旅立[2]
慶長八年(一六〇三年)二月。
冬の名残を引きずる冷気が、清蓮寺の境内に沈殿していた。山際から吹き下ろす風は乾ききっており、瓦屋根をかすめるたび、低い音を立てて通り過ぎていく。
火薬師の賀津は、その清蓮寺に足を踏み入れた。
齢は二十一。若さの中に、火薬の調合と管理を一身に担う者特有の、張り詰めた緊張と自負が同居している。
保護者である叔父、又蔵が石田家の正式な家臣となったことで、賀津もまた形式の上では武家の子女となった。だが、賀津自身はその立場に寄りかかる気などさらさらない。
身を立てているのは家柄ではなく腕──それも、命を預かる火薬の腕一本だ。
そのため装いも、武家の娘らしい小袖ではなく、羽織袴。動きやすく、汚れを厭わぬ実用一辺倒の姿で通している。
だが、それを咎める者は石田家の家中には一人もいなかった。
龍仙寺衆の火薬一切を取り仕切る賀津の存在は、口出しなどできる次元をとうに超えていたからだ。
その賀津の耳に、清蓮寺の一角で交わされる低い声が届く。
「…………その話、本当なの?」
囲炉裏の炭の爆ぜる音に紛れて、低く押し殺した佐名の声が落ちた。
「わからねえ。ただ、角倉の玄さんがそう言ってた。岐阜じゃ今、その噂で持ちきりだって」
賀津は視線を逸らし、出されたお茶を少し啜った。
「でも……もし本当だとしたら、どうして旦那様は……」
言葉はそこで途切れた。不安が胸の奥で形を持ち始め、続きを口にする勇気を奪う。
「だから行ってくる」
賀津は即座に言った。迷いを挟む余地はない。
「ウソかホントか確かめりゃいいんだ。俺なら、タクミサマを見間違えることはねえから」
「飛騨なんて……そんな山奥に?」
驚きと恐れがないまぜになった声が返る。
「お賀津ちゃん、本気なの?」
賀津は小さく息を吸い込み、闇の向こうを見据えた。その横顔には、決意だけが刻まれている。
「本気だ。もし見つけたら──タクミサマの首に縄をかけてでも、佐名サマの前に連れてくるから」
最後の言葉に、賀津はぎゅっと唇を噛みしめた。
胸の奥で、消えかけていた火が、音もなく息を吹き返す。
関ヶ原の戦いから三年。
世間には、いつの間にか奇妙な噂が流れ始めていた。
──工藤内匠頭が、飛騨にいる。
雷振筒が世に与えた衝撃は、凄まじいものだった。
諸大名はその圧倒的な威力に恐怖し、同時にそれを操る龍仙寺衆を統べる石田三成を畏れた。
そして、雷のごとき一撃を生み出した男──工藤内匠頭広真の名は、瞬く間に天下へと響き渡った。
だが、その工藤内匠頭は、関ヶ原の戦いで討ち死にしたとされている。
しかし、肝心の亡骸を見た者はいない。
戦が終わると、龍仙寺衆の者たちは姿を消した拓真を総出で探し回った。
草むらも、沢も、戦場の泥の中も──だが、見つかったのは折れた武具ばかりで、亡骸はおろか、遺髪の一本すら見当たらなかった。
やがて、島左近と垣屋勘兵衛の口から、「工藤内匠頭は討ち死にした」という言葉が告げられる。
それは、誰よりも事実を知るはずの二人の断言だった。
龍仙寺衆は、疑念を胸の奥に押し込めながらも、その言葉を受け入れざるを得なかった。
十一月、葬儀は盛大に執り行われた。
香煙が立ち上る中、拓真の名は過去のものとして弔われ、彼の消息については、そこで決着した──はずだった。
だが、賀津は受け入れられなかった。
拓真の死を知らされた瞬間、賀津はその場で崩れ落ち、昏倒せんばかりに泣き叫んだ。
嗚咽の合間に吐き出された言葉は、刃のように鋭く、勘兵衛をはじめとする龍仙寺衆の面々を容赦なく刺した。
──見つけもしないで、死んだなんて決めつけるな。
怒りと悲しみと、どうしようもない悔恨が、涙となって溢れ続けた。
佐名は、その様子を沈痛な面持ちで見つめていた。
人前で涙を見せることはなかったが、その静けさは、かえって痛々しかった。
そして、その日のうちに──佐名は髪を落とした。
それは嘆きでも、祈りでもなく、戻らぬ者を弔い続ける覚悟を、無言のまま示す行為だった。
賀津は、その背を見つめながら、胸の奥で誓う。
噂が、ただの戯言であろうと構わない。
もし、万に一つでも生きているのなら──。
飛騨の山奥であろうと、地の果てであろうと、必ず見つけ出す。
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