毒蛇[2]
「典膳様。この荷、いかが致しましょう」
慶長五年九月十五日。
夜と朝の境目、空がわずかに白み始めた払暁の刻──。
関ヶ原の出入り口となる山中村に布陣していた小早川家の後備、その小荷駄方を預かる栢谷典膳のもとへ、ひときわ異様な報せが持ち込まれた。
積まれていたのは変哲もない木箱。
しかし中身は兵糧でも、矢玉でもない。帳面にも載らぬ、正体不明の荷であった。
「……この箱は、何じゃ?」
典膳が問いかけると、足軽はおずおずと一つの箱を開けてみせた。
「ひとつ改めましたところ……中身は、どうやら鉄砲のようでございますが……」
差し出された一本を手に取り、典膳は思わず眉をひそめた。
確かに、形だけ見れば鉄砲に近い。
だが、火皿も導火も見当たらず、銃身は異様なほど滑らかで、製品としての完成度が従来の火縄銃とは数段違う。
「……鉄砲、ではあるのだろうが」
指でなぞった感触が、妙に冷たく、硬い。
「造りが、まるで違う。……一体、どうやって使うのだ」
脇には、木箱いっぱいに詰め込まれた弾丸がある。
小指ほどの太さと長さの筒で、先端が尖っている。金属製であることはわかるが、神社の鈴のように黄金色に輝いている。
典膳も、周囲の足軽達も、それが何に使われるのか見当がつかなかった。
「ともかく……ここに置いておくわけにはいかぬな」
典膳は周囲を見回す。
山中村は道も狭く、家屋が密集している。ひとたび戦場となれば、それらは敵味方を問わず動きを阻む障害となる。
「兵糧でも、弓槍でもない。かような物を、前線へ送るわけにもいかん……」
大谷家が兵站拠点として使っていたこの家屋も、すでに焼き払うよう命が出ていた。
中にあった物資は、大谷家の将兵がほぼすべて引き上げていたが──この荷だけは、置き去りにされている。
預かり物。
用途不明。
そして、妙に数が多い。
胸の奥に、説明のつかぬ違和感が澱のように溜まる。
「……松尾山城の麓に、寺があったな」
典膳はふと思い出したように言った。
「この荷は、そこへ運べ。本堂の床下なら、人目にもつかず、十分に収まるだろう」
「はっ!」
命を受けた足軽は、余計な詮索をせず、すぐさま動いた。
輜重隊が編成され、木箱は一つずつ馬の背へと積まれていく。
朝靄の中、無言で進むその列を見送りながら、典膳は胸中で呟いた。
(……厄介なものを預かった気がするな)
だがその“厄介”が、いずれ典膳の運命を大きく変えることになるとは、この時、一瞬も頭をよぎらなかった。
*
典膳が、あの荷の正体を悟ったのは、それから数刻後のことだった。
鬨の声が上がった直後、小早川秀秋の本陣で異変が起きた。
ざわめきが一気に怒号へと変わり、次の瞬間、全軍が何かに憑かれたかのように動き出す。
号令。
前進。
そして──突撃。
小早川軍は、狂ったように徳川方へと襲いかかった。
小荷駄方である典膳は、考える暇もなく一隊をまとめ、前線へ弾薬と兵糧を送り続けた。
馬は泡を吹き、足軽は息を切らし、担いだ荷は置いた端から消えていく。
(……なんだ、この消え方は)
全軍の動きが、常軌を逸している。
戦というより、巨大な渦に放り込まれたかのようだ。
典膳もまた、必死だった。
叫び、叱咤し、時には自ら荷を担ぎ、前線を支える歯車として走り続ける。
──その最中。
隣の戦線で、典膳は目を疑う光景を目撃した。
黒煙。
閃光。
そして、耳を裂く轟音。
次の瞬間、黒田家の一隊が、まるで刈られるように崩れ落ちた。
続いて加藤家の兵も、隊列を保つ間もなく屍へと変わっていく。
押し返しているのは、ほんの一握りの兵──龍仙寺衆。
数ではない。
技でもない。
彼らの手にある“それ”が、すべてを決定づけていた。
典膳の視線は、自然とそこに吸い寄せられた。
兵の腕に収まる、先ほど見たばかりの異様な鉄の筒。
火も煙も一瞬で呑み込み、雷鳴のごとき音と共に人を粉砕する兵器。
「……なんと……」
典膳は、知らず喉を鳴らしていた。
「……あれは、やはり鉄砲であったか……」
腹の底が、震えた。
恐怖と、畏怖と、言葉にできぬ昂揚が入り混じる。
疑いようがなかった。
あの雷振筒こそ、先ほど山中村で目にした荷の中身。
石田家の持ち物。
理由は分からぬが、何らかの事情で置き去りにされていた兵器。
(……いずれ、返さねばならぬ)
それは、典膳に課せられた職務だった。
小荷駄方として預かった以上、正しく管理し、正しく返還する──それが務め。
そう、頭では理解している。
だが。
雷振筒が吐き出す死の奔流を目の当たりにした、その瞬間。
典膳の胸の奥で、別の声が囁いた。
(……しかし)
ふと、思い当たる。
(あの鉄砲の在り処を知っているのは──)
典膳は、ゆっくりと息を吸った。
(……俺と、配下の足軽だけではないか)
六十挺。
弾薬は、数えきれぬほど。
それが今、誰の監督下にあるのか。
誰の命令で、動かせるのか。
答えは、あまりにも明白だった。
腹の底に沈めてきた野心が、ぬるりと蠢く。
それは恐怖を養分にし、歓喜を糧として、急速に膨れ上がっていく。
(……これは、ただの荷ではない。我が栢谷の家運を開く光明やも知れぬ……)
戦場の喧騒の中で、典膳の目だけが、異様な光を帯び始めていた。
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