侵入者[1]
「それにしても、岐阜ってこんなにでっけぇ町とは思わなかったなぁ。佐和山より、ずっと賑やかだ」
賀津は思わず声に出し、行き交う人波を眺め回した。荷を担ぐ商人、子を連れた女房衆、厳つい顔つきの侍たち──道の両脇に並ぶ家並みから溢れ出すように、人の気配と喧騒が絶え間なく続いている。鼻をくすぐるのは、炭火で焼かれた、食欲をそそる魚の匂い、そして人いきれが発する湿った空気だ。
「ここは美濃一の町ですからね。人の数が、佐和山とは比べものになりませんよ」
藤四郎は落ち着いた声で応じる。さすがに旅慣れているだけあって、その足取りには迷いがない。
二人が佐和山を発ったのは昨日の朝。加納宿まではおよそ十三里──距離だけを見れば二日もかからない。しかし賀津にとっては生まれて初めての旅路だ。草鞋の減り具合や息遣いを気にしながら、藤四郎はあえて歩を緩めている。荷が多いことも理由ではあるが、それ以上に、賀津を“旅慣れ”させる配慮だった。
宿場の外れにある旅籠「鮎屋」に着き、賀津が腰を下ろして草鞋を脱ぐと、桶を抱えた看板娘が元気よく駆け寄ってきた。
「お客さん、どこからいらっしゃったんですか?」
快活な声に顔を上げると、まだあどけなさの残る娘──おてんが、興味津々といった様子でこちらを覗き込んでいる。
「佐和山だよ。昨日は垂水宿に泊まったんだ」
「へぇ~……あれっ?」
賀津がタライに張られた水へ足を浸す。冷たさに小さく息を吐いた、その瞬間、泥を落とそうと屈み込んだおてんが、目を見開いて声を上げる。
「ど、どうしたの?」
「あれっ……お侍様、おみ足が……」
視線は、賀津の脛に釘付けになっている。旅装束はどう見ても男のそれだが、そこには一本の毛も生えていない。
──ああ、なるほど。
内心で小さく息をつく。昔は気にも留めなかった。だが佐名と親しくなってからは、身だしなみとして手入れをするようになった。それが今こうして、余計な興味を引いているとは皮肉な話だ。
「ああ、俺、女だから」
「えっ……あっ、そ、そうなんですか!?」
「こんな格好してっけどな」
「へぇ~……そんな方、初めて見ました」
驚きと好奇心が入り混じったおてんの声に、賀津は肩をすくめる。
「まあ、珍しいとは思うよ。けど、これでも殿様から扶持をいただいてる侍だ。蔵米取だけどな」
「うわぁ……すごーい!」
無邪気に目を輝かせるおてんとは裏腹に、賀津自身はどこか他人事だった。
名目上は安田常典──又蔵の預かり身分。しかし実際には、龍仙寺衆の火薬方として年に三百俵の扶持を受けている。一代限りとはいえ、家臣を抱える義務もなく、その収入のほとんどが丸ごと手元に残る。現代の価値に置き換えれば、手取り一千万円以上の高給取りだ。
だが賀津は、自分がどれほど裕福なのかを考えたこともない。贅沢にも浪費にも興味はなく、金の管理はすべて叔父の又蔵に任せきり。唯一心を奪われる火薬に関しても、材料や道具は龍仙寺衆が用意するため、自ら懐を痛めることは、茶菓子代くらいだ。
「凄いってことはねえけどさ。まあ、他所じゃあ、あんまり聞かねえな」
そう言って、賀津は素っ気なく視線を逸らした。珍しがられることには、もう慣れている。燥ぐおてんをよそに、今夜の飯は何が出るのだろうかと、ぼんやり考えていた。
*
「夕餉お持ちしました~」
二階の端、四畳半ほどの小部屋が賀津の寝床だった。壁も天井も低く、古い木の匂いが染みついているが、不思議と落ち着く。襖一枚隔てた隣の部屋には藤四郎が泊まっており、人の気配が近くにあるだけで、初旅の心細さはかなり和らいでいた。
おてんは膳を両手で抱え、板敷きの上に恭しく置く。白い湯気を立てる飯と味噌汁、香の物に酢漬け。そして皿の中央には、焼き色も鮮やかな鮎が一尾、丸ごと横たわっていた。川魚特有の香ばしさが、賀津の鼻腔をくすぐる。
「こりゃ、美味そうだ」
思わず声が漏れる。箸を取ると、賀津は無言で膳に向かい、腹に溜まった疲れごと掻き込むように食べ進めた。気がつけば皿は空になり、身体の芯にようやく温もりが戻ってくる。茶を啜り、ひと息ついたところで、ふと疑問が浮かんだ。
「加納宿って、こんな賑やかなのに、この旅籠はずいぶん静かだね。なんで客がいねえんだ?」
鮎屋は決して大きくはないが、二十人ほどなら余裕で泊まれる造りだ。詰めれば三十人も不可能ではない。それなのに今夜の客は、自分たち二人と、階下にいる浪人風の男が一人きりだ。
おてんは一瞬、言葉に詰まった。視線を落とし、指先をぎゅっと握る。
「……五日ばかり前に、ちょっとした騒動があって……それで、今日まで宿を閉めてたんです」
「騒動?」
「それだけじゃないんですけど……宿場の案内役の人が、ウチの紹介を控えていて……」
声は次第に小さくなり、沈んでいく。その様子に、賀津の胸がちくりと痛んだ。もともと賀津は、人の世話を焼くのが嫌いではない。つい先ほど出会ったばかりだが、母を支え、懸命に働くこの娘には、自然と情が湧いていた。
自分に何ができるわけでもない。それでも、話を聞くことくらいはできる。賀津は少し身を乗り出した。
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