毒蛇[1]
石田家には、決して門外に漏らしてはならぬ秘事がある。
それを知るのは当主、石田三成を除けば、筆頭家老の島左近、末席家老の垣屋勘兵衛元綱、そして龍仙寺衆の首脳に名を連ねるごくわずかな者のみ。
その秘密がはからずも姿を現したのは、関ヶ原の戦いが終わり、龍仙寺が灰燼に帰してから、半年余りが過ぎた頃であった。
「──雷振筒が……足りない!?」
佐和山城。
幾重にも人払いがなされた奥の一室で、石田三成の声が低く弾けた。
湿り気を帯びた空気が張りつめ、畳の目すら緊張しているかのようだ。
島左近の背後、几帳の陰に静かに座しているのは石田三成。その存在だけで、この場がただならぬ詮議の席であることは明白だった。
「幾度も勘定を改めました。……雷振筒が失われているのは、疑いようがございませぬ」
そう述べて深々と頭を下げたのは垣屋勘兵衛である。
その隣で、同じく身を縮めるように頭を垂れたのが、樫原大炊介隆信。龍仙寺衆壬組の頭として、兵站を一手に引き受けてきた男だ。
「此度の失態、まことに拙者の不覚。申し開きの言葉もございませぬ。かくなる上は──」
大炊介が声を震わせ、覚悟を決めたように言葉を継ごうとした瞬間、
「待て」
左近が静かに、しかし鋭く制した。
「そなたの責ではあるまい。筒を動かすよう命じたのは、内匠頭殿であろう」
「……は、ははっ」
大炊介は喉を鳴らし、額を畳に擦りつけた。
関ヶ原の戦いを目前に控えた九月初頭、拓真は大垣城に集積していた雷振筒と弾薬の一部を、密かに移動させている。
輸送先は山中村──大谷吉継が設けた兵站拠点であった。
その段取りは垣屋勘兵衛を通じて整えられ、さらに八月末には龍仙寺からも同様に物資が直送されている。
そこに集めた物資がまるごと消失したのだ。
「繋ぎ役を務めたのは拙者。……責がないとは申せませぬ」
勘兵衛は大炊介を庇うように、低く言葉を重ねた。
「よい。二人を責めるための場ではない」
左近の声には、疲労と諦観が滲んでいた。
「元はと言えば、内匠頭殿の指示だ。そうである以上、やむを得ぬ」
確かにその通りだった。
移動を命じたのは拓真。
そして、当の本人は──光と共に、この世から消え失せている。
左近だけが知っていた。
なぜ拓真が、そんな手を打ったのかを。
小早川秀秋の裏切りを知っていた拓真は、最悪の事態に備え、龍仙寺衆を大谷吉継に預けてほしいと進言していた。
山中村に送られた物資は、その時に使うための備えだった。
左近はすべて承知していた。
それでも彼は、拓真の意向を黙殺して、龍仙寺衆を戦場で殺戮に使った。
結果として宙に浮いた中山村の物資──その消失に、己の判断が遠因となっていることを、左近は痛いほど理解していた。
失われた雷振筒は六十挺。
弾丸は二万一千八百発。
雷振筒がこれまで製造されたのは六百十二挺。
すべてに製造番号が刻まれ、最終の品質検査で落とされた物も番号は付与されていた。そのため通算製造番号は九四二番にまで及んでいる。
失われたのは、四九三番から五〇四番、そして五四一番から五八八番。
いずれも生産ロット単位で、まるごと消えていた。
戦場の混乱で一本二本が行方不明になる可能性はある──が、その類ではない。
雷振筒は六挺を一箱とする専用の木箱に収められている。
つまり、雷振筒が箱から出されることもなく、十箱が丸ごと消えた計算になる。
「刑部様の御家中にも問い合わせましたが……結局、手がかりは掴めず」
勘兵衛は歯噛みするように言った。
大谷家では、山中村の農家を徴発し、物資の保管所としていた。平時であれば、紛失など起こり得ない体制だ。
だが戦いの直前、松尾山城から出陣した小早川軍によって大谷勢は押し出され、物資は急遽移動を余儀なくされた。
混乱のさなかに、物資が紛失したとしても不思議ではない。
勘兵衛らは二度にわたり現地を訪れ、徹底的に捜索した。
だが保管に使われていた農家はすでに焼け落ち、物資集積の痕跡すら残されていなかった。
もし持ち去った者がいるとすれば、最も疑わしいのは、最後にその地を占拠していた小早川家。
しかし、六十挺もの雷振筒の行方を問いただすなど──天下を揺るがす話であり、容易に口にできるものではなかった。
「……やむを得ぬな、左近」
三成の声が、静かに落ちた。
「万が一、金吾様の手に渡っているならば、いずれ何らかの形で尻尾を見せよう。それまでは市場を注視し、雷振筒の出物がないか見張る他あるまい」
「ははっ。この左近と勘兵衛が睨みを利かせます。どうか、ご案じなきよう」
左近、勘兵衛、そして大炊介は、重い誓いを胸に三成へと頭を下げた。
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