大黒天[4]
清蓮寺は彦根市郊外、佐和山の稜線を間近に望む静かな場所にあった。観光地の喧騒から外れ、周囲には田畑と雑木林が広がる。かつては尼寺として栄えたが、今は無住となり、隣寺である仙寿院の住職が管理を担っている。
社務所に併設された広間には、古い木箱や巻子、掛け軸が所狭しと並べられていた。畳に座るだけで、長い年月が染み込んだ紙と木の匂いが鼻をくすぐる。
「これ、結構スゴいお宝ですね~」
拓真は思わず声を上げた。半ば冗談めかした調子だったが、目は真剣そのものだった。指先でそっと紙の端を押さえ、文字の流れを追っている。
「やっぱりそうですか」
背後から、日菜の父──垣屋誠司が身を乗り出してくる。拓真の肩越しに書面を覗き込み、その反応を確かめるように眉を上げた。
「これは元綱直筆の手紙ですよ。内容は……息子の婚礼についてですね。引出物か何かの相談ごとが書いてあります」
「へえ……じゃあ新発見の史料なんですか」
「そうですね。龍仙寺衆とは直接関係ありませんが、元綱本人の書状ですから、史料価値は高いと思います。一度、資料館の村上さんに見てもらった方がいいかもしれませんね」
拓真の言葉に、誠司は満足そうに頷き、後ろに控えていた住職へ振り返った。
「いいですか?」
「どうぞどうぞ」
住職は屈託なく笑った。
「元は垣屋さんのご先祖様のお手紙ですから、ご自由に。ああ、そう言えば似たような手紙が本寺の書庫にもあったはずです。ついでに探してきますね」
そう言い残し、住職はゆっくりと部屋を出ていった。
「それにしても……」
拓真は広間をぐるりと見渡し、小さく息をついた。
「これだけの史料を一日で見るのは、正直きついですね」
「先生、今日はウチに泊まってってくださいよ」
誠司が即座に言う。
「それで明日も続きが見られますから。日菜も、それでいいよな?」
「もー、お父さんはいっつも強引なんだから」
日菜は呆れたように頬を膨らませた。
「どうせ、先生と飲みたいだけでしょ」
「そう言うなって……たまのことなんだからいいじゃないか」
「大丈夫ですよ」
拓真は苦笑しながら言った。
「今日はホテルを取るつもりでしたし、そう言っていただけるならお世話になります」
「よし、じゃあ決まりだな」
誠司は立ち上がり、腕時計をちらりと見た。
「そうとなれば……ちょっと行ってくるか」
「え? お父さん、どこ行くの?」
「さっき母さんから連絡があってな。ばあちゃんの病院に迎えに来てほしいって」
「なんで? バスあるでしょ」
「お見舞いでもらったフルーツが重くて大変なんだとさ。ついでに買い物もしたいんだって。二時間くらいで戻るよ」
そう言って、誠司は足早に病院へ向かった。
残されたのは拓真と日菜だけだった。広間の静けさが、先ほどよりも一段深くなった気がする。
「じゃあ……先に垣屋家関係の品だけピックアップしようか」
「はい。じゃあ、私はこっち側から見ますね」
日菜は端に積まれた木箱に手を伸ばした。古いが、丁寧に扱われてきたことが一目で分かる。
「あれ……?」
「どうした?」
「これ……蓮抄尼の持ち物じゃないですかね。この字、確か……」
蓮抄尼。清蓮寺開山に関わったとされる尼僧。およそ四百年前の人物で、高位の武家の出とも言われるが、その素性は謎に包まれている。
「ちょっと見せて」
拓真は木箱を受け取り、慎重に紐を解いた。中から現れたのは、蒔絵を施した漆塗りの小箱だった。
「何の箱でしょう……手鏡にしては小さすぎますよね」
「……開けてみようか」
拓真は一拍置き、ゆっくりと蓋を開けた。中に敷かれた袱紗を広げた瞬間、言葉を失った。
「先生……これ……」
日菜も息を呑み、目を見開いている。
拓真は何も言わず、自分の鞄に手を伸ばした。そして、ある物を取り出し、そっと小箱の横に置く。
「……どういうことだ……」
箱の中に収められていたのは、佐名が手彫りした大黒天像だった。年月による変色はあるものの、形も大きさも──今、拓真が並べた像と完全に一致している。
「何なんですか、先生……」
日菜の声が震える。
「どうして、先生の仏像と……同じ物が……」
「……分からない……」
拓真は低く呟いた。
「俺にも、全然分からない……」
二体の像を手に取り、角度を変え、削り口を確かめる。木目の走り方、鑿の入り方、そのすべてが一致している。
同じ人物が、同じ意匠の像を彫ることはある。だが、これはその域を超えていた。たとえ一流の仏師でも、ここまで寸分違わぬものを二度作ることは不可能だ。
(どういうことだ……佐名さんに、何かあったのか……?)
胸の奥に、冷たいものが這い上がってくる。理由の分からない不安。正体の見えない恐怖。
「……分からないけど」
拓真は像をそっと箱に戻し、日菜を見た。
「これは、蓮抄尼の遺品であることは間違いないはずだ。だから……これについては、俺がちゃんと調べる」
そして、声を落とす。
「何か分かるまで、このことは内緒にしておいてくれないか」
真剣そのものの表情に、日菜は一瞬言葉を失い、それから小さく頷いた。
「……はい」
広間には、再び静寂が戻った。しかしその沈黙は、もはや穏やかなものではなかった。
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