに重く、危うい力を帯びていた。
だから又蔵は、今日に至るまで何も語っていない。
それでも──。
久しぶりに見る賀津の、生き生きとした表情に、又蔵は胸をなで下ろした。
拓真の死を聞かされたあの日から、賀津はまるで抜け殻のようだった。
年頃になり、縁談がいくつか舞い込んだこともある。
だが賀津はそれらに一切興味を示さず、黙々と仕事に没頭した。
火薬を調合している時だけが、余計な思考を忘れられる時間だった。
──探したところで、恐らく拓真は見つからないだろう。
又蔵は、そんな現実的な予感を胸の奥に抱いている。
それでも構わなかった。
この旅が、賀津の中で何かに区切りをつけ、先の人生を考えるきっかけになるのなら。
又蔵は、荷を背負って門を出ようとする賀津の背中に、静かに祈りを捧げた。
どうか、この娘が、再び自分の足で歩き出せますように……と。
*
「旦那様、賀津様。表にお客様がお見えでございます」
又蔵の妻が、控えめに障子を開けて告げた。その声は穏やかだったが、賀津の胸には小さな波紋が広がる。──迎えが来たのだ。
「迎えが来たから、もう行くよ。兄やん」
振り返ってそう言うと、賀津は名残を断ち切るように草履を履き、表玄関へと向かった。
冬の光が差し込む玄関先に、長身の武士が一人、背筋を伸ばして立っている。見覚えのある体躯、落ち着いた佇まい。
「あれっ……藤四郎さんじゃねえか?」
「久しぶりにござる、賀津殿」
懐かしい声に、賀津の顔がぱっと明るくなる。
「なんだ、連れってのは藤四郎さんのことか」
龍仙寺にいた頃は、顔を合わせぬ日などなかった二人だ。だが関ヶ原の戦い以降、互いに忙殺され、自然と疎遠になっていた。その再会が、まさかこの旅立ちの場になるとは思ってもみなかった。
「賀津殿は心許なく思われるやもしれぬが……」
藤四郎は一歩前に出て、静かに言った。
「御家老様より、賀津殿をお守りするよう仰せつかっておる」
「心許ないなんて、とんでもねえ」
賀津は即座に首を振る。
「連れが雑賀孫市様なんて、こんな安心なことねえよ」
藤四郎は、雷振筒を共に開発した仲間。
拓真を探す旅に、この男以上の人選はない。
勘兵衛の計らいに感謝しつつ、賀津は旧友との再会に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
「それにしても……随分と大荷物でござるな」
藤四郎は、賀津が背負った荷を見上げた。二人が並ぶと、その高さは藤四郎の頭を優に越える。
「ランビキとかフラスコとかさ。嵩はあるけど、見た目ほど重くねえんだ」
「人捜しに、そのような物が要るとは思えぬが」
「タクミサマに会った時に、色々見せてえんだよ」
賀津は少し照れたように笑う。
「それに、旅先で銭が要るって時も、これがありゃ稼げるしな」
拓真に会えると疑っていない無邪気さと、現実を見据えた強かさ。
その相反するものを自然に併せ持つ賀津に、藤四郎は思わず感心の息を漏らした。
「なれど……足取りが少々おぼつかぬな」
藤四郎は荷を指さす。
「一度下ろされよ。この大籠は拙者が背負う」
「そう言ってもらえると助かる」
賀津は素直に頷いた。
「割れ物も入ってるから、ちょいと心配だったんだ」
そう言って上がり框に腰を下ろし、肩紐を解く。荷を受け取った藤四郎は、難なくそれを背負い上げた。
「賀津殿、これでよろしいか?」
二つある大籠のうち一つを担いだ藤四郎が、振り返って尋ねる。
「桶桶。それじゃ行こう!」
「……桶?」
「大丈夫とか、これで良いって時は“桶”って言うんだよ」
賀津は屈託なく言った。
「タクミサマがそう言ってた」
「誠でござるか?」
「そうそう。あと“盥”ってのも言ってたな」
「盥……?」
「何か失敗してもさ、“もう一度盥してみよう”って」
「桶だの盥だの……内匠様は、なぜ水入れの名をそのように使うのでござるか」
「さあなあ」
賀津は肩をすくめる。
「タクミサマは変わり者だから。会えたら、直接聞いてみるよ」
そう言って立ち上がる賀津の顔には、疑いの影は一切なかった。
この旅の最初の目的地は岐阜だ。
そこで数日滞在し、噂や人の動きを探ったうえで、飛騨へ向かう算段になっている。
又蔵の屋敷を後にした賀津と藤四郎は、東山道を岐阜へと歩き出した。
冬枯れの街道は静かで、二人の足音だけが規則正しく響く。
──その少し後ろを、一定の間合いを保ちながら歩く男がいることに、二人はまだ気付いていなかった。
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