表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Last rewrite  作者: 蒼了一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

54/55

龍影顕現[2]

「あっ、慶サン、ちょっと……どこ触ってんだい……」


 襖の前で仁王立ちしていたお品が、ふいに声を甘く崩した。夕餉の残り香と酒の匂いが混じる座敷に、艶を帯びた吐息が落ちる。


「久しぶりだからな。寂しかろうと思ってよ。今夜はゆっくり可愛がってやるぞ」


「ん……もぅ」


 背後から手を回しているのは、白髪白髭の老人だった。だがその腕は枯れておらず、節くれだった指先には奇妙な力が宿っている。老いの皮を被りながら、獣のような精気が滲んでいた。


 やがて老人はお品を離し、何事もなかったように座敷へ踏み込む。


「待たせたな。儂は無苦庵という隠居爺よ。茂吉から、内匠頭を探る連中がいると聞いてな」


 その声が落ちた瞬間、座の空気がわずかに締まった。


 修羅場を幾度も潜った者には、言葉より先に匂いで分かるものがある。又兵衛も六左も、盃を持つ手を止めぬまま、目だけで相手を測った。──只者ではない。


「ご足労痛み入る。拙者は真田源次郎」


「真田? 安房の……いや、今は信濃守か。その惣領と同じ名だな」


「その子にございます」


 慶次郎の眉がわずかに上がる。呆れとも感心ともつかぬ色が浮かんだ。


「大名の倅が、こんな場末まで何をしに来た」


「兄、伊豆守の後赦免を。工藤内匠頭様にお取り次ぎ願いたく」


 源次郎の声は静かだったが、胸の奥では焦りが燻っている。ここで話がこじれれば、すべてが潰える。


 慶次郎はふむ、と鼻を鳴らし、又兵衛と六左へ視線を移した。


「俺は又兵衛。こっちは六左。ただの見物さ」


「飛騨まで来て見物とは酔狂だな」


「内匠頭をいきなり斬ったりはせん。安心せい」


 軽口を叩きながらも、二人の目は笑っていない。慶次郎はその気配を愉しむように、口の端を吊り上げた。強い武士を見ると血が騒ぐ──そんな男の顔だった。


「そこの御坊は?」


「玄舜。ただの遊行僧にござる」


 気配を沈め、声も抑える。だが慶次郎の視線は、布で半ば覆われたその顔に吸い寄せられた。値踏みするというより、記憶を探る目だ。


「この和尚、元龍仙寺衆で、内匠頭様をご存じでござる」


 源次郎の一言に、座がわずかにざわめいた。又兵衛と六左は、先ほどの大男だの鬼だのという冗談を思い出し、気まずく咳払いをする。


「昔の話だ。今ただ若に頼まれ、人探しを手伝っている」


「で、どんな男だ。やはり八尺の大男か?」


 六左の無邪気な問いに、玄舜は一瞬だけ言葉を選んだ。


「ごく普通の男さ。どこにでも居るような」


「それじゃあ、探すのは骨だな」


「八尺もあれば名より先に目立つわ」


 笑いが起こる。源次郎もつられて口元を緩めた。重苦しかった空気が、ひとまず和らぐ。


 だが慶次郎だけは笑わない。


(この男……どこかで……)


 布に隠れた貌。その奥に潜む気配。花のような聚楽第で、一度すれ違った影のような──掴めぬ記憶が、胸の奥をちくりと刺していた。


 *


 慶次郎が白雲城で内ヶ島の助太刀を引き受けたあの日から、瓢箪屋はただの酒店ではなくなった。酒の匂いに混じって、野心と不満と、行き場を失った浪人たちの焦りが渦を巻く場所となった。


 雪解けとともに、噂に釣られた男たちがぽつぽつと集まった。腕に覚えはあるのだろう。だが慶次郎の眼には、誰も映らなかった。


 欲しいのは兵ではない。兵を束ねる将だ。


 一軍を率い、敗色の濃い戦場でなお退かぬ背を見せられる男。そういう将がいなければ、内ヶ島の家中がいくら固まろうと、小早川の精鋭に踏み潰されるのは目に見えている。あの家は、主君の器量はともかく、家中は歴戦の猛者揃いだ。


 茂吉から「妙な五人連れがいる」と聞いたとき、正直なところ期待はしていなかった。五人もつるむ時点で、将の匂いは薄い。真に将器ある者は、群れぬものだ。


 ──だが。


 襖を開けた瞬間、その見立ては音もなく崩れ去った。


 座敷に満ちる空気が違う。酒の匂いの奥に、鉄の匂いがする。


 又兵衛と六左。


 盃を持つ姿は崩しているが、背骨は一本の槍のように通っている。視線は柔らかくとも、いざとなれば人を斬る目だ。あれは紛れもなく将器。それも、場を踏んだ本物の漢。顔は知らぬが、どこかで旗を預かったことのある男たちに違いない。


 源次郎もまた、将の資質を備えている。若いが、腹の底に覚悟がある。だが──真田の惣領を戦渦に引きずり込むわけにはいかぬ。佐助も含め、この二人は最初から勘定に入れていない。


 残るは、玄舜坊と名乗る僧。


 源次郎は「元龍仙寺衆」と言った。


 だが慶次郎の勘が、即座にそれを否と告げた。


 あの沈み方。あの視線。


 己を薄めているが、芯が消えていない。


 記憶の底で、顔と気配が結びつく。戦場の砂塵、翻る旗、片目を射抜くような光──照合はすでに終わっていた。


(大崎少将……伊達政宗)


 間違いない。


 陸奥の独眼竜が、僧形で目の前に座している。


 慶次郎は盃を傾けながら、顔色ひとつ変えない。だが胸の奥では、久しく味わわなかった昂ぶりが脈打っていた。


 宵の口、龍に遭うとは。


 しかも、こちらを試すように静かに息を潜めている龍だ。

読んでくださり、本当にありがとうございます!


この作品を「続きが気になる」と思っていただけたら、

ぜひブックマークとポイント評価をお願いしますm(_ _)m


応援が増えるほどヤル気が爆上がりします……!


感想も一言でもくれたら即返信+X(旧Twitter)で感謝ポストします!


次回もよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