火薬天狗[2]
三日後。
蔵の周囲には、いつの間にか黒山の人だかりができていた。爆破解体という前代未聞の話に、役人や宿場の関係者だけでなく、噂を聞きつけた野次馬までが集まり、商家の内庭はちょっとした祭りのような賑わいを見せている。人々の顔には期待と不安が入り混じり、ざわめきが湿った空気を震わせていた。
「それにしても……こんな町中で火薬なぞ使って、本当に大丈夫かのう」
織田家の大年寄、竹中彦右衛門は白く長い顎髭を撫でながら、半ば独り言のように呟いた。年老いた目は、今にも崩れそうな蔵と、その周囲に張り巡らされた縄へと向けられている。
「ご安堵くださいませ」
その隣で、雑賀孫市こと鈴木藤四郎が一歩前に出た。声は低く落ち着いており、そこには一片の迷いもない。
「彼の者は龍仙寺衆の玉薬を一手に預かる火薬方。段取りも見通しも、すべて承知の上でございます。万が一にも、ご迷惑はおかけいたしません」
町中で火薬を用いる以上、当然ながら正式な許可が必要だった。
賀津が蔵を調べたその足で、藤四郎は加納城へ赴き、事の次第を包み隠さず説明している。その際に示したのが、石田家発行の「御免状」だった。旅先での便宜を依頼するための書状であり、賀津たちが私的な放浪者ではなく、石田家の意を受けた公務の旅人であることを示す証でもある。
書面には近江宰相三成の花押が添えられており、その効力は絶大だった。噂の真偽を確かめるという、目的地すら定かでない旅であっても、この一通があれば道中で困ることはまずない。
それを、泊まった宿屋を救うために使う──その酔狂さに、藤四郎は内心呆れつつも、同時に賀津という人物の心根に感心せずにはいられなかった。
「蔵はこっちの空き地に倒すからな! 危ねえから近寄るなよー!」
賀津の張りのある声が、人垣の上を抜けて響く。
持ち主不明となった蔵は宿場町の管理下にあり、その解体には顔役や織田家の検分役が立ち会っていた。庭の隅には水を満たした桶がずらりと並べられ、万が一の火の手に備えている。その光景が、この作業の異例さを物語っていた。
「お賀津さん……ほんとうに、大丈夫なんですか……」
蔵に隣接する宿「鮎屋」の娘、おてんが、不安を隠しきれない表情で賀津の袖を引く。崩れ落ちる蔵の姿を想像したのか、その指先はわずかに震えていた。
「心配すんな」
賀津はそう言って、柔らかくおてんの頭を叩いた。侍装束に身を包んだその姿は、どこか場違いにも見えるが、目だけは揺るがない。
「俺がなんで、こんな侍みてえな格好して生きてると思う?」
一瞬の間を置き、賀津はにっと笑う。
「俺はこれで、メシ食ってんだ」
その言葉には、積み重ねてきた経験への自負と、決して失敗しないという覚悟が、静かに滲んでいた。
*
「お賀津どん! 綱ば張ったど! これでいつでん大丈夫じゃ!」
七郎の声が張り詰めた空気を切り裂いた。倒す方向に生えた松の太い幹と、蔵の柱とを縄で結び、万が一にも思わぬ方向へ倒れぬよう備えは万全だ。その宣言を合図に、場の空気が一段と引き締まる。あとは、発破を掛けるだけ──。
「それじゃ、火ぃ付けるぞ! 埃が立つから、みんな気ぃつけてな!」
賀津の声が響く。
彼女は静かに息を整え、手にした導火線へ火を移した。朱い火花がぱちぱちと音を立て、意志を持つかのように蔵へ向かって走り出す。その細い光を、人々は固唾を呑んで見守った。
火薬を仕込んだのは、蔵の隅に立つ三本の通し柱、躯体を支える間柱、そして横から柱を締め上げる梁。
