火薬天狗[1]
「こりゃあ……なかなか、おっかねぇなぁ……」
翌朝。
おてんに案内され、賀津が内庭に足を踏み入れた瞬間、思わず漏れたのがその一言だった。
商家の奥に据えられた土蔵は、白い漆喰壁の下半分を焼杉の板で覆い、かつては堅牢そのものだったであろう姿を辛うじて保っている。だが鮎屋との間隔はわずか三尺(約九十センチ)。近すぎるその距離以上に、蔵そのものがわずかに、しかし確実に傾いているのが一目で分かった。
頑丈な石積みの基礎の上に建っているおかげで、今なお倒れずに踏みとどまってはいる。だがそれは、必死に耐えているという表現の方がふさわしかった。
蔵の中はほぼ空だ。
略奪の跡は生々しく、割れた木箱の残骸や、用途も分からぬガラクタが、無造作に転がっているだけ。
「……ははぁ。なるほどな」
賀津は低く呟き、蔵を支える四本の柱に視線を走らせた。
どれも一抱えはある見事な太柱──だが、左奥の一本だけが明らかに異様だった。黒く焼け焦げ、表面は炭のように脆く、痩せ細っている。
おそらく略奪の際、火が放たれたのだろう。
完全に燃え落ちる前に消されたのか、それとも自然に鎮まったのか。漆喰には無惨な焼け跡が残り、壁は煤で汚れ切っている。
屋根に空いた大穴が、それを裏付けていた。
雨風は容赦なく吹き込み、そのたびに柱を蝕み、時間をかけて腐食を進めたに違いない。結果として、蔵はゆっくりと均衡を失い、今の傾きに至ったのだ。
──本当なら、もっと早く手当てをしていれば。
賀津はそう思う。
だが家主は行方知れず。領主である織田家は居城の移転と町の復興に追われ、この蔵は後回しにされ続けた。誰の目にも留まらぬまま、ここまで傷み切ってしまったのだ。
「……うん、うん……なるほどな」
賀津は懐から紙を取り出し、簡単な立体図を描き始める。柱の位置、傾き、崩れ方──頭の中で解体の段取りを組み上げていく。
「あの……なにかわかりましたか?」
おてんの声には、隠しきれない不安が滲んでいた。
その表情を見て、賀津はふっと口元を緩め、にやりと笑う。
「これくれえなら、俺に崩せるよ。任しとけ」
「えっ!? 賀津さん、この蔵を崩せるんですか!?」
驚きの声は、おてんだけではなかった。
背後にいた七郎も、目を丸くして声を上げる。
「蔵ば崩すっち……どげんすっとな、お賀津どん?」
「俺は火薬師だからな。この蔵を……ぶっ飛ばす」
「へぇ……! そいはまた、わっぜ豪快なこっばしもんなぁ! お賀津どんは、一体なにもんごわすか、孫市どん?」
素っ頓狂な声を上げる七郎に、藤四郎はわずかに胸を張り、誇らしげに告げた。
「賀津殿は龍仙寺衆の玉薬を一手に預かる火薬師だ。この程度の蔵、吹き飛ばすなど雑作もない」
「へぇー……わっぜなぁ。龍仙寺衆は、建物まで爆破すっとな!」
「建物は専門じゃねえけどな」
そう言って、賀津は視線を蔵に戻した。
脳裏には、かつて拓真と共に過ごした日々が浮かんでいた。
*
かつて龍仙寺は、三万坪という途方もない広さを誇っていた。
だが、それは最初から完成された姿ではない。
始まりは、老朽化した寺の本堂を作り直した母屋と、わずかに設けられた小さな研究室だけ。そこから少しずつ、必要に応じて建物が増え、敷地が広がっていったに過ぎない。
境内には、時代に取り残され、朽ち果てて使い物にならなくなった建物も多く残されていた。解体するにも、一棟ごとに人手が要り、日数もかかる。蔵や堂を一つ壊すだけで、数日から十日以上を費やすことも珍しくなかった。
そんな折だった。
ある日、拓真が、まるで思いつきのように口にした。
「いっそのことさ……建物、ぶっ飛ばしちゃおっか」
賀津は、その言葉を聞いた瞬間の感覚を、今でもはっきり覚えている。
重機など存在しないこの時代、建物の解体は気の遠くなる作業だ。基本は「曳き倒し」。柱や壁に切り欠きを入れ、縄をかけ、人力や牛馬を使って少しずつ倒していく。
だがその下準備には、長年の経験と勘が必要だ。構造を誤れば、作業の最中に建物が崩れ、命を落とすこともある。素人が軽々しく手を出してよい仕事ではない。
もちろん爆破解体などという発想は、この時代には影も形もなかった。
それが実際に用いられるようになるのは、はるか未来、二十世紀に入ってからの話だ。
当然、拓真も専門知識など持っていない。
それでも彼は、悪びれもせず言った。
「柱とか、要になるところに火薬を仕込んで、同時にドン、ってやればさ。案外いけるんじゃない?」
無茶苦茶な話だった。
だが、拓真の隣には──賀津がいた。
火薬の爆発量を自在に操れる彼女にとって、狙った柱だけを確実に砕くことは、さほど難しい業ではない。あとは倒す方向さえ誤らなければ、それで十分だ。
「……この丸太を、吹っ飛ばす玉薬を作るってことか?」
「そうそう。丸太に穴を開けて、火薬を詰めて、粘土でフタをする。それで木を砕くんだ。どれくらい火薬が要ると思う?」
「……うーん」
賀津は腕を組み、丸太を見つめた。
軽い冗談のように始まった話だったが、その目はいつの間にか真剣そのものになっていた。
それから数日間。
用意した何本もの丸太に穴を開け、火薬を詰め、爆破を繰り返した。失敗もあった。火薬が足りず、ただ焦げただけのもの。逆に詰めすぎて、無駄に破片を飛ばしたこともある。
だが賀津は諦めなかった。
木の太さに応じた穴の直径と深さ、必要な火薬量。ひとつひとつ検証し、調べ尽くし、ついには確かな手応えを掴んだ。
構造計算など無い、極めて原始的な方法だ。
それでも、木と土と紙で出来た木造家屋を壊すには、十分すぎるほどだった。
最初の爆破解体が成功したときの衝撃を、賀津は忘れていない。
轟音と共に柱が砕け、建物が自重で崩れ落ちていく光景。恐怖と興奮が入り混じり、胸が震えた。
それを皮切りに、拓真と賀津は、龍仙寺の敷地に残る不用な建物を次々と解体していった。
気がつけば、あれほど鬱蒼としていた境内は開け、平地が一気に広がっていた。
──あれから、もう五年……。
賀津は、目の前の傾いた蔵を見上げる。
爆破解体からは久しく遠ざかっていたが、感覚は身体に染み付いたままだ。
この程度の蔵を壊すことなど、もはや雑作もない。
読んでくださり、本当にありがとうございます!
この作品を「続きが気になる」と思っていただけたら、
ぜひブックマークとポイント評価をお願いしますm(_ _)m
応援が増えるほどヤル気が爆上がりします……!
感想も一言でもくれたら即返信+X(旧Twitter)で感謝ポストします!
次回もよろしくお願いします!




