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Last rewrite  作者: 蒼了一


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31/55

火薬天狗[1]

「こりゃあ……なかなか、おっかねぇなぁ……」


 翌朝。


 おてんに案内され、賀津が内庭に足を踏み入れた瞬間、思わず漏れたのがその一言だった。


 商家の奥に据えられた土蔵は、白い漆喰壁の下半分を焼杉の板で覆い、かつては堅牢そのものだったであろう姿を辛うじて保っている。だが鮎屋との間隔はわずか三尺(約九十センチ)。近すぎるその距離以上に、蔵そのものがわずかに、しかし確実に傾いているのが一目で分かった。


 頑丈な石積みの基礎の上に建っているおかげで、今なお倒れずに踏みとどまってはいる。だがそれは、必死に耐えているという表現の方がふさわしかった。


 蔵の中はほぼ空だ。


 略奪の跡は生々しく、割れた木箱の残骸や、用途も分からぬガラクタが、無造作に転がっているだけ。


「……ははぁ。なるほどな」


 賀津は低く呟き、蔵を支える四本の柱に視線を走らせた。


 どれも一抱えはある見事な太柱──だが、左奥の一本だけが明らかに異様だった。黒く焼け焦げ、表面は炭のように脆く、痩せ細っている。


 おそらく略奪の際、火が放たれたのだろう。


 完全に燃え落ちる前に消されたのか、それとも自然に鎮まったのか。漆喰には無惨な焼け跡が残り、壁は煤で汚れ切っている。


 屋根に空いた大穴が、それを裏付けていた。


 雨風は容赦なく吹き込み、そのたびに柱を蝕み、時間をかけて腐食を進めたに違いない。結果として、蔵はゆっくりと均衡を失い、今の傾きに至ったのだ。


 ──本当なら、もっと早く手当てをしていれば。


 賀津はそう思う。


 だが家主は行方知れず。領主である織田家は居城の移転と町の復興に追われ、この蔵は後回しにされ続けた。誰の目にも留まらぬまま、ここまで傷み切ってしまったのだ。


「……うん、うん……なるほどな」


 賀津は懐から紙を取り出し、簡単な立体図を描き始める。柱の位置、傾き、崩れ方──頭の中で解体の段取りを組み上げていく。


「あの……なにかわかりましたか?」


 おてんの声には、隠しきれない不安が滲んでいた。


 その表情を見て、賀津はふっと口元を緩め、にやりと笑う。


「これくれえなら、俺に崩せるよ。任しとけ」


「えっ!? 賀津さん、この蔵を崩せるんですか!?」


 驚きの声は、おてんだけではなかった。


 背後にいた七郎も、目を丸くして声を上げる。


「蔵ば崩すっち……どげんすっとな、お賀津どん?」


「俺は火薬師だからな。この蔵を……ぶっ飛ばす」


「へぇ……! そいはまた、わっぜ豪快なこっばしもんなぁ! お賀津どんは、一体なにもんごわすか、孫市どん?」


 素っ頓狂な声を上げる七郎に、藤四郎はわずかに胸を張り、誇らしげに告げた。


「賀津殿は龍仙寺衆の玉薬を一手に預かる火薬師だ。この程度の蔵、吹き飛ばすなど雑作もない」


「へぇー……わっぜなぁ。龍仙寺衆は、建物まで爆破すっとな!」


「建物は専門じゃねえけどな」


 そう言って、賀津は視線を蔵に戻した。


 脳裏には、かつて拓真と共に過ごした日々が浮かんでいた。


 *


 かつて龍仙寺は、三万坪という途方もない広さを誇っていた。


 だが、それは最初から完成された姿ではない。


 始まりは、老朽化した寺の本堂を作り直した母屋と、わずかに設けられた小さな研究室だけ。そこから少しずつ、必要に応じて建物が増え、敷地が広がっていったに過ぎない。


 境内には、時代に取り残され、朽ち果てて使い物にならなくなった建物も多く残されていた。解体するにも、一棟ごとに人手が要り、日数もかかる。蔵や堂を一つ壊すだけで、数日から十日以上を費やすことも珍しくなかった。


 そんな折だった。


 ある日、拓真が、まるで思いつきのように口にした。


「いっそのことさ……建物、ぶっ飛ばしちゃおっか」


 賀津は、その言葉を聞いた瞬間の感覚を、今でもはっきり覚えている。


 重機など存在しないこの時代、建物の解体は気の遠くなる作業だ。基本は「曳き倒し」。柱や壁に切り欠きを入れ、縄をかけ、人力や牛馬を使って少しずつ倒していく。


 だがその下準備には、長年の経験と勘が必要だ。構造を誤れば、作業の最中に建物が崩れ、命を落とすこともある。素人が軽々しく手を出してよい仕事ではない。


 もちろん爆破解体などという発想は、この時代には影も形もなかった。


 それが実際に用いられるようになるのは、はるか未来、二十世紀に入ってからの話だ。


 当然、拓真も専門知識など持っていない。


 それでも彼は、悪びれもせず言った。


「柱とか、要になるところに火薬を仕込んで、同時にドン、ってやればさ。案外いけるんじゃない?」


 無茶苦茶な話だった。


 だが、拓真の隣には──賀津がいた。


 火薬の爆発量を自在に操れる彼女にとって、狙った柱だけを確実に砕くことは、さほど難しい業ではない。あとは倒す方向さえ誤らなければ、それで十分だ。


「……この丸太を、吹っ飛ばす玉薬を作るってことか?」


「そうそう。丸太に穴を開けて、火薬を詰めて、粘土でフタをする。それで木を砕くんだ。どれくらい火薬が要ると思う?」


「……うーん」


 賀津は腕を組み、丸太を見つめた。


 軽い冗談のように始まった話だったが、その目はいつの間にか真剣そのものになっていた。


 それから数日間。


 用意した何本もの丸太に穴を開け、火薬を詰め、爆破を繰り返した。失敗もあった。火薬が足りず、ただ焦げただけのもの。逆に詰めすぎて、無駄に破片を飛ばしたこともある。


 だが賀津は諦めなかった。


 木の太さに応じた穴の直径と深さ、必要な火薬量。ひとつひとつ検証し、調べ尽くし、ついには確かな手応えを掴んだ。


 構造計算など無い、極めて原始的な方法だ。


 それでも、木と土と紙で出来た木造家屋を壊すには、十分すぎるほどだった。


 最初の爆破解体が成功したときの衝撃を、賀津は忘れていない。


 轟音と共に柱が砕け、建物が自重で崩れ落ちていく光景。恐怖と興奮が入り混じり、胸が震えた。


 それを皮切りに、拓真と賀津は、龍仙寺の敷地に残る不用な建物を次々と解体していった。


 気がつけば、あれほど鬱蒼としていた境内は開け、平地が一気に広がっていた。


 ──あれから、もう五年……。


 賀津は、目の前の傾いた蔵を見上げる。


 爆破解体からは久しく遠ざかっていたが、感覚は身体に染み付いたままだ。


 この程度の蔵を壊すことなど、もはや雑作もない。

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