最初に梁を砕き、次いで腐食の進んだ柱の対角にある健全な柱を順に爆ぜさせる。すべては導火線で結ばれ、一度の着火で一連の流れが完結するよう、綿密に組まれている。賀津の頭の中では、すでに蔵が倒れる瞬間までの絵が、寸分違わず描かれていた。
導火線の火花が蔵の内部へ消えた、その刹那──。
ドン、と腹に響く鈍い爆音。
続いて、曳き倒す方向にある柱が弾け飛び、乾いた破砕音が連なった。間柱が次々と砕け、建物の骨組みが悲鳴を上げる。最後に残った二本の通し柱が同時に爆ぜた瞬間、蔵は支えを完全に失い、まるで紙細工のようにゆっくりと、しかし抗いようもなく崩れ落ちた。
轟音とともに土煙が噴き上がり、視界が白く霞む。
だが、それも一瞬のことだった。煙が晴れると、そこにあったはずの土蔵は跡形もなく、瓦礫の山だけが静かに横たわっている。
火の手は上がらず、怪我人もいない。騒音も、ほんの刹那で収まった。
あまりにも鮮やかで無駄のない手際に、しばし呆然としていた野次馬たちから、やがてどよめきと拍手が湧き起こった。
その喧騒の中で、賀津は胸の奥に溜まっていた息を、静かに吐き出す。
──狙い通り。
そう確信しながら、彼女は崩れた蔵の跡を、満足げに見据えていた。
*
崩れかけていた蔵が消え去ると同時に、「鮎屋」を覆っていた不安もまた、嘘のように消えた。倒壊の危険がなくなったことで宿は息を吹き返し、途絶えていた旅人の足も、日を追うごとに戻ってくる。かつて店先を血で染めた刃傷沙汰の噂も、爆破解体という派手な出来事に塗り替えられたかのように、いつしか誰の話題にも上らなくなっていた。
解体からの三日間、賀津たちは鮎屋で半ば客人、半ば主役として過ごした。礼を言いたい者、噂を確かめたい者、ただ一目「蔵を吹き飛ばした当人」を見たい者──近隣からひっきりなしに人が訪れ、賀津は食事と眠りの時間を除けば、ほとんど休む暇もなかった。だが、その忙しさに疲労はあっても、後悔はなかった。
訪ねてくる者一人ひとりに、賀津は同じ問いを投げかけた。
工藤内匠頭はどこにいるのか。飛騨で何か噂はないのか。
返ってくる答えはどれも曖昧で、決定打には欠けていた。ただ、浪人やはぐれ者といった、いかがわしい身なりの者たちが、ときおり飛騨を目指して旅立っているという話だけは、幾度となく耳に入った。だが、当の内匠頭の居場所を知る者は誰一人おらず、探しに行って戻ってきた者もいない。七郎の口にした「白雲」という地名についても、首をかしげられるばかりだった。
不確かな情報ばかりではあるが、それでも加納宿でこれ以上足を止める意味はない──そう判断するには十分だった。
逗留八日目の昼前、賀津たちは旅立ちの支度を整えた。
「お賀津さん、お気を付けて!」
おてんは店先に立ち、何度も頭を下げながら名残惜しそうに声をかける。
「ああ。おてんちゃんも、元気でな」
短い言葉に、感謝と別れをすべて込めて応えると、賀津は振り返らず歩き出した。一行は再び、飛騨へと続く道へ足を踏み出す。背中に向けられた視線と想いを、確かに感じながら。
*
その後しばらく、蔵があった場所は宿場の名所となり、見物人が絶えることはなかったという。そしていつしか、「蔵を崩したのは火薬天狗の仕業で、その天狗は鉄砲天狗を追って飛騨へ消えた」などという、もっともらしいお伽噺まで語られるようになった。
無論、そんな話が後に生まれるなど、賀津自身はもちろん、噂を嬉々として広めていたおてんでさえ、思いも寄らぬことだった。
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