旅立[3]
「……内匠殿が、生きておると言うのか?」
賀津の話を聞き終えると、垣屋勘兵衛は深く腕を組み、低く唸るように呟いた。
障子越しに差し込む冬の日差しは淡く、部屋の隅にはまだ冷えが残っている。その静けさが、かえって賀津の息遣いを際立たせていた。
「そりゃあ……わからんでございます。でも殿様、そんな噂が立っとるなら、放ってはおけねえでございます」
必死に抑えてはいるものの、声の端々に焦りと願いが滲む。
「内匠殿の葬儀には、お主もおったであろう」
「棺桶には石しか入っとらんかったやないですか!」
賀津は思わず声を荒らげ、はっとして慌てて言葉を継いだ。
「……タクミサマが本当に討ち死にされたんなら、形見ひとつ残らんなんて、どう考えても合点がいかねえでございます。兄やんも、何一つ話してくれねえし……」
拓真の最期を見届けたのは、賀津が「兄やん」と慕う叔父、又蔵だった。
だが又蔵は、その一部始終を島左近と勘兵衛にのみ報告し、賀津には何も語ろうとしなかった。その沈黙こそが、賀津の胸に刺さり続けている。
「諦めがつかぬのは分かるがな」
勘兵衛は、今にも泣き出しそうな賀津の顔を見て、諭すように言った。
「内匠殿がご無事であれば、必ずや龍仙寺へ戻られるはずじゃ」
その言葉は、慰めであると同時に、現実を突きつける刃でもあった。
──勘兵衛自身は、拓真が生きていると確信している。
だが同時に、二度と会えぬとも思っていた。
島左近は知っている。拓真が四百年後の日本から来た存在であることを。
だが、勘兵衛と又蔵は知らない。だからこそ二人は、拓真の正体を「天より遣わされた神人」と解釈した。
地上での役割を終え、天へと帰った存在──再び姿を現すことは、あるまい、と。
「……もしかしたら、帰れねえ理由があるのかもしれんでございます」
賀津の声は震えていた。
「何の根も葉もねえ噂なら、飛騨におるなんて話が立つはずがねえでございます。どう考えても……腑に落ちんでございます」
勘兵衛は腕を組んだまま、しばし沈黙した。
噂を初めて耳にした瞬間から、胸の奥のざわめきが止まらなかった。
生きていると確信しているからこそ、この話は「あり得る」と思えてしまう。
──叶うならば、もう一度会いたい。
そして、ただ一言でいい。心からの謝意を伝えたい。
拓真には、言葉では到底言い尽くせぬ恩義があった。
かつての自分であれば、噂を聞いたその足で飛騨へ向かっただろう。
だが今は違う。末席とはいえ石田家の家老という立場がある。噂話一つで職務を放り出すわけにはいかなかった。
何より勘兵衛は、左近と共に「工藤内匠頭は討ち死にした」という公式見解を示した。それを自ら覆すことは出来ない。
その焦燥の最中に現れたのが、賀津だった。
賀津ならば、拓真を見間違えることはない。
もし何らかの事情で飛騨に拓真がいるのなら──彼女ならば、連れ帰ることもできるだろう。
何しろ、賀津は拓真の愛弟子なのだから。
本音では、今すぐにでも「行け」と言いたい。
だが勘兵衛は、あえて顔をしかめ、苦渋の決断を下すかのように口を開いた。
「内匠殿がおられるかどうかは別として……その噂、確かに捨て置くわけにはいかぬな」
「殿様……」
「もし、どこぞの馬の骨が内匠殿を騙っておるのだとしたら、それは龍仙寺衆の沽券に関わる」
「はいっ! ……でございます!」
「お賀津よ。言い分はよう分かった。飛騨へ行くがよい。要る物は、儂が用意しよう」
「あ……ありがとうごぜえやすでございます、殿様!」
賀津は、にわか仕込みの敬語など完全に崩れ落ちたまま、全身で喜びを表した。
「必ずや、タクミサマを見つけて参りますでございます!」
「──ただし」
勘兵衛は一拍置き、声を落とした。
「お主も一応は女じゃ。独りで飛騨へ行かせるわけにはいかぬ」
賀津は一瞬、言葉を失い、やがて慎重に問い返す。
「……それは、誰ぞを連れて行け、ということでございますか?」
「うむ。当てはある」
勘兵衛は静かに頷いた。
「明後日、その者を迎えに遣る。お主はそれまでに支度を調えておけ」
賀津は深く頭を下げながら、胸の奥で固く誓った。
たとえそれが、奇跡を追う旅であろうとも──。
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