美女峠[3]
「おー、よかったよかった。間に合うた」
緊迫した空気を裂くように、間の抜けた声が尾根道に響いた。
振り向けば、峠の向こうから二人の男が駆けてくる。旅装束ではあるが、布は擦り切れ、泥と血の染みが幾重にも重なっている。髪は伸び放題、髭は絡まり、顔は日に焼け煤け、まるで戦場を渡り歩いた亡霊のようだ。近づくにつれ、鼻を刺す腐臭が漂う。魚を腐らせたような、生乾きの血の匂いを混ぜた臭気。
尋常ではない。
「何だキサマら! 乞食が首を突っ込むな!」
山賊の頭領が怒鳴る。だが二人は気にも留めない。
「なんだ、ただの追い剥ぎか」
「もう少し骨のある相手かと思うたがな」
落胆すら滲ませるその口振りに、場の空気がわずかに歪む。
(強い)
源次郎の胸がざわりと鳴る。あの立ち姿。無駄のない重心。泥にまみれてなお、隠しきれぬ殺気。
「なあ坊さんよ、俺達を買ってくれねえか? 一人一貫、二貫で片付けてやる」
一貫は現在の価値で十万から十五万円程度。二十を超える山賊を相手にするには、あまりに安い値。
玄舜坊が一瞬眉をひそめるより早く、源次郎は言い放った。
「二人で十貫出そう。加勢してくれ」
自分でも驚くほどの即断だった。だが迷いはなかった。あの眼は、本物だ。
「おっ、聞いたか兄ぃ! 十貫だとよ!」
「よし、それでは一働きするか」
兄ぃと呼ばれた男──又兵衛が荷を投げ捨てる。手にした槍を、ぶん、と振り抜く。その一閃で空気が裂け、風が唸った。
「儂が露払いをする。六左は大将首を取れ」
「承知!」
次の瞬間、地を蹴る音が重なった。
六左は一直線に頭領へ。迷いのない突進。道を塞ぐ山賊が槍を構えるが、又兵衛の穂先が横薙ぎに唸る。
骨が砕ける音。
胴丸ごと人間が宙を舞う。
槍は止まらぬ。突き、払う。石畳に血飛沫が散る。呻き声が重なる。
乱戦。
源次郎もまた踏み込んだ。槍を突き込み、引き抜きざまに足払い。敵の喉笛へ穂先が吸い込まれる。温い血潮が腕を濡らす。
(守る!)
背後に茂吉の荒い息。馬の嘶き。
佐助は低く滑るように間合いを詰め、剣を走らせる。刃は音もなく首筋を裂き、男が膝から崩れ落ちる。
玄舜坊は錫杖の穂先で喉を貫き、返す動きで腹を裂いた。経文の代わりに、肉の裂ける音が峠に響く。
一方──。
六左は、もう頭領の目前にいた。
「て、てめぇーー!!」
振り上げた刀が振り下ろされる前に、六左の刀が閃く。
喉元へ一突き。
ぐぐ、と濁った音。刃が背を抜ける。
そのまま蹴り飛ばし、刀を引き抜く。血が弧を描いた。
又兵衛は三人を同時に相手取っていた。槍の石突きで膝を砕き、柄で顎を打ち砕き、返す穂先で腹を抉る。動きは豪快だが、隙がない。踏み込みは重く、だが速い。
四倍以上の兵力差。
だが崩れたのは山賊の方だった。
死体が転がる。血が道を染める。逃げ腰になる者が出始める。
「だ、駄目だ! 化け物だ!」
恐怖が伝播する。
そして──。
「一丁上がりぃ!!」
六左が頭領の首を掴み、高々と掲げた。断面から血が滴る。
その光景に、残党は総崩れとなった。蜘蛛の子を散らすように、山へ逃げ込む。
静寂が戻る。
荒い呼吸と、血の匂いだけが残った。
「御加勢かたじけない! 俺は真田源次郎!」
胸が高鳴っている。久方ぶりの、命を賭した戦い。血は熱く、身体は震える。
「なんの、十貫分の働きをしたまで」
六左は平然と血刀を拭う。又兵衛は槍を振って血を払い落とす。
源次郎は馬の背の袋から、紐に通した一文銭千枚を取り出し、又兵衛へ差し出した。
「こいつぁありがたい。兄ぃ、これで腹一杯食えるな」
「もうすぐ高山だ。まずは垢を落とさねば」
無邪気に笑う二人。だがその眼の奥には、戦場を潜り抜けた者だけが持つ冷えた光がある。
(欲しい)
源次郎の胸に、別の熱が芽生える。大名の子として産まれた宿命か、強者を求めるのは本能に近い衝動だ。
(この二人が味方であれば──)
「共に高山へ参らぬか。宴を設け、労いたい」
誘いは半ば本気、半ば打算。
「それは……」
又兵衛は遠慮しかけた。
「行こうぜ兄ぃ!」
しかし、六左が即断する。
「それでは決まりだな。和尚、佐助、お二人も共に高山へ行ってくださるそうだ」
佐助は崖下へ死体を蹴り落としながら呆れ顔。玄舜坊は経を唱えつつ、ちらりと二人を見る。
「構わぬが若、その二人は少し離れて付いてきてもらいたい」
「なぜじゃ和尚?」
「臭うてたまらん」
一瞬の沈黙ののち、峠に笑いが弾けた。
血と腐臭と笑い声。
美女峠の風が、それらをまとめて吹き流していった。
読んでくださり、本当にありがとうございます!
この作品を「続きが気になる」と思っていただけたら、
ぜひブックマークとポイント評価をお願いしますm(_ _)m
応援が増えるほどヤル気が爆上がりします……!
感想も一言でもくれたら即返信+X(旧Twitter)で感謝ポストします!
次回もよろしくお願いします!




